アウルス=ゲリウス『アッティカの夜』 Gellius, NA.1.3 = FHSG.534  スパルタ人キロンが友人の平安のために二重の思慮をもったということ、また注意深く細心に考慮されるべきは友人達の利便に対し害をなすことがいつかなかったかどうかだということ、ここにある見解や注意はテオプラストスやマルクス=キケロがこの問題について著作したことである。…  (8)しかしこのキロンは、知恵に秀でた人物だったが、一体どこまで法や正義に反して友人のために進まねばならないのかと訝り、この問題は生涯の最後においてさえ彼の精神を悩ましたのである。(9)方や、哲学を修めた他の多くの人々が、彼等の書物に書かれてることだが、探求を重ね苦慮しながら問うたことは、書かれている[ギリシャ語の]言葉そのものを用いると、「正義に反しても友人を守らねばならないのか、またどの程度まで、どんなものをそうせねばならないのか」ということであった。この言葉が表しているように、彼等が問い訊ねたのは、正義や慣習に反しても友のために何かをなさねばならないことがあるのかどうか、またいかなる場合、どの程度までそうすべきか、ということだったのだ。  (10)この問題については、既に述べたように、他の多くの人々とともに、テオプラストスによっても念入りに論じられている。逍遥派の哲学において最も思慮があり最も学識のある人である。この論議が書かれているのは、私の記憶が確かならば、彼の『友愛論』第1巻である。(11)この本をマルクス=キケロは自分でも『友愛論』を執筆していた時に読んだようである。また私がテオプラストスから引いて示したその他の問題も、彼の才能と流暢さはそれほどまでのものだが、取材して翻訳するのに最も上品で適切な仕方でなしたのである。(12)しかし、十分に追求されたと言ったこの論点、その他の問題の中でも最も難しいものをキケロは上辺だけで早々に通り過ぎてしまい、テオプラストスが注意深くしかし簡潔に書いた事柄を辿ることもなく、あの不安と気むずかしい議論のようなもので見過ごして問題の大まかな性格だけをこんなに少ない言葉で記したにすぎない。(13)キケロのその言葉を、誰か調べてみたい人がいるかと思って、記しておいた。「それだから、こういう限度を用いるべきだと私は考える。つまり、友人達の人柄が完全な場合には彼等の間で全ての物事、考え、意向が全く例外なく共有されているはずである。さらに、運命の巡り合わせで偶然に、友人達のあまり正しくない意向を助けねばならないが、それが彼等の首や名誉に関わるとなった場合、正道から外れてもよいが、それも甚だしい汚涜が伴わない限りでである。なぜなら、友情に容赦を与えることができるとしてもその許容限度というものがあるからである」  キケロは言う「友人の首や名誉に関わる場合には正道から外れてもよい、彼の不埒な意向を補佐するためとはいえ」(14)しかし、正道を外れるにしてもどんなものが許されるのか、どんな逸脱を助けてもよいのか、友の不埒な意向と言ってもどのくらいなら許されるのか、そういうことを彼は言ってくれない。…  (21)しかし、テオプラストスは上述の書の中でまさにこの問題について実に詳しく、正確に、また綿密に語っており、それはキケロ以上である。(22)ところが、この人もまた論述にあたって個々の事例について個別に論を展開しているわけではないし、実例にしても確かな証拠となるものを挙げてくれるわけでもなく、むしろ問題の大まかな性格について最も主要な点だけを一般的に論じたにすぎない。その際、彼が用いたのはほぼこういう論法である。  (23)テオプラストスは言う。「少々の些細な醜行や不名誉は許容されるべきである、そのことから多大な利便が友人に得られることができるなら。というのも実際、美行をしなかったという軽い損害は、友人を助けたというより大きくより重大な別の美行によって報われ埋め合わされるからであり、その汚点、名誉に開いた穴とでも言うものは友人が得た得という防壁で強化されるからである」(24)また彼は言う。「名前に動かされてはならない。なぜなら、私の名誉という美点と友人の事柄という利便は種そのものにおいて等しくないのだから。つまり、これらはその人に現れている重要性や能力で判断されるべきであって、名前が訴える力や氏族の権威によってではないのだ。(25)すなわち、平等かそう大きく異なってはいない物事において友人の利便や我々の美点が成り立っているのであれば、美点がより重大なのは疑いにほど遠い。しかし実に、友人の利便がはるかに大きく、しかし大したことのない物事における我々の美点を簡単に放棄できるものであれば、その際には友人にとって有利なことが我々にとっての美点より先に充たされるであろう。それは重量の大きい銅が小さい金貨よりも値打ちが高いのと同じことである」  (26)この問題に関するテオプラストスの言葉そのものを書き加えておいた。「このものが何らかの点で類としてより価値があるならば、何であれその部分も、他のもののどれほどの量と共に比べられたとしても、選択されるに値する、ということはない。例えばこういうことだ。黄金が銅よりも価値があるからといって、どれだけの黄金がどれほどの重量の銅と比べられても[前者の方が]より大きいなどと人は思わないだろう。むしろ、数量や重量も何らかの判断材料とするだろう」  (27)哲学者ファヴォリヌス*も寛大というこの種の許容を、正義に関する厳密な吟味が時宜に適っていくらか弛められ緩和されたもの、と定義している。彼の言葉は[ギリシャ語で言うと]こうだ。人々の下で寛容と呼ばれているものは時宜に適った厳格さの緩和である。 *断片102(Marres)=100(Barigazzi)  (28)そしてその後、同じテオプラストスは論じ進めて大体こんなことを言っている。彼は言う。「物事の軽重や義務の評価全般を時にはある外的な要因が、あるいはまた別に人物や原因や時や、状況そのものが備える忠告に含めにくい必然性が制御し支配してあたかも舵を取るようで、時にはそれらの評価を確定させ、時にはそれを無効化する」  (29)こうしたことや類似のことをテオプラストスは純分注意して念入りにまた几帳面に書いたのであるが、それも分けて検討するためであって、解決する意図や自信があってのことではなかった。というのも現実に、原因や時の多様、精妙な区別や差異を、直線的かつ一般的であり個々の事態に応じて区別される忠告(これこそ他ならぬ私がまさにこの論考の第一部で、しようとしていると言ったことである)が捉えることはないからである。 ↓  (30)さて、そのキロンは、彼の話からこの小論を始めたのだったが、他にもいくらかの思慮に富み役に立つ警句の生みの親だけでなく、間違いなく非常に有益な次の警句の作者でもあるのだ。この警句は二つの最も御しがたい感情、つまり愛情と憎悪を安全な程度にまで抑制するものである。彼は言う。「あたかもいつか憎みまでする運命になっているかのように、その程度に愛したまえ。同じく、まるで多分いつか後で愛することになるだろうというように、その程度に憎みたまえ」 Gellius, 2.18.8 = SVF. 1.438 (Persaeus)  (8)さて、逍遥派のテオプラストスの奴隷だったポンピュロスはストアのゼノンの奴隷でもあったが、ペルサイオスと呼ばれていた。また、エピクロスにもミュスという名の奴隷がいた。彼等は無名ということの決してない哲学者として生涯を送ったのである。 第五巻 15 音声は物体か「非物体」か、哲学者達の諸学説 Gellius, 5.15.1 = SVF.2.141 = FDS. 482  (1)古いが永遠の問題が最も高貴な哲学者達の間で論じられている。音声は物体か非物体かということである。(2)この最後の言葉をある人々は、ギリシャ語で「物体でないもの」と呼ばれるもののことであるとした。(3)他方、物体とは作用の授受をするものであり、これもギリシャ語では「能動もしくは受動するもの」と定義されている。(4)この定義を表現しようとルクレチウスも次のような詩句を書いたのである。   触れることも触れられることも、物体でなくては何一つ不可能 (5)また別の言い方をして、ギリシャ人達は物体を「三様に広がるもの(三次元の延長)」と言っている。(6)さて、ストア派の人々は声を物体だと言い張り、それは打撃を受けた気息であると言うのだ。(7)しかし、プラトンは音声は物体ではないと説く。彼は言う「打たれた気ではなく、打つことそのもの、つまり打撃が声なのである」と。 Gellius, 5.16.2 = SVF. 2.871  ストア派の人々はものが見えることの原因を、両目から発する光線が、視覚可能な対象に気息を放つと同時に投影することであると言っている。 Gellius, NA 6.14.8 = SVF. 3 Diogenes 8 = FDS. 165  同じ三つの異なるあり方が三つの哲学学派に見てとられる。三つの学派とは、アテナイ人達がローマの市民議会が召集されたところに使節として派遣した学派のことで、その目的はオロポスの荒廃のために元老院が課した課金を果たすことにあった。その課金はおよそ五百タレントゥムであった。(9)そしてその際使節となった哲学者は、アカデメイア派のカルネアデス、ストア派のディオゲネス、逍遥派のクリトラオスであった。彼等は元老院に導き入れられ、ガイウス=アキリウス議院が通訳をつとめた。とはいえ、その前に彼等各々が別個に、自分を宣伝しようとして、沢山の群衆と討論を行っていた。ルティリウスとポリュビオスの言うところでは、これら三人の哲学者それぞれの議論の仕方は全く驚嘆に値するものだったということである。彼等はこう言っている。「カルネアデスは猛々しく早口で語り、クリトラオスは学識豊かにより格調高く語り、ディオゲネスは自制の利いた穏やかな語り方をした」 Aulus Gellius, N.A. 6.16.6 = SVF.3.706  もしエウリピデスの詩句を我々が覚えているなら、非常に賢明なことにそれを哲学者クリュシッポスは流用したのだが、その内容はこういうことだ。食べ物は…生きるのに必要な使用のために見出されたわけではなく、むしろ魂の飾りにするためにだったのである。また、充溢という恥ずべき楽しみによってうんざりした人々のためにありふれたものは用意されたのである。エウリピデスの詩句を合わせ挙げておくべきだと思う。   というのも、一体何が死すべき者どもに必要だというのか、この2つのもの以外に、   農神デメテルと、注ぐべき引割麦の飲み物以外に   これらは周囲にあり、我々を養うようになっているのだ。   沢山あるのにまだ充分ではないというので、それで贅沢なことに   我々は他に食べられるものを見付け出そうとしているのだ。 第7巻 1 摂理の存続を否定する人々にクリュシッポスはどのように抗弁したか Gellius, NA. 7.1.1 = SVF. 2.1169  (1)世界は神と人間のために創造されたのではなく、人間に関する物事も摂理に支配されているわけではないと考える人々は、次のような主張は強い論拠に支えられていると思っている。つまり「もし摂理があるなら、悪は全く存在しないはずだ」と。というのも、彼等の主張では、人間のために作られたというこの世界にこれほどひどい苦難や災悪があるというのは、摂理が存在するということと両立するわけがないではないかというのである。(2)この言説に対してクリュシッポスは『摂理論』第四巻でこう述べたのである。「これほど愚かな連中はいない。(3)彼等は、悪が存在しないとしても善は存在しうると考えているのである。つまり、善は悪の反対のものである以上、両者は互いに対立するのが必然であるし、相互対立によって支えられ成り立っているのでなければならないのである。(4)というのも、不正が存在しなければ、一体どうして正義があると感得されうるのであろうか。むしろ、正義は不正がないこと以外の何であろうか。勇敢にしても、意気消沈に加えおくことなしに理解可能であろうか。また、不節制なしに節制はどうであろうか。無思慮との対立がなければ思慮はどうやってありうるのか。(5)さらに言えば(と彼は言うのだ)愚か者たちは何故、真理は存在するが虚偽は存在しない、という事態も望まないのであろうか。というのも、善悪、幸不幸、快苦、こういったものはみな同時に存在するのであるから。(6)つまり、プラトンも言っているように、互いに正反対として対立していることによってこれらは互いに結び付けられているのであって、一方を除けば両方が除かれることになるのである」 ↓ Gellius, NA. 7.1.7 = SVF. 2.1170  (7)その同じクリュシッポスは同じ書物の中で次の問題を検討して論じ、追求する価値のある問題だと主張している。その問題というのは、ギリシャ語で言えば「人々が病になるのは自然に従ってのことなのか」つまり、事物の本性、あるいは摂理は、それはつまりこの世界を組み立てて人類を作り出したものだが、それ自身が病や虚弱、肉体的な苦痛といった人間を苦しめるものを作り出したのか、という問題である。(8)さて、彼の考えでは、人間を病にさらすのが自然の本来の意図だったわけではない。というのも、このことは、自然が善いもの全ての作者であり親であるということを全く両立しないからである。(9)そして彼はこう言う。「しかしながら、最も都合がよく最も有益な物事をたくさん生み出し作り出した際に、その作り出された物事に付属するようにして不都合な物事も併せ生み出されたのだ」それらは確かに自然によるものだが、むしろ、ある種の必然的な帰結によって作り出されたのだ、と彼は言っている。それを彼はギリシャ語で「不可避に付き従うことによって」と言っている。(11)彼はこうも言っている。自然が人体を作り出した際、理性が非常に精妙なものであり、働きやすいものであるということそのものからして、頭は非常に薄く小さい骨をつなぎ合わせて作られねばならなかったのである。(12)しかし、このものの多大な利点には、頭の外部にある別の不利が伴っているのである。つまり、頭は薄い防壁でしか守られず、ちょっとした打撃や衝撃にももろく作られているのである。(12)まさにこれと同様に、病や苦痛が生み出されたのも、健康が生み出されたのと同時なのである。おぉまた同様にして、とさらに彼は言うのだ、徳が人間に生じたのが自然の思慮によるのと同時に、悪徳も対立物の結びつきによって生み出されたのである」 Gellius, NA. 7.2 = SVF. 2.1000  運命を(ギリシャ人たちは与えられた命運と呼んでいるが)この教説にほとんど合わせてストア派の主導者クリュシッポスはこう定義している。彼は言う「運命は物事の永遠不変の連続と連鎖であり、己を転がし己自身と絡み合いながら継続する永遠の秩序を貫き、またそれらからつなぎ合わされ結びつけられる」しかし、クリュシッポスの言葉そのものを記憶が許す限り書き加えておいたので、私のこの翻訳が分かりにくいと思ったら彼自身の言葉を見ていただきたい。『配剤論』第四巻の中で彼は述べている「運命は自然の配剤であって、永遠に互いにつき従い動かし合うもの全体からなり、このような絡み合いを避けることは不可能である」と。  しかし、別の見解と教説を説く人々はこの定義にこうやじを飛ばす。彼等は言う「クリュシッポスが主張するように、運命によって全ては動かされ支配されており、運命の連続と回転は避けられも妨げもされ得ないとすると、人々の罪過も過誤も怒られるべきではないし、彼等自身つまり意思に帰するべきでもなくなってしまい、むしろ運命に由来する何らかの必然と強制に帰され、これが万物の支配者であり指導者であり、何であれ将来あることはこれによって必然的に引き起こされるということになる。そしてそれ故、加害に対する刑罰が法律によって定められているのは不当だということになる、人々は悪行に自分で赴くのではなく運命によって運ばれるのだということならば」  これに対してクリュシッポスは沢山のことを弁護し丹念に論じたのである。しかし、この問題について彼が書いたほとんど全てのことに関わるのが次のような教説である。彼は言う「何らかの必然的で支配的な理によって運命に万物は引き起こされ結びつけられているというのがその通りだとしても、しかしそれでも我々の精神の性格そのものが運命の支配下にあるのであり、それはその特性や性質がそうであるのと全く同じである。つまり、それが本性上初めから健全かつ有益に作られたとしたら、外部の運命から侵入したあの全ての力をもっと妨げられずつかみやすい形でもたらすことだろう。実際、乱暴、無知、粗野にされ善い学芸からの助けに全く支えられなかったら、運命付けられた不具合との摩擦によってたとえほとんどあるいは全く駆り立てられなかったとしても、それにもかかわらず卑しさと意図的な衝動によって止むことのない過誤や過ちに陥るのである。まさにこうしたことがこの理によって生ずるということを「運命」と呼ばれる物事のあの自然で必然的な連続が引き起こすのである。つまり、悪い性格が過誤や過ちと無縁ではないということはそれそのもの自体として運命付けられ連続するものなのだ」  それから、いつもこうしたことの例として神かけて全く疎遠でも場違いでもないものを用いるのである。彼は言う「例えばこういうことだ。もし円筒状の石をきつく傾斜した路面に沿って投げるなら、この石が落下する原因であり起動者であるのは君であろうが、しかしながらその直後にあの石が前に転がるのは君がまだそうしているからではなくて、むしろそのあり方つまり丸い形がそもそもそういうものだからである。ちょうどそのように、秩序も理も運命の必然性もまさにこの種のものつまり主導的な原因を動かすのだが、実の所我々の思考と精神の衝動や行為そのものは意思が各人の特質や精神の性格によって制御するのである」その後で次の言葉を引用するのだが、これは既に触れたことと調和している。   それ故ピタゴラス派の人々もこう言ったのだ。   君は知るだろう、人々の被る不幸は自ら選んだものなのだ、なぜなら、害悪は各人自身の権内にあるわけだし、衝動に従って彼等は過誤を犯し、害を加えたのも彼等の思考と発案によるのだから  それ故、役立たず、怠け者、狼藉者、乱暴者の言うことを聞いて受け入れてはならないと彼は言うし、過失や悪行を咎められるとまるで寺院のどこか隠れ家に入るように運命の必然に逃げ込んで、自分等のしたことは最悪だがそれは自分の至らなさのせいではなく運命のせいなのだと言ってのける連中もいけないという。  さて、古のことを最初に述べたのはあの最賢最古の詩人であり、次の詩句で表現している(『オデュッセイア』1.32-34(呉茂一訳))  やれやれ、一体まぁ何として人間どもは神たちに責をきせるのか、  災禍はみな、わしらのせいで起こるのだという、ところが実は  自分たち自身の道に外れた所行ゆえ、定めを越えて難儀をするのに。 Gellius,NA. 7.2.15=SVF.2.977  このように、マルクス=キケロは運命についてまとめた著作の中で、まさにこの問題はひどく分かりにくく込み入っていると述べた際に、哲学者クリュシッポスもこの問題においてはうまく言い表していないと次のような表現で言っている。クリュシッポスは熱血漢で労作家ではあるが、運命によって全てが引き起こされ何かそのようなものは我々のうちにもあると何とかして説明しようとしてこのような困惑に陥っている、と。 Gellius, NA. 8.6 = FHSG. 543.  些細ないざこざの後で好意が回復した時には、互いに不平を言い合うことは全然得策ではなくなる。この問題については、タウルスの言葉によっても表明されるし、テオプラストスの本から引かれた言葉もそうである。それから、マルクス=キケロが友情に関わる愛情について考えたことも彼の言葉そのものと一緒に加えられている。 第9巻 5 Gellius, NA. 9.5.5 = SVF.1.195  ゼノンの考えでは快楽は善悪無記である、つまり中間のもの、善くも悪くもないものである。それをギリシャ語の単語そのものでは善悪無記物と言う。 10 アンナエウス=コルヌートゥスがヴェルギリウスの詩句を下びた嫌らしい非難で汚したこと:ヴェルギリウスはヴェヌスとヴルカンの同衾を廉恥心をもって暗示的に書いたにもかかわらず Gellius, NA. 9.10.1 = FDS. 246  (1)詩人アンニアヌスは、同じミューズに使える多くの者達と共に、あのヴェルギリウスの詩句に最大の賛辞を送り続けている。つまり、ヴルカンとヴェヌスが、結婚したのだから当然に、一緒に交わったのだが、それは自然の掟に則ると隠した方がいいというので、大変な廉恥心から表現を変えて隠して表し描写した。(2)彼はこう書いたのである。             こんなことを言ってから  望みの抱擁を何度も与え、やさしくしてほしいと  妻の胸の中に沈み込んで、四肢で眠りを請うた (3)しかし、もっと簡単なことではないかと考える人々もいる。このようなことを語るなら、一つかもう一つの短い微妙な語を用いればよく、そうやって間接的にほのめかせばいいというのだ。つまりはホメロスが述べたようにすればいいというのだ。「乙女の帯」「寝台の掟」「愛の業」などと。(4)あの方はこれほど多くの、これほどあからさまな言葉を用いているのは事実だが、それでもあけすけではなく、むしろ純粋で気品すらある。秘められた清い同衾をこんなふうに語った人は他には誰もいない。  (5)しかしながら、アンナエウス=コルヌートゥスは、確かに他の多くの点では無教養でも無思慮でもないのだが、『比喩的文章論』という書の第二巻では、折角まさにこうした廉恥心全てが何にもまして賞揚されているのに、どうしようもなくつまらない愚劣なあら探しを加えて台無しにしてしまった。(6)つまり、この類いの比喩的な表現をよしとして、よく注意を払いながら作られた詩句だと言っておいてから、「しかし「四肢」という表現はちょっと無造作だ」と言っているのだ。 第11巻 12 Gellius, NA. 11.12.1 = SVF.2.152 = Diodorus fr. 7 Giannantoni  クリュシッポスは言う、全ての語は本性上多義的である、同じ語から2つあるいはそれ以上のことを受け取ることができるのだから、と。しかしディオドロス、クロヌスというのが彼の綽名だが、は言う。「いかなる語も多義的ではないし、多義的なことを言ったり聞いたりする人もいないし、何ごとかを言った人が自分でそう言ったと思っていること以外のことが言われていると思ってはいけない」また彼は言う「ところで、私があることを意図し(て発言し)、君はそれとは違うことを受け取るという場合、そのことは多義的にというよりむしろ曖昧に語られたと見ることができる。というのも、多義的な語の本質は、誰であれそれを語るならば2つあるいはそれ以上のことが語られる、というあのことでなければならないからである。しかし、自分では一つのことを意図しているのに2つあるいはそれ以上のことを言ってしまうなどという人は誰もいない」 Gellius, NA. 12.5.4 = SVF. 3.168  彼は言う、苦痛の厳しさがそれほどだとすると、…嫌がる人を無理やりに苦悶させるほどに…、なぜ苦痛はストア派の人々のもとで善悪無記なものと言われ、悪とは言われなかったのか。さらに、なぜストア派の人が何かを強いられたり、苦痛が何かを強いたりすることが可能なのか、苦痛は何も強いず、賢者は何も強いられないとストア派の人々は言っているのに。 Gellius, NA.12.5.7 = SVF. 3.181  彼は言う「我々を産んだ万物の本性が、我々にまとわせ、常に原理そのものの中で(またその原理によって我々も生まれたのだ)育てたのが我々のもつ愛情と好意であって、これは全くその通りであるので、我々自身以上には何であれより親密なものも重大なものもないほどなのである。そしてここからして、この本性は人類が永続することの基礎であり保たれるべきものであるとみなされたのである、誰であれ我々の一人一人が、光へともたらされるや否や、こうした事柄の第1の意味(これは古い哲学者たちによってギリシャ語で「自然に従う最初のもの」と呼ばれたのだ)とその状態を受け取るのだとしたら。言うまでもなく、自分の身体に便宜のいい全てのものには喜び、不都合なものからは遠ざかるというようなことである。その後、自分の出生から始まった年齢が増加するにつれて思慮を用いることを考慮すること、美徳や利得を、また便宜や不便宜についてもより精妙かつより確実に観想することが好まれるのは当然なのである。また、このようにしてその他全てのものよりも前に光を放って輝いたのは立派さと美徳のもつ威厳であって、もしこれを保って持ち続けるべきだということに外から何か不便宜が抵抗したとしてもそんなものは避難されたのである。美徳でなければ何も真にまた純粋に善ではなく、汚涜でなければ何も悪ではないと考えられたのだ。中間にあり美徳でも汚涜でもない残りの全てのものは善いものでも悪いものでもないということが原理とされている。しかしながら、それぞれ価値を押し進めるあるいは引き戻す度合いはその都度区別され分けられており、それをギリシャ語で「優先物」「非優先物」と彼等自身が呼んでいる。それだから、快楽と苦痛も、幸福によく生きるという目的そのものに関わるのではあるが、中間のもののうちに残され、善いもののうちにあるとも悪いもののうちにあるとも判断されなかったのである。 28  哲学者パナイティオスの教説について。『義務論』第二巻に書かれていることだが、人は全ての状況において不正に用心するよう心がけ備えねばならないと忠告している。 ↓ Gellius, NA. 13.28 = Panaetius 116 Straaten; 87 Alesse  (1)哲学者パナイティオスの『義務論』第二巻はよく読まれている。マルクス=キケロも大変な熱意と努力を払って張り合った名高い三巻本の一巻である。(2)そこでは、よい人柄がそなわるように教導する他の多くの言説と共に、心に保たれているべき最重要の教訓も書かれている。(3)さてそれはほぼ次のような言説に対応している。彼は言う。「人が物事の直中で生を送っており、自分自身とも身内の人々とも良好な関係を望むとしたら、そのような人々の人生は、次々と生じる、いやほとんど日常的とも言える予期せぬ困難や危険を耐えねばならない。こうした事柄に備えまたそれを避けるためには、心に常に張りと備えがあらねばならない。ちょうど「総合格闘家」と呼ばれる競技者たちがそうであるようにである。(4)つまり、彼等は試合に召集されると、腕を上に延ばして立ち、相手に向けた腕を壁のようにして自分の頭や顔を防御するのである。彼等の四肢全ては、相手の拳が動く前に、打撃をかわし対処できるように備え用意しているのである。同様に、思慮ある者の魂や精神もいつどこでも不埒な不正や暴力に対する予期をし、注意深く、しっかりとし、防御を固め、目を開けたままで閉じず、鋭い注意を決して逸らさない。判断力や思考力も、格闘家の腕や手のように、偶運という鞭や、敵の罠に対抗して延ばされていて、予期せぬ逆境において、我々が備え予防していない時に物事が急に起きないようにするのである」 Gelliius, NA. 16.2.1 = FDS. 59  弁証という学問にはこういう慣わし(法)があると言われている。何事かについて探求がなされ論議が起こり、君が何かを答えるべくそこで訊ねられたとしよう。その時、訊ねられたそのことだけを肯定するか否定するか以上の余計なことを言ってはならない。この慣わしを守らず、訊かれた以上のことや別のことを答えた人は教養がなく、問答(弁証)の心構えや理論を弁えていないとみなされる。 Gellius, NA. 16.8.1 = SVF.2.194  (1)我々が弁証法という学問に手をつけ身につけようと思うのであれば、弁証法の専門家達がギリシャ語で入門と呼ぶものをとって学ぶのが必然であった。(2)次に、最初に学ばねばならなかったのはギリシャ語で言うところの命題というものだったので(マルクス=ヴァロはラテン語である時はこれを発言されたものと、ある時は語られたものと呼んでいたのだが)、我々はルキウス=アエリウスの(学識豊富な人で、ヴァロの先生でもあった)『陳述注解』を一生懸命捜しまわり、パクス市の図書館で見つけて読んだのである。(3)しかし、その中には事柄を詳らかにして教えてくれるようなものは何一つ書かれていないように思えて、アエリウスはどうやらこの本を彼自身が使うために書いたのであり、他人に教えるためのものではない要に見えたのである。  (4)それだから、我々はどうしてもギリシャ語の本に立ち戻らねばならなかったのである。その本から我々はギリシャ語で言う「命題」が次のような表現で定義されているのを学んだ。つまり「それが意味するところを表す、完全なレクトン」と。…  (8)…また総じて、意味するところを十分かつ完全に語り、必然的に真か偽である表現のことを弁証法の専門家達はギリシャ語で命題と呼んでいる。 Gellius, NA. 16.8.9 = SVF. 2.213  (9)しかし、ギリシャ人達がギリシャ語で連鎖命題と言っているもの、我々の間では総合命題と呼ぶ人々も、連結命題と呼ぶ人々もいるのだが、このようなものである。「もしプラトンが散歩しているなら、プラトンは動いている」「もし昼であるなら、太陽は大地の上にある」 ↓ Gellius, NA. 16.8.10 = LS. 35D = FDS. 967  (10)同様に、あの方々がギリシャ語で結合文と呼ぶものを我々は「連続文」とか「連結文」と呼ぶのである。例えばこのようなものである。「プブリウス=スキピオ、パウルスの息子、二度執政官になり、勝利をおさめ、戸口監察官を務め、戸口監察官ではルキウス=ムンミウスの同僚だった」しかし、全ての結合文においては、何か一つでも虚偽があれば、たとえその他が真実でも全体が虚偽となると言われている。 Gellius, NA. 16.8.12 = LS. 35E = FDS. 976  (12)同様に他にもギリシャ人達がギリシャ語で「引き離された文」と呼ぶものを我々は分離文(選言文)と呼ぶのである。それはこういうものである。「喜悦は悪いものか、善いものか、善くも悪くもないものか、のどれかである」さて、「分離」される要素は全て互いに矛盾していなければならず、それらに矛盾対立するものもまた(それをギリシャ人達はギリシャ語で「反対に置かれたもの」と言っている)それ自体互いに矛盾していなければならない。「分離」される全ての要素のうち一つは真で、その他は偽でなければならない。仮にもし、全ての要素のどれ一つ真ではない、または全てあるいは一つ以上複数の要素が真である、または「分離」されたものが矛盾対立していない、という場合、それは選言としては虚偽の文であって、彼等もギリシャ語で「亜分離分」と呼んでいる。それは例えばこのようなものである。対立する要素が矛盾対立していない文:「君は走っているか、歩いているか、立っているかである」つまり、確かにこの文の要素は互いに矛盾しているが、要素に対立するものは矛盾しない。すなわち、「歩いていない」「立っていない」「走っていない」は相互に矛盾していない。同時に真でありえないものが「矛盾したもの」と言われるのだから。なぜなら、歩いてもいないし立ってもいないし走ってもいないということが一挙同時に君は可能だから。 Gellius, NA. 18.1.4 = SVF. 3.56  しかしながら、ここでストア派の人が考えたところでは、幸福な生をつくり出せるのは人間の魂にそなわる徳だけであり、最高の悲惨をそうするのは邪悪だけであるが、このことはその他の全ての善いもの、身体的なものとか外的なものとか呼ばれるもの、があっても、徳を欠いており邪悪があるとすればその通りなのである。…  (6)ここでストア派の人は反論し、あの人が二つの別のものを提示したとでも言うように、驚き呆れたのである。つまり、邪悪と徳は二つの極端であるから、悲惨な生と幸福なそれも同様に極端であり、どちらにおいても対立する極の力と本性を保たない[などと言い]、さらに生を幸福なものとすることには邪悪だけで十分効力があると主張し、幸福な生を保つためには実に徳だけでは十分ではないなどというのだから、というわけである。要するに最大限に不一致であり同意がされていないと彼が言うのは、生はただ徳を欠くならば全くどうやっても幸福にはなり得ないと認めながらも、この同じ人が逆に、ただ徳さえあれば生は幸福になるということを否定するということであり、徳を欠く人に与えたり持ったりしたその同じ名誉を乞食や指導者には認めない、ということなのである。 第19巻 1 或る哲学者の解答 ;どういう理由で海嵐に青ざめたのかと問われて  (19.1.1)私達はカシオパからブルンディシウムへとイオニアの海を航海していた。海は荒れ、広大なイオニア海は乱れ狂っていた。(2)そして、初日の次の夜、ほとんど一晩中風が横殴りに荒れ狂って船を波で満水にした。(3)それからその後、我々全員が泣き嘆きながら一杯にたまった浸水の中であくせくしていた所、ともかくも何とか日の出となり明るくなってきた。しかし、危険にしても荒れ狂う風にしても一向に減ることはなく、それどころか嵐はさらに休むことなく襲いかかり、空は黒く、霧はいくつも塊をなしていて、「テュポン」と呼ばれる何やら恐ろしい形をした雲まであり、それらが我々を付けねらって脅かし、ついには船を転覆させるように見えた。 ↓ Gellius, 19.1.4 = FDS. 366 (4)この同じ船にはストア派の哲学者で高名な方が乗っていらした。その方にはこの私自身アテナイでお目にかかり、ひとかどの威厳を備えたお方だとお見受けしたのである。事実、若い弟子達を抱えて非常に可愛がっておられた。(5)ともかくその時、こんな危ない状況で、空も海もさっき言ったように荒れ狂っていたのだが、私は目で彼を探していた。どのような心持ちでおられるのか知りたかったのだ。果たしてびくともせず怖がらないでおられるのかどうかと。(6)そしてそこでこの方をよく見てみると、彼は青ざめて震えていたものの、嘆くことは全くなく、他の人々とは全然違っていた上に、何であれそのような声も何一つ立てていなかった。しかし顔色や表情の乱れはその他の人々とそう変わっていなかった。(7)しかし、空が明るくなり海も穏やかになって、あれほど炎を上げていた危険が燃え尽きてしまうと、このギリシャ人ストア派哲学者に近付いて行ったのがアジア出身のとある金持ちだった。彼は、見た所、大層優雅な雰囲気で、荷物も連れも色々と引き連れていて、その人自らも心身共に大変魅力に満ちていた。(8)この人がまるで嘲笑うかのように言った。「これはこれはどうしたことですかな?哲学者先生!危ない目に遭っているのはともかく、他ならぬあなたが怖がって青くなっておられますとはねぇ。どうしたんですか?私は恐がりも青ざめもしなかったのにねぇ!」(9)哲学者は、彼に答えるのが得策かどうかしばし躊躇してから言った。「たとえこの私がこれほど恐ろしい嵐の中でほんのちょっと怖がっているように見えたとしても、君には私がこんなふうになっていることの理由を聞く値はないよ。(10)でもまぁ君にはアリスティッポスがね、あれだ、ソクラテスの弟子だよ、私の代わりに答えてくれるさ。彼も、同じような時に、君にとてもよく似た人に訊かれたんだよ。哲学者のくせしてなぜ怖がっているのかとね。その人は逆に全然怖がっていなかったというのに。私と君と、同じ理由でこうしているのではないと彼は答えたのだ。というのも、その男の方は、そんな何の役にも立たない屁みたいな人間が命を落とそうが何も全く心配する必要もなかったのに、ところがあの方はアリスティッポスの生命を心配しなければならなかったからだな」  (11)そんなことを言ってこの場はこのストア派先生、あの金持ちアジア人を追い払った。(12)しかしその後、ブルンディシウムに近付き、風も波も穏やかになると、私は震えていたその理由は一体なんだと彼から聞き出そうとした。彼は、ちゃんとした物言いをしてこない者にはそれを答えようとしなかったのである。(13)すると彼は私に穏やかな口調で丁寧にこう言った。「君はよほど聞きたいようだな。ならば聞きたまえ。まさにこうした短い、しかし避けられない自然な怖れについて我等が先人達、つまりストア派の創始者達が何と考えていたかを。いやそれよりも」と彼は続けて。「読みたまえ。読めば、もっと楽に納得できるしよく覚えられるよ」(14)そしてそこで目の前に自分の手荷物から取り出したのは哲学者エピクテトスの『語録』で、アリアノスがまとめたものだが、もちろんゼノンやクリュシッポスの著作に合致している。  (15)この本は言うまでもなくギリシャ語で書かれているが、その中にこんな言説を読むことができる。「心象(哲学者達はこれをギリシャ語で「表象」と呼んでいる)は、人がまず最初に何かを見ることになった際に、これによって彼の魂が心にその物事を押し付けるものであるが、意志のすることではなくまたどうにでもできるものでもない。むしろ、それ独自の力でそれそのものの認識を人間に押し付けるのである。(16)しかしながら、承認(これはギリシャ語で「同意」と呼ばれる)は、まさにその心象をそれによって認識するものなのだが、意志によるものであり、人間の力でどうにでもできるものである。(17)それゆえ、何か恐ろしい音――空からでも倒壊する建物からでもいい――、あるいは何でもいいが何か危険の思いがけない知らせ、あるいは何かその他そのようなものが起ると、賢者といえどもその魂は短時間ながら動かされて畏縮し、蒼白とならざるを得ないが、それは何か災悪を予期した信念から来るものではなく、何らかの急速ででたらめな運動、精神や理性のなすべきことを妨げる運動によるものである。  (18)ところが、かの賢者はギリシャ語で言う所の「この種の表象」、つまり彼の魂を脅かすそれを是認せず、つまりこれもギリシャ語で言うと「同意も確意もしない」のであり、拒絶して撥ね退け、その内に恐れるべきものを何一つ認めないのである。(19)そして、これが愚者と賢者の魂の間にある違いだと彼等は言う。つまり、愚者は自分の魂に最初の打撃があるとそれは自分にとって過酷で厳しいものであると見えてしまい、そしてそれらが実際にもそのようなものであるとみなし、当然恐れるに値することがその通りに生じたのだと思い込んで、それをまた同意によって承認し、ギリシャ語で言えば「是認する」である。ストア派の人々はこの問題を論じる際にこの単語を用いているのである。(20)しかし賢者は、ごく短い間ほんのちょっとだけ顔色や顔つきが動揺するにしても、ギリシャ語で言うならばこれに「同意しない」のであり、この種の表象像について自らが常々抱いている考えを確固として強力なまま保持するのである。つまり、こうしたものは少しも恐れるに足らず、偽りの見せかけと中身のない恐ろしさでおびえさせるだけのものだ、とみなすのである」  (21)こうした事柄を哲学者エピクテトスはストア派の教説から感じとり語ったのであるが、それは私が述べた本で読むことができる。 ↓ このことが注目に値するのもこの理由からだと思うのだ。つまり、私が述べたような類の物事が起ってほんのちょっと怖がったり青ざめたようになるのは決して(専ら)愚かで怠惰な人間のすることではないと言うべきであり、この短いが自然な動きに我々が陥るのも(人間本来の)「弱さ」によるもので、当の物事が見える通りに本当にそうあると考えるからではないのである。