ピロデモス 『怒論』 1 (fr. 1)(53)…報復がなければ怒りは苦痛であると言われている。報復をなせるだけの力がないと、怒った人々はあらゆることに苦痛を感じるのである。それだから、心身が何に苦痛を抱くかということを理解している人は幸せである。… (fr. 2)…な人は誰であれ…他の人々の…に…不正をおかすであろうこと…するであろう…(10)…(20)…も… (fr. 3)…(10)…(20)…するものども…すなわちそれの…しかし、報復全般については新たなことは全く何一つ言われておらず、総じて…にはない…に…しかし…限りの… (fr. 4)…(10)…他の人々は、全く攻撃を受けてもいないのに、泣きながらも[感情に?]捕われる。それはちょうど、すべての人々に怒る人々の精神状態について人が言うように… (fr. 5)…へと…(10)…(20)…しかしもしまた…怒りやすい…(30)… (fr. 6)…外から…怒った時には狂人の目を持つというのだ。そして時には、閃光を放つことすらある。大半の詩人がこのことを詩に表しているように思われる。そしてそんな人々は(10)彼等が怒りを抱いている人々を睨み、いやもっと言えば横目で睨みつけ、実際、大抵の場合は赤らんだ顔をしている。ある者は血だらけになり、またある者は首をこわばらせて血管を膨らませ、唾液はひどく苦く塩辛くなり、何かそのようなことをしながら悪感情を抱くのである。 (fr. 7)…(10)…に… (fr. 8)…戸が閉じられているのに腹を立てて鍵を噛む人がいたら…対…でない…多くの人々に明らかなことだが、しばしば低いうなり声を何度もあげ、もし(10)石でも投げ付けようなものなら…それを…何とかして戸を粉々にしかねない…しかし…らの…見下ろした…各々…間に置かれたものどもさえも思いの(20)上では…どもに即して… (fr. 9) …もまた…あるいはまた…前進するもの…(10)それらを…あるいは…それを…彼等は話す…ただ…(ではなく?)しかし…も…(20)…再び… (fr. 10) …彼等は嘆く…安定した…また神かけて…(10)…不規則に生…あると言…もし苛…だったら…そこからして…によってではなく…奴隷たちにも…なもの…少なくとも自由人たちは(20)到達できると思われるものごとに。…同様にではなく…もし実際…他のものどもの…怒るであろう… (fr. 11) …既に…想定によって…無駄なものどもが…言説を…(10)… (fr. 12) …言われている通りだと思われる。つまり、必然ではなく、むしろ、想定が錯誤を作り上げるのである。これは、避けようがない事柄において人々が被ってきたことであるが。(10)つまり、ある人は、貧乏で奴隷を一人しか持っていないがその奴隷に苛立たされ、しばしばそいつに感情を害される。いくらかは算段能力が残っていて、然るべき利益がないことに苛立つのであろう。また別の人は、裕福であるが故に、しばしば腹を立て(20)人を罰する。王であれば何人もの首を跳ねるし、かつては裕福であった者が貧乏なのを見ることもあり得るし… (fr. 13) …とび上がることもなく…忍耐強い…家から除く…内で…また…最も高いところを…(10)…何もつけていないものに…もし誰かが出会ってこの人に言おうなものなら、この人には…言う…しばしば…しかしたまたま出会った(20)誰かが言った…しばしば…何もないのに、何か言ったか通り道にいただけの小姓をぶったり蹴ったりし、もし浴場に…同意し…しかし既に全ての事柄について忠告する…常に…しばしば… (fr. 14) …の場合は…全ての…(10)…被ったと思うにしても、それは少なくとも強いられたものではない。たとえ、被ったと思われるのは強いられたものだと考えるにしても、それがそう言われただけで、あらゆる認識や理論的な追求なしである限りでは…完遂されたもの…(20)我々が何かを払うにしてもそれは強いられたのではない。というのはつまり、一万の加害に一つの…あるいは加害の表象…である… (fr. 15) …ではない…(10)… (fr. 16) (p. 61)…ではなく…全く…つまり種々の思いなしによって(10)…しかしある人々にはない…怒りによってではなく…それらは首尾一貫している…全く、しかし…ない…首尾一貫はしたが…合わされたならば…(20)…しかるにそのような人の…らを…怒りを…そのような人がもつ性質が完全には習慣的ではないと分かっている限りでは、あるいは誰かそのような人の性質が同じではないか、ちょうど…もそうであるように、一致していない限りでは…衝動的になすのは(30)…から (fr. 17) (p. 62)…(10)ような…らを…強いられた事柄…本性上…(20)避…この…そのように…そうして… 2 (col. 1) これ…。すなわち、万人に明らかなことだが、このこともそうであると同様、あのことも悪い。しかるに、このような事柄を通じて試みられているのは、非難することは愚かなことだが、(10)常々なされているように多弁を弄してそうすることはそうでないということなのだ。 ↓ Philodemus, De Ira Col.1 = SVF. 3.470 さて、非難者達だけを責めはしたが(p. 63)、人々は他に誰もそうしないか、あるいは非常に少なくしかそうしないとすれば、つまり『怒論』におけるビオンや『感情論(治癒篇)』におけるクリュシッポスのようであるなら、(20)程々の立場をとったであろうに。 ↓ しかしながら、一般的な事柄、つまり伴って生じる災悪、を眼前に立てることは笑止で愚かなことであるとすると、この人は愚かで笑止である。 (col. 2) 自然の…情に…種々の算段の…。しかし、隠れている物事を推察する場合も(外に見える事柄は明白であるし、(10)感情を論じることのできる人には特にそうである)、我々を誤導することはないし、物事が自分の言う通りであることが万人に明らかである。また、性状について言えば、それは人々が引きずられ、そのせいで数えきれない災悪に巻き込まれるものであるし、我々も知っているように多くの場面でさらに災悪を作り出すのだが、(20)言論愛… 3 (col. 3) (3)(p. 64)…を…既に…全くの無知、忘れてしまったこと、(9)かけがえのない重要性を考えないこと、全体を見渡せないこと、といったことを素描し、目の前に立てては、大いに身震いさせるので、自分にそんなことがあったらと思い起こさせられて、回避が容易になるのである。というのは無論、たとえ程々に中庸を保ってであるにしても、(20)このことを付け加えるのは気高い哲学者達であるが、彼等はまた、我々ができるだけ怒りの感情に陥らないようにする方法も素描しているからである。ここからして、万人により明白なことを語りつつ裏付けた (col. 4) 医者達の中には、病の大きさや、病から生じる情態、また他の不具合や、時には危険を…ではあるが、(10)そもそも病人には分らないものもあれば、よく考慮しても分からないものもある。ここからして、回避することにもっと無頓着な人々は、あたかも自分達は程々の状態にあるとみなすわけであるが。しかし、医者は眼前にこれらを示して、彼等を治癒に向かうようにするのである。というのも事実、この段階では、(20)彼等は考慮を徹底しないこともあれば、きちんとした形でそうすることがないこともあるので、自分達を治癒に委ねようとは思わないのであるが、…の下で分かれば… (col. 5) …これもまた…今…しかし、治癒にほんのちょっとではなくより念入りな注意を払うように言う人々もいる。医者達がどうしても非難せねばならない原因となる物事に無知ではいけないし、それが大丈夫だとしても、等しく、怒りの大きさや、病、つまり種々の怒りに伴う種々の災悪もそうでなければならない。さて、バシレイデスやテスピスに関する怒りによって引き起こされるであろう災悪を、彼は決して明らかにしていない。それもそのはず、彼はそう思い込んでいるのだが、[怒りの]辛さには限度があるとしているのである。そして、このように盲目なので、名高い賢者によって制定された事柄をさらに検討するのが一層重要なのだが、容易に語る… (col. 6) …理にかなわない仕方で救う手段についての無駄話…というのも、病を避けることは不可能ではないが、(10)理にかなった仕方で救う手段だけを併せ要するべきだからである。我々の過った信念に伴う、魂の感情について言えば、種類も大きさも様々であるので、除去の要点は人がまとめて持っている害悪の(20)大きさや量を考慮することにある。たとえ…が知り得ない状態にあるとしても。…悪であり…でもあるので…これを避けることも可能である。それは最も恐ろしいものにしてもそうである。かくして、万人に明らかな通り、怒りは全き悪であり、(30)そしてこの故に批判者達の言うことはでたらめなのであるが、それだからまた… 4 (col. 7)…従って、異なる人々の性情にはそれぞれ異なる違いがあるので、人々が怒る前にそれらを用いるわけにはいかない。ティマサゴラスは、こうした人々は感情をよく考慮できないと言っているが、そうだとすれば、(10)我々は、肉体てきな特徴と認められる現象からも論証をなせるとはいえ、しかしながら必要なことは、怒りに我を忘れた人々に、彼等の考えることはおかしいと示すことである以上、混じりけのない悪そのものをよく考察する必要がある。これは、愛欲の場合に常々(20)我々がそうしているのと同様である。つまり、その場合、彼等に苦痛をもたらすもの全てや、一般にそれに伴うひどい不具合を数え上げ、時には苦痛になる害悪を個々に数え上げることもする。さてしかし、我々の主張では、怒りの徴候は(col. 8)非常によく似ている。もっとも、ひどく見くびられた人々がほとんどあらゆるものに怒るということもあるし、感情の徴候が若者にも年寄りにも共通しているということはないということに注意が必要ではあるにせよ。…(10)…に…(20)…あたかも、大燃焼や膨張、苛立ち、怒号、そしてできるものなら取っ組み合いでもして仕返ししたいという激しい欲望、こういったものから成り立っているかのように、(30)苦しめてくれた者のはらわたを巻き付けてやると言う者達や、あるいは、「精肉してやる」と言う連中の声のようなものを出したりするのである。さらには、不安定な運動が体に散見される場合に、例えば叫んだ拍子に肺が肋骨もろともはがれてしまうとか、息遣いが荒々しくなっていて、千スタディオン(40)走った人々顔負けであるとか、心臓の鼓動であるとか… (col. 9.18)四肢の痙攣と運動あるいは麻痺(20)、これらは癲癇患者にも生じるものであるが、こんなものに常につきまとわれてばかりいると、人生全体が破壊され、非常に永い時間を費やして悲惨を育て上げる羽目になるというのだ。さて、多くの人々に怒りはこうしたことや、こうしたことから派生する事柄を作り出すのだが、つまり、(30)肺が破れたり、肋骨が苦しくなったり、その他、死をもたらす類似の状態を産み出すのだが、このことは医者のところに行けばいくらでも聞くことができるし、こうした事態をよく観察すれば見てとることもできる。また、同時に、常に黒胆汁質に傾いている人々はその結果、しばしば心臓をも(col. 10)黒くし… (col. 10.15)…にと…不定…乱されてもそこそこの人々に。つまり、まさしく容易だったのである。しかし、少なからずこんなことすら起る。(20)つまり、病気で寝ているにも関わらずあっという間に跳び上がり、それも大抵は裸のまま、誰か知らんが追い掛け回し、もめごとを引き起こしては、怒りは大抵重大な徴候を伴うということの証左となる。また、たとえ寝台の上で安静にしていても、激しい熱と、魂の(30)惑乱とで、哀れな肉体を追いやって危険な変容へともたらすのである。ここからして、治癒者達は勧告を工夫して、怒りにとらわれた人々には、強い刺激に注意するように促し、常に怒りがちな人々には、怒りを動かしかねない物事を一切しないように言うのである。これは、(40)医者ならばできることである。 (col. 11)…血に汚れた逸話のうち似つかわしくない代表的なものによって、あるいは特徴のそれらで…、むしろ多大な災悪をもたらしうるもの−−事実何かと敵意を催すのが人間であり、(10)そのためにあらゆる企みをなすのであって、まさにそのために罰を科されても構わないのである−−それどころか苦痛に満ちた死すらしばしばもたらしうるものが、王侯や僭主達で同じような性格に陥っている連中と不用意に交わる時には、そのせいでもたらされるのである。プラトンの言う「性急で(20)軽々しい言葉に最重罰」というわけだ。というのも、一度放たれた音声を取り戻すことは不可能だからである。 5 (col. 12)…噛み付いてより酷いものにして、無茶苦茶なことすら言ってのける。(20)ついには石まで投げ付けかねなくなる。しかしながら時折、はるかに強力な人々の所にあってすら向かっていく(というのも怒りは区別を付けられなくするからである)。例えば、ティモクラテスも長兄のメントリデスに(30)刃向ったとメトロドロスは言っている。そして後にこの早まった行いにふさわしい過酷な報いを加えられたのである。また、彼等はそのような暴力をふるったばかりに、法によって下されるものの一万倍もの刑罰に陥るはめになる。暴力や刃傷沙汰で罪を帰せられた場合はそういうことになる。それは片や…へでも…共… (col. 13)…しかしまた…達に…また、打たれた側には全くほとんど害を加えることなく、しかし自分で自分にありとあらゆる暴虐を加えては、そのためにさらに腹を立て、(10)取っ組み合いをして狼藉を重ねるのである。つまり、言う必要もないことだが、別に仕返しをされたわけでもないのに、見境なく、柱や壁に先制攻撃し、墓穴とかそういう所に落っこちたりするのである。力が強くなったら強くなったで、立ち向かっていっては、よくあるように、(20)目を切ってやろうだの、鼻を噛みちぎってやろうだの、挙げ句の果ては殺してやろうだの思っていたのに、方や、法律や、一緒になって怒っていたはずの人々によって報いを受けるはめになったり、方や、祖国から追放されることになったりするのではないだろうか。際限なく怒りをたぎらせる人々に伴うのは… (col. 14)…理不尽なことをしたり、あるいは腹を立てたり、不機嫌になるのだが、伝承にある神々の怒りを真似しているつもりでいて無茶苦茶なのである…神に導かれたような振りをして狼藉の限りを尽くしているのだが、近親者を痛めつけているだけなのが(10)真実である。オイディプスの子孫達やペロプス、プレイステネスのそれら、また彼等の類似の人々のと同じような人々が沢山いて、昔も今もそういう連中は数えきれない。つまり言うまでもなく、さらに熱意に燃え、愛欲に満ちた欲望のさらに上を行くのがこの災悪なのである。というのも、ごくごく些細なことから生じた(20)災悪を最悪の極みにまで押しやらせてしまうからである。つまり、罰当たりなことをするようにそそのかし、司祭に狼藉を働かせたり、頼み込みにきた人々を足蹴にさせたり、神々さえも邪見にあつかわせたり、その他類似の多くの事でも狂ったことをさせる。ここからして、自分から何かをなすにしても降り掛かるにしても(30)その多くにおいて、怒る者たちの魂は大いに混乱するのである。しかしできることは…… (col. 15)…種々の思惑を…常にある…もし立腹し…つまり時間が経ってもいないのに…(10)…しでかした事柄を後悔し、それどころか即座に我に帰っては髪を掻きむしっては己のしでかした不埒を嘆き、時には自殺さえする。このようにして暴走した感情は結局、その怒った人が最も強烈な情熱を抱いている人々の持ち物をも投げ捨てさせるまでになるのである。(20)例えば、欲張りフェニキア人で、銅銭を一つ散財するにも自分の首を絞めて「『口を開けて歩いてやがって、てめえのことも知らん』と言う」のも、無理矢理動かされ、何度も銀貨を舟の中で数え上げて、たった四ドラクマをとりたいがために他の一切を海へばらまいたのである。(30)それだから、明らかなことだが、権勢と名声を欲しがる人と同様に、 (col. 16)金銭を欲しがる人も大いに害を受ける……(9)……をも……(10)……全……眠り……ゼウスも敵であれば何か偶々の理由で投げ付け、後に万人に……別の驚嘆事が見られ……このように……我々のように。報復をする人々もいる。ちょうどアポロンが(20)「司祭は畏れ多い」と声高に歌った人々にそうしたように。そしてニオベの息子達を姉が、ディオニュソスが自分の娘をかどわかされたためにカドモスをそうしたように。そもそもが、できないことである。もし、簡単に感情的になったり簡単にコロっと騙されたり、(30)誰の中傷でも信じるようであれば、敵対する連中のそんな物言いまで聞き入れることすらあるなら、いくら親愛の情に満ちた人々でも信用することができない。それゆえ、怒りは狂気と同じ種類のものではないということになる。もっとも、怒りを「短期間の狂気」と言った人もいたのだが。他方、本当に狂気と呼ばれるものは怒りであると時に(40)我々は言うのである…… (col. 17)……全ての……あるいは子のない……子を蹴り、小さい上着を引きちぎり、声を上げてその場にいない人々をまるでそこにいるかのように怒鳴りつけ、こうしたことに似たことを山ほどやってのける。つまりこういうことである。方や、この感情が小さいことにこだわるものだと言えるのは、蝿や蚊の虐殺を企て、(20)まるで侮辱されたかのように、大声を出しながらそれらを威嚇して棒で叩く場合である。しかし他方、そこから生じた事柄の中には、共に暮らす最愛の人々と不和になり衝突するということにつながるものもある。……そして……脅かすこともあるだろう。哲学…… (col. 18)……夜も眠れないほどの後悔を……全部がそうで……有る……(10)……削いだ肉……銅貨を……どんな時かと言えば地を天に混ぜようとする時であり、ソフォクレスのアキレスのように、だれか歓待してくれるはずの人から放り出された人々や、(21)あるいは、何かそのようなことに際してちょっとしたことをされただけの人々がそうするのである。つまり、彼等は不正を被った[と思う?]のである。だが、犬でも、狩猟用のは、通りがかりに番犬が吠えてきてもそっちを向きさえしない。例えば、アレクサンドロスが飼っていたのは、他の動物にはピクリともしなかったと言われている。(30)ライオンは別だったようであるが。他方、神とされる詩人でも、危うく野ブタに腹を立てそうになったりする。そうである以上、王たちについて何を言う必要があろうか。哲学の発展に邪魔となっているのも、くどくど理由をつけてこういうことに躍起になる連中のせいなのである。…… (col. 19)調べなければならないのは、なぜ多くの場合に人々は自分を見失い、まさに懲罰に値する状況を目の当たりにしながらも目を逸らすのかということである。こうした事柄に関する後悔に捕われることになりつつ、狼藉者どもによって……(10)……敵対者となって学究を妨げられる。そして、進歩しない者にならざるを得ないのだが、師や学友たちが叱って糺してやろうとしても彼等に我慢ならないのだから当然である。まるで、ひどい腫物は(20)生やさしい薬を塗っただけでも耐えられないのと同様である。それどころか、他の人々が叱られている時ですら、あまりにも理不尽なことだが、そこで言われたこと全部が常に自分達に向けられているのではないかと疑わないではいられない。そして、共に探究していれば得られたであろう善いことに与れないのである。これは、共に歩むことに耐えられないからであるとともに、また他方では、(30)たとえそういうことを見い出したとしても、苛立ちが穏やかにならないどころか、(col. 20)最も親しかった友から離れることにまでなってしまうからである…… (col. 20)……侮辱することも……また……(10)……へもまた……色々な知恵……つまりそうだとしても……習慣的あるいは種々の……あるいは些細なことで強制的に苦々しい顔つきにさせ、(20)口汚く罵らせ、悪口を言わせ、できもしないことをやらせ、自分の怒りは正当なものだと示すため、何ら語るに値しないことを大袈裟に語らせ、秘儀のそれのごとき訳の分らない言説や振る舞いを開陳させるのである。なるほど、言うまでもないことだが、友達付き合いに対して十分な心構えのできている人々の多くが、(30)友人の数にまだ入れられていない間は、星でも見るように、このような人々にはつながりを保って見るだけにとどめておくのである。彼等の下に留まって忠告をしてやろうという者など誰もいない。たとえほんの少しでもそう言ってやるにふさわしいものがあったとしても、自発的にそうしないのは無論、強制されたとしても、誰もしないのである。(40)誰にでも怒る者達になどそんなものである。 (col. 21)言い換えれば、嫌らしい者どもを助けに来る者などいないし、たまたまそんな機会があったとしても一緒に何かしようとは思わない。そんな連中は、少なくとも私はそう思っているのだが、自由人にふさわしくない魂の持ち主であり……(10)なる……及び……を……生命を……自らに必要なものを誰からも手に入れられないのである。(20)また他方、友達付き合いや親戚付き合いというのではなく誰かと交際することや、何はともあれ一般市民と過ごす時にする会話すらも奪われてしまっているというのだ。というのも、あらゆる人々はこのような人々と付き合うことのないよう近付かないようにしており、(30)たまたま床屋や香水屋や飲み会でそんな連中に巻き込まれれば、あるいは劇場で隣に座ってしまった場合は、孕んだ雌犬よろしく、逃げられるようにしておくのである。同様に、敢えて同じ船に乗り込まないようにしたり、近所に住まないようにしたりもする。というのも、何事かを共有することを許したり、何であれこのようなことへ共に赴くこと…… (col. 22)