ピロデモス『ストア派人名録』
Col.1
…彼の魂に関する証拠を探し求めたのであれば、人は何かよりよいものを他に得られたであろうか。こうした事柄に応用することを念頭に置きつつ、立派なものや醜いもの、また同様によいもの悪いものについて彼が下した判断以上に。というのも方やエピクロス派のアポロドロスは2つの書の中で…
Col.2
カサンドラのアポロドロス[のように]、甚だしく不正でありながら義しい人々であると、またピレタイルのハルパロスのように、不敬でありながらそうだと、…ヘルミアスの博学者メントールに対して…
Col.3
…手稿を…しながら。それは『近親学派指導者論』というものである。この書の大部分に亘ってこうした事柄に躍起になりつつ、既に紹介したように、思うところを個別に書き、こう言ったのである。「希にゼノンは自らを俗事に委ねたが、それは肉体の柔弱さの故であった。これは『饗宴覚書』の中でペルサイオスが物語っている通りである。…」
Col.4 = SVF. 1.42
この点だけではなく、恥知らずな論点を嘲笑し、ある点に関してゼノンがなした取り繕いを怪しんで、別のところではそんな論法など「指先一つで反証される」と言っている。ペルサイオスやピロニデスによるならば、最も近しい人々にも彼等と類似の者達がいた。しかしゼノンの『国家』は…
Col.5
このことを聞いて。彼は言った「一体、…を与えられる者が誰かいるものか。3羽の不死鳥のことすら語ることができないのに」彼は言う「しかし、こんなことはどちらでもいい[無記の]ことだし、空気の詰まった小袋も…というのは…ということ…
Col.6
[ゼノンは]無花果を喜んだし、日光浴も喜んで熱心にしていた。というのも、こうしたことは頌歌のために場所を割かれるに値するし、通俗的な埋葬を行うことも…第2…
Col.7
舞踏家達や身振り芸人達の側に非常に快くまた快活に制作された。というのも、言葉のうまい人を我々が称揚しない限り、調和のとれた人の前に我々はいる…
Col.8 = SVF.1.25
「あなたは舌足らずの子や門徒を小姓にしているが…。王はこう言っている、あなたをどこに置くかさっぱり分からないのだが、まさか金物屋にするわけにはいかないだろう。というのも、そんなひどい者は、三助に指図することもできないだろうから」そして、ゼノンはこの異人達を見やってこう言った。「君達は何を言っているのか…
Col.9 = SVF. 1.24
…すなわち、あの人に対しては、まるで等しくまた同様の者に対するようにして、自分には快い競争心を置きつつも好意は抱いていたし、その人には驚嘆し、並々ならぬ賞賛を与え…
Col 10 = FDS. 131
ゼノンに明らかだとは思えない。パイニアスの子、アッソスのクレアンテス。学派を受け継いだ人でもある。テオパントスの子ディオニュシオス。アンティゴノスが書いているところによるとヘラクレイアの人。「転向者」と呼ばれた人である。ミルティアドスの子、キオスのアリストン。善悪無記こそが「目的」だと主張した人だが、その他の点では師に従ったように思われる。…
Col 11 = FDS. 131
…(賞賛?)された本。シドンのゼノン。「若いゼノン」と呼ぶ人々もいる。ちょうど、クリュシッポスも『秘密論』でこの人を呼んでいるように…
Col 12 = FDS. 131
ソロイのアテノドロス。スピンタロスの子ヘカタイオスは彼を返した。さて、ゼノンの下にいた弟子達の中で最も愛されたのはペルサイオスだった。とはいえ、彼はゼノンと一緒に生活していたのであるが。また、ある人々の書いたものによると、ペルサイオスはゼノンに育てられたのであり、ゼノンの家で生まれたということである。…ディオゲネス…
Col. 13 = SVF. 1.441 (Persaeus)
この原因となったのは、既に高齢となっていたゼノンから離れてアンティゴノスに付き添い、こうして転々とした生活をしてしまい、哲学の人生ではなく宮廷人としての生涯を選択してしまったからである。ここからして、人々自身や都市も…
Col. 14 = SVF. 1.441 (Persaeus)
アンティゴノスは、彼が外遊中に…しかしながら、アリストポンに慈悲を乞うたので。…
Col. 15 = SVF. 1.445 (Persaeus)
これらに守られてトラキア人達をはねつけた。しかし、非常に大勢が対峙し全方向から彼を取り囲んだので多くの傷を負い…自らを、つまり命を投げ出した。しかし、船に向かう場所から…へ…と言った人々もいた
Col. 16
…されたヘルミッポスの好評に対して、『哲学から権勢に移った人々』という書の中でこう書かれている。…の生…ゼノンの弟子であったが…
Col. 17 = FDS. 131
ゼノンの他の弟子達や、クレアンテス、クリュシッポスの徒達[の全員を?]…[挙げる?]ことができ[ない?]…。ましてや最初から学徒を辿るとなればなおさらであると思う。パナイティオスの教えを受けた、ロドスのストラトクレスが書いた書物[がよいだろう?]。さて彼はこう言っている。かつてクレアンテスは拳闘家だった…
*[]内はヒュルザーの想定。
Col. 18 = FDS. 131
Col. 19 = SVF. 1.468 (Cleanthes)
…決めた額を持って来なかったじゃないか」と言って、次の日も赴いて同じことを言い、受けたものに報いる額を返すまでそうやったのだ。そして、その全額を、せっかく返してもらったのに、後から女達に命じて返させた。それだから、この人を、金好きにもかかわらず裕福でないと馬鹿にした人々もいた。
Col. 20 = SVF. 1.473 (Cleanthes)
同種のもの…ゼノンにもこのようなことについて語った…そしてゼノンは…よく言…先行する哲学者達に対して、またある好意的な人々の…
Col. 21
その前に少々考察して、大衆の意見に身を任せ、こう言った。「否、…人々…配慮…
Col. 22 = SVF. 1.471 (Cleanthes)
帰らせた。さて、アルケシラオスと対話して、好調の最重要な部分はただ一つのことにあると言った。つまり、自分の事柄をよく考慮することだ、と。そして、アルケシラオスが同意したので、自分の考えを示した。いずれにせよ、両者ともソシテオンに関しては多くを語らなかった。しかしあの人は…
Col. 23(欠損激しく翻訳不能)
Col. 24 = SVF. 1.472 (Cleanthes)
そしてこのために多くの人々と交際した。ある者がこう報告した。「これなる者がクレアンテスであります。灌奠酒をその都度ちびちびとささげ、弁説を長々と述べた、と言ってよいでしょう。その気がなかったのか、できなかったのかそれは存じかねますが」その後で、彼がたまたまその場にいたとわかったので、最初に述べたことに関して何事かを言い、共…
Col. 25
向け変えられ得るので、再び自分自身に帰った。人々は彼を重々しく厳格な人だと思いはした。…に…
Col. 26 = SVF. 1.476 (Cleanthes)
…。人生を全うする直前に、唇のあたりに発疹が生じて彼を襲った。医者はこの発疹を悪性のものだと考えて…みっともないとも…知人や弟子達を…達の周りに…
Col. 27
追い求めることはもはや彼自身に相応しくない。それは、生への執着であり、卑屈なことである」こう言って、幸福なまま…脱…
Col. 28 = FDS. 131 = SVF. 1.477 (Cleanthes)
外からではない…達を…達の…20…覚…法の…少なからず[苦しんで?]人生から離れたのは、イアソンがアルコンだった頃であった。
Col. 29 = FDS. 131 = SVF. 1.426 (Dionysius); 477 (Cleanthes)
クレアンテスが生まれたのはアリストパネスがアルコンだった頃で、彼は32年間学頭を受け継いでいた。…そこで転向者ディオニュシオスは…
Col. 30 = SVF. 1.426 (Dionysius)
中央に大声で、それはまたとりわけ他の人々が黙って怖がっているのを見た時にであった。しかし、人々は同じように留まっていたわけでも同じように混乱していたわけでもなかったので…剃刀…しばしば…勧…
Col. 31 = SVF. 1.446 (Persaeus)
留まっている人々の話を聞いて変え…。それだから、ペルサイオスがある人に、快楽に転んだとはそいつも腐った奴だ、と言った時も、そのわけは、以前は極端な苦痛で死ぬという教説を聞きたがったという話だが…
Col. 32 = SVF. 1.427 (Dionysius)
苦痛は避けるべきであり、しかし快楽は選ぶべき目的である。それで彼は多作家にもなったのであり、およそ八万行も書いたのである。そして、多くの人々は、彼の書き物に従うのは馬鹿げたことでもなければ到底できないことでもないと思いはしたが…
Col. 33 = SVF. 1.335 = FDS. 131
友人達を抱擁して、長い間座っていて生涯を終えた。しかし実際、少なくともキオスのアリストンに関しては…これら…
Col. 34 = SVF. 1.336
悲劇の…の人家…浄め…だけが、また何かこのようなことが語られるのは恐らく我々によってのみならず…より…なものを言い…あたかも…文字…ためらわなかった
(アルニム)
悲劇の書の人家。しかし、ただ一つのことが理性に調和し、何かこのようなことが語られるのは恐らく我々によってのみならず…
Col. 35 = SVF. 1.336 (Aristo)
言葉で大変な忍耐と気概を追求し、ちょうど詩人がアテネを語るように、各々があたかも…
Col. 36 apud Arnim = SVF. 1.410 (Herillos)
ヘリロスは、アポロニオスの言う所では、最も有名な…
Col. 37 = FDS. 131; 160
アポロニオスの言うところでは有名な…最も有名な学派になった。クリュシッポスはアポロニオスあるいは…の子で、ソロイの人。クレアンテスの弟子になり、スパイロスと同学徒だったと言われている。…
Col.38 = SVF. 2.2 = FDS. 160
そして、他の事柄も同じようにしたものだった。さてそこで、学校に進軍して来るのもいつも同じ時間だったし、撤収するのもそうで、常連達の誰一人として期待を裏切られなかった…さて実際…別の…
Col.39 = SVF. 2.2
より少ない…この人によると…正義に関する書物を、また他の人々にも彼の思うところを…。その…に…日をしのぐ…
Col.40 = SVF. 2.3
そういう呼吸に関しては彼は強壮で、生涯の若い頃の戦列に踏みとどまっていた。というのも、溲瓶が必要な時でも、溲瓶を置いてくれと彼に言われるはめになった者は誰もいなかったからである。どうしてもという時にはまるで健康な人のように自分で起きあがって自分の…
Col.41 = SVF. 2.5
…とりかかって。しかしこう言われている。誰も、あのお方が、たとえ短い間でも、聴講者や熱狂的な弟子達以外の誰かといるのを見たことがないし…ので、…一緒に生活したまえ。…
Col. 42
言われた…で…しかしながら、生き…
Col. 43
対…
Col. 44
一年中…対…あの人に…ように…告げて…そして三[年?]この人に…対話して…
Col.46 = SVF. 2.12 = FDS. 160
…十分で。ソロイのヒュロス。彼はまずスパイロスの学徒にもなった、とアリストクレオンは『クリュシッポスの墓』で言っている。テムノスの人ディアパネス。彼は…
Col.47 = SVF.2.12 = FDS. 160
(−?)クシストラトス、テオン、アマランテウス、ティモストラトス、ノエトス、アペレス、ラオダマス、アリストブロス、メネクラテス、ヘラクレイデス、スパイロス、アルケポン、アリストクレス、ディオドロス、ディオクレス、メトロドロス、ニュンピス、ヘレアス、アナクシゲネス、…、クレオン
Col. 48 = FDS. 163
そして五つをヒエロニュモスに向けて(『ヒエロニュモス論駁』という五巻本を?)。しかしそれらはうまくいかなかったと言われている。彼の弟子になったのはまず、アルテミドロスの子、ティグリスはセレウキアのディオゲネス。この人がゼノンから学派を継いだ。そして、…の子、タルソスのアルケデモス。
Col. 49
…であると。しかし…言う人々もいた…そこから…
Col. 50(欠損激しく翻訳不能)
Col.51 = FDS. 163
ムナスタルコスの子、アレクサンドリアのトロアスのムナサゴラス。ニカゴロスの子、ロドスのパナイティオス。オネシモスの子、アテナイのムネサルコス。アンドラマコスの子、アテナイのダルダノス。ティグリスはセレウキアのアポロドロス。シドンのボエトゥス。…ビテュニアの…
Col.52 = FDS. 163
娘の息子。そしてこの人はアレオパギテスにもなった。スミュルナのアポロニデス。エジプトはアレキサンドリアのクリュセルモス。キュレネのディオニュシオス。この人は非常に優れた地理学者だった。また、弁論家デメトリオスに対抗する書を書いた。…
Col. 53 = FDS. 163
聴講し、アンティパトロスから学派を継いだ。アンドラマコスの子、アテナイのダルダノス。この人がパナイティオスから学派を受け継いだ。アテナイのアポロドロス。
Col. 54. = FDS. 163
ソシゲネス
Col. 55 = Alesse 1
非常に高貴な家系の出で…三人兄弟の長男として生まれ、もう一人を得て…
Col. 56 = Alesse 1
この人は、…の…、向学心故に一年間七艘船団に出征した。しかしながら、二人の医者が彼と共に離れてアテナイに行かねばならなくなった。彼等と一緒になり…共に離れてそのまま…
Col. 57 = Alesse 1
…揺らいだ…
Col. 58 = Alesse 1
…多くの人々をも…彼等と共に…され…
Col. 59 = Alesse 1
八千…また家付きの奴隷として五[年?]、そして酒杯を15ムナで、また別のを40ムナで…それから続けて、一年に300ムナを得、
Col. 60 = Alesse 1
[パナイティオスは]才能豊かなこともあって独自の活動をすることもできたのだが、あえてそうはせず、アンティパトロスの下に赴いた。彼がそうしたのは目的あってのことで、まだ[独自の学派を作る]用意がなかったからである。しかし、時と共に、方やアンティパトロスは老齢のために自宅に座ったまま講議をするようになり、他方パナイティオスは…[学派を?]導くように[学徒?]達に[請われた?]
Col. 61 = Alesse 1 = Straaten 57
そしてまた他の道に即しても。というのも、彼はプラトン好き・アリストテレス好きであること甚だしかったし、ゼノンの教説に何ごとか加え入れたのも、アカデメイア派や逍遥派の影響だったのであって、さらに…
Col. 62 = Alesse 1
各々に…魂を。しかし、政治に関しては正反対の見解に従った、…下…のように…を持つ[魂?]に…王制を…
Col. 63 = Alesse 1
ある時はローマで、ある時はアテナイで…また…に対する…を…
Col. 64 = Alesse 1
残りの[人々?]を…一人で戦い…互いに…対…好…
Col. 65 = Alesse 1
…求めた…
Col. 66 = Alesse 1
何についてかには関わらず、知りたいと思う者にはすすんで話をしたが、歴史・科学・哲学・政治を混合させていた
Col. 67 = Alesse 1
鍛練、節制に慣れること、知力に関する訓練は観想に関する仕事である。なるほど、たびたび彼に…また…
Col. 68 = Alesse 1
…しかしながら、アテナイではそれほど称賛されなかった。つまり、若かった頃にはオリーブの冠と特権を議決で与えられたが…
Col. 69 = Alesse 1
40才くらいで病気で天寿を全うした。さて、パナイティオスは文法家のアポロドロスをも…
Col. 70 = Alesse 1
…ない…我々は大柱廊に散歩しに行く…入口で…
Col. 71 = Alesse 1
…調和している限りは。葬送の際は最も有力な人々が、それは哲学者であることもあれば、詩人であることも、ようするに全ての人々が…
Col. 72 = Alesse 1
自分の持ち場…そして危機の祖国を救った。ここからして、多大な功績のために、第二の創始者であると言われた。そして…
Col. 73 = Alesse 1
ローマで生活し、パナイティオスが存命中にそこで生涯を終えた。アスクレピオドスの息子であるニケア人アスクレピオドスは、彼もまたローマに赴いた者だったが…
Col. 74 = Alesse 1
サウニア人マルキオスとニュシオス。ニュシオスは「真面目喜劇」という分野を考え出した人である。タルソス人パラモノス。ペイソン…
Col. 75 = Alesse 1
パポス人ソタス、アスカロン人ソソス、この人はテアノで生活し亡くなった。ビテュニア出身のデメトリオスとリュカンドロス…
Col. 76 = Alesse 1
ビテュニア人リュコン、ポントス人パウサニアス、クノソスあるいはクニドス人ティモクレス、メセネ人ダモクレス、スパルタ人ゴルゴス。さて、私はティブロンも知っているし…
Col. 77 = Alesse 1
パラモノスにパナイティオス[学派]入門を[許可した?]。また、タルソスのディカイオスにはゼノンの弟子になることを…というのも…
Col. 78 = Alesse 1
前者…[死?]んで、我等が友人プトレマイス人アポロニオスはダルダノスとムネサルコスの[弟子?]になって…
Col. 79 = Alesse 1
ストラトクレオスの息子…アレキサンドリアの…オンとテュリア人アンティパトロス、この人は最初はアンティドトスの弟子だった。さて、ゼノン以降のストア派の後継者は全学派をも…//
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