H
タイトル通りの内容のものが多い、文庫本四五ページくらいの掌編小説が約四十編
あるのだが、大半は小説になってない。スケッチ、あるいはもっとエッセイか、それにすらなっていないものがほとんどで、某雑誌に連載されたものらしいが、これで一体読者は満足できるのだろうかと首を傾げながらなんとか読んだ。まず、掌編のくせに説明が多すぎて小説としては結果的に全く内容がなくなってしまっている。文体はよく言えば独特、悪く言えばいいかげんで、「」の全廃、頻出する主語なし文などちょっと面白いと思える部分もあるが(文体分析の素材としては面白いかもしれないがあくまで部分的なもので研究対象としては弱い)、あまりに情緒的な句点の打ち方、妙に軽い表現と学術語・漢語などの不用意な混在(あまり効果があるとは思えない)、ルビのふしだらな使い方など、感心できない面が多すぎる。特にエロ小説と漢語は合わない、というより使い方を間違っている(簡単に言えば下手)。全体的に言葉遣いは感覚的、というよりむしろぞんざいで、例えば(何度も出して恐縮だが)島本理生の先祖的なものを感じる。敵視する某作家を「てにをはもおぼつかない文体」などとけなす資格は、この食い足りなすぎる作品集を読む限り、田中康夫にはない。内容的な点を言うと、人を見下した表現が散見され、作者の人の悪さが滲み出ているのはやはりどうかと思う。このような形でないとこだわりや蘊蓄を語れない人なのか。それにしては、また固有名詞や商品名・ブランドなどにこだわった文体の先駆者にしては、時折ボロを出していて、そこは妙に白ける(例えば評者は、作者のクラシック趣味なんてやっぱりこの程度かと思ってしまった)。内容がエロになると全然面白くなく、ちょっと面白いと思った作品は大抵エロと関係ないというのは皮肉なものだ。
田中康夫は小説は「だである」で、エッセイは「ですます」体で書くと、確か誰か文芸評論家が言っていたと思うが、何編かは「ですます」体で書いてある(まぁ内容はエッセイみたいなものだが……)
連載されていたのは某女性誌だが、こんなもので満足するほどの読者だったのか? 分らん……(38)
例によってペラペラな恋愛物語り未満二十編弱
が例によって、どう考えても魅力的とは思えない情緒に流れた文体で垂れ流される。まずいつもながら「、」がぞんざい。総じて打ち過ぎ(彼は自分の文体を反省することがあるのだろうか)。また、非常にしばしば固有名を伏せてほのめかすのは、はっきり言って嫌み以外の何ものでもない。作者のいやらしさを強調するだけ。中途半端なスノッブ趣味だけはこの食い足りない作品でも全開で、ものすごく白ける。そして、「H」でも同じことを感じたが、どの作品もまるで書き足りず、ちょっといいな、と思ってもすぐ終わって、中途半端な気分だけが残って欲求不満この上ない。しかも、内容はバカ大学生図鑑とも言うべきもので、書かれた時代から言っても文化疲弊のドキュメントと言えそうだ。作者にはやはり大学がピークだったのかもしれない。やっぱりセックス絡みになるとダメだというのは、皮肉なものだ。
例によって書く作品ごとの…といきたいのだが、小さい丸が「下り坂のドライブ」に付いているだけで、あとは否定的な印しか付いていない。「カールヘルム・ボーイ」は標準語で書いていいのか?
ひどい! これも女性雑誌系の出版社から出されたものだが、こんなので満足できるのか日本の女は? こんな作品しかかけない作家が今や県知事だの文学賞の審査員だのをしているのだから、どうやって絶望せずにいろというのであろうか。(35)
モデルをしながら生活している女子大生のタイトル通りなんとなく過ぎて行く日常
が例の学術論文のように事細かにつけられた註を交えながら綴られていくのだが、今回初めて読んでみて吃驚した。結構小説としてはまともではないかと。ブランドや店名・地名など固有名詞を過剰にちりばめた文体はやはりうるさいし、性描写も陳腐だが、内容的にはこじんまりとまとまっている(あまりにも何も起らないという気もするが……)し、第一「あの」田中康夫がまさかこんな内容の小説でデビューしたのだとは思わなかった。こんな言い方をしては失礼かもしれないが意外と「読めて」面白かったので驚いたと同時にあまりにも普通の小説なので拍子抜けした。結局、感情的に反発したりキワモノ的に取り上げて騒いでいた連中はろくに読んでなかったということなのだろう。系列としては明らかに吉田修一・長嶋有なんかの先祖的なものだろう(彼等の意識は別として)。作家としては気の毒な扱いしか受けていない方だが、この作品の影響力は案外あるんではないか。
ただ、話題になった註を全部剥ぎ取るとどれだけ何が残るかと考えるとかなり疑問だと言わねばならない。その註も大半はおよそ無意味なもので(単に英語のスペルが書いてあるだけや、地名の辞書的な説明)たまに面白い内容があるという程度(どうでもいいが、墓の説明がやたらにあるのは何なんだ? 康夫ちゃんって意外と墓地好き?(笑))。このスタイルをたった一作で捨ててしまったのは個人的にはもったいないと思う。
文学的な価値はそれほど高くないと思うが単純に小説として見るとそこそこ(53)