フィロン『観想的生論』 1  (1)エッセネ派の人々は行動の生活を求め、全てにおいて艱苦に耐え、つまり言うならば耐え忍ぶことのより多い生を送り、かなりの点において際立っているが、そのエッセネ派の人々について語ったので、今度は観想を追い求める人々についてもしかるべきことを、問題事項の一貫性に従って、語ろう。私は、全ての詩人や著作家達の習慣となっていることを改善するために私の方から何ごとかを付け加えることはない。彼等は立派なことを成し遂げることなくそうしているのだが、私は不器用ではあるが真理そのものに密着してそうするのだ。私は知っている。真理こそ、恐るべき才能の持ち主さえ語るのを諦めるものなのだ。しかしながら、それでも徹底抗戦すべきであるし、絶望的な戦いを挑まねばならない。なぜなら、人々の徳がどれほど偉大だとしても、何であれ立派なことを黙って見過ごすのをよしとしない人々にとっては、それが沈黙の理由になってはならないからである。  (2)さて、哲学者達の使命はその呼称から直ちに明らかになる。つまり、彼等は奉仕者あるいは女奉仕者と呼ばれているが、それは正しく語源に適っている。語源の二つの意味合いに適っているのだ。一方では、彼等は市井の医者よりもより強力な医者であることを標榜しているという意味合いにおいてそうである。というのも、[一つには]後者は肉体だけを治癒するのであるが、前者は癒し難い重い病にとらわれた魂をも治癒するのであるから。つまり、快楽や欲望・苦痛・恐怖・強欲・無思慮・不正・その他数えきれないほど多くの感情*や悪徳に襲い掛かられた魂をも治癒するのである。あるいは他方では、自然と神聖な律法に教えられて「有る者」に奉仕するという意味合いにおいてそうである。「有者」とは、善者よりも強く、一者よりも純粋で、最初の一者よりももっと始まりのお方なのである。  (3)敬虔を公言する人々のうちで、彼等に比類されうるほどの人々が誰かいるであろうか。あるいは、元素、つまり地水火風を讃える人々ならどうであろうか。彼等はそれぞれに異なる呼び名を与えており、つまり火は、思うに着火にちなんで、ヘパイストスと、空気は、上昇して高みに登ることから、ヘラと、水は恐らく(海)水にちなむかなにかでポセイドンと、地は、全ての動植物の母であると思われているという意味合いで、デメテルと呼んでいるのである。(4)しかし、一つには、これらの語は学者達が考案したものであるし、他方、元素は魂のない物体であって、それ自身で動くことはできず、制作者によって、形態や性質の形相となるように下されたものなのである。  (5)しかしでは、[それらから]作り上げられたもの[を崇拝する人々]ならどうであろうか。つまり、太陽、月、他の星つまり惑星や恒星、あるいは天空全体や宇宙万有をそうする人々は。だが、こういったものもそれら自ら成ったのではなく、知識に完成されたある制作者によって作られたのである。  (6)では半神ならどうであろうか。しかし、こんなことはお笑い種である。なぜなら、不死かつ可死というものなど何がありえようか。そういった者たちの生まれの最初を考えねばならないということはおいておくとしても、こういった者達は若くして無抑制に満たされ、それにふさわしい身分でもないのに、無謀にも神的な幸運と能力に与ろうとし、死すべき女達に狂って交わったとしても、何の感情も抱かず、かえって三倍幸福なのである。  (7)では彫像や神像をそうする人々はどうであろうか。そういったものの本質は石や木で、ちょっと前までは全く形ないものだったのである。また、同じ性質のものからそれが切り分けられ、石工あるいは製剤されて、その「兄弟分」「家族分」たちは水桶だの足洗い桶だの、あるいは他のもっと下らないものになっているのである。こんなものは、むしろ無知蒙昧の中で使うためにあるので、光の中でそうするためのものではないのである。  (8)エジプト人の間でそうされているものなどもはや話題にする価値もない。彼等は、物言わぬ動物たち、それもおとなしいものだけではなく猛獣の中でももっとも野蛮なものを、月下のあらゆる所から、神々の栄誉へと祭り上げたのだ。つまり、乾燥地に住むものからは獅子を、湿地に住むものからは彼等になじみのワニを、そして、空を飛ぶものからは鷹とエジプトのイビスを。(9)そして彼等はこうしたものが生まれ、食べ物を求めて満腹することなく、汚物にまみれ、危険どころか人食いで、しかしありとあらゆる病気に冒され、自然に死ぬだけでなく時折乱暴な死に方をして滅びるのを見ると、それらを崇拝したのである。手なずけられたものもそうでなく手に負えないものも、理性を持ったものも理不尽なものも、神に親しい種族のものもテルシテスにさえ比類されないものも、支配し主人であるものも本性上仕えるものである奴隷もいっしょくたにして。 2  (10)しかしながら、こうした連中は身内だけでなく隣人たちまで下らないことで一杯にしてしまうので、最後まで救いようのないままでいればいいし、感覚の中でも最も不可欠な視覚が不自由なままでいればいいのである。視覚というのは肉体のそれではなく、魂のそれのことで、ただそれによってのみ真偽が認識されるもののことである。(11)しかし、「救済」の種族は「在るもの」である神をいつも見ているように教えられているが、そうしておけばよいし、目に見える太陽を飛び越えていればよいし、究極の幸福に導くあの秩序を放置しなければいいのである。(12)しかし、そのような信仰に赴いたのが、習慣からでもなく、誰かに忠告されたり勧奨されたからでもなく、天上への欲望に我を忘れてのことであれば、そういう連中はまるでバッカスの信徒やコリュバンテスの徒のような霊感を受けているのであり、そんなものは高々連中の思い焦がれているものを見るまでのことである。  (13)さて、もはや死ぬことのない至福の生を求めるあまり、いずれ死ぬことになるこの生はもはやこれまでと考えて、財産を娘息子や、あるいは他の親戚にも、残し、自ら進んで譲ったのである。また、親戚のいない人々は仲間や友人達にそうした。そのわけは、富を目の当たりにして即座に取ってしまう人々は、思想に盲目な人々にも劣る盲目であるに違いないからである。  (14)アナクサゴラスやデモクリトスをギリシャ人達が賞賛するのは、哲学への情熱に打たれるあまり、財産が羊共に食いつぶされるがままにしたからである。この人々は、金銭に夢中になった人々よりもましだとはいえる。しかし彼らよりもどれほどましであろうか。動物達が財産を食いつぶさないようにし、しかし、近親者であれ朋友であれ、人々が必要とする物事は正しく行い、彼らをどうしようもない状態から羽振りのよい状態にしてみせた人達の方が。なぜなら、先のは考えの足りない*ことであるが(ギリシャ人達が驚嘆する人々を、つまり彼らの行いを、正気の沙汰ではないことなどと言いたくはないのだ)、後のものは素面の、より完成された思慮に基づいてきちんとなされたことであるから。  (15)敵対している人間がなせることでこれ以上のものがあるだろうか。つまり、敵対する者達の土地を荒らし、果樹を切り倒して、生活に不可欠なものが不足して逼迫し窮乏するようにすること以上に。デモクリトスの周りにいた人々はこういう状況を手ずから血族に作り出したのであり、彼等に欠乏と窮乏を作り上げたのである。しかし、これもおそらく悪意から出たものではなく、他の人々にとっては何が利益となるのかを予見し見通すことができなかったからなのである。(16)どれだけ次のような人々の方が有能であり、驚嘆に値するだろうか。つまり、哲学に対する衝動においても劣ることはなく、しかし物事を疎かにするよりは念入りに気遣うことを重視し、財産を気前よく振るまい、そうかといって財産を食いつぶすこともせず、自分達をも他人をも益せるようにして、他の人々には余った財産を惜しみなく振舞うことで、自分達には哲学を営むことによってそうする人々である。というのも、財産や資産に配慮することは時間をどうしても潰してしまうからである。時間を節約するのは大切なことである。医師ヒポクラテスの言葉でも「生は短し、されど術は永し」とある通りである。(17)思うに、ホメロスも『イリアス』第13巻冒頭でこのことをほのめかして詩に詠んでいるのである。次のような表現になっている。   敵前で戦うミュシアの兵卒、気高く、雌馬の乳で育った者たち   乳を食らってきた貧しい人々、しかし最も義しい人々 生活、特に利殖に躍起になれば不平等から不正が生ずるが、判断が正反対でも平等を求めれば正義が生ずる。後者の方に基づいて自然の豊かさというのは定められるし、空虚な思惑の内にあるものを凌駕するのである。  (18)それだから、彼等が財産を失った時は、別に何にそそのかされたわけでもなく、振り向くことすらなく去って、兄弟や子供、女達、両親、沢山の親戚達、親しい仲間達を残して、自分達が生まれ育った祖国までも捨てるのである。社会的な結びつきは牽引力であり、人を引き付けることが最も強いものでもあるというのに。(19)しかも彼等は、予期せぬ不運に見舞われて所有者に売りに出された人々や、ひどい奴隷なので交換に出された人々がそうであるように、単に別の国に移るというのではなく、また、自らを解放するというわけでもないのだ。(こういう人々がそのようなことをするのは、全ての国家は、最もよく立法されているものであっても、語り切れないほどの怒号と争乱で一杯であり、知恵を持ってしても誰も決して抑えることができないからである)(20)それどころか、彼等は生活を城塞の外部の庭園に移し、あるいは孤独を求めて寂しい場所に移ったのだが、それもつまらない人間嫌いを作り上げてしまったからではなくて、人柄が似ていない人間達が混ざり合うと何かと都合が悪く危険だということを分っていたからなのである。 3  (3.21)さて、人の住んでいる所であれば至る所にこの種の人々はいる。というのも、人は完成された善に与るべきであり、それはギリシャだろうが夷狄の地だろうが変わらないからである。彼等がもっと沢山いるのがエジプトであって、「法区画」と呼ばれる区画区画に見られ、とりわけアレキサンドリア付近には多いのである。(22)そして、こうした信者達のうちでも全面的に最も優れた人々は、あたかも祖国に帰るかのように住居をどこか彼等の目的に最も適う場所に移すのである。その場所はマレイア湖を超えて非常に高い台地にあって、彼等にとっては非常に都合のよい土地で、安全性と気候がよいことから選ばれているのである。  (23)実際、円形の囲いと集落は安全を与え、気候の混合がよいことをもたらすのは、海に開いた湖と近隣の外海から持続的にもたらされる新鮮な風なのである。つまり、外海からは精妙な風、湖からは濃密な風がもたらされ、これらの混合が非常に健全で落ち着いた気候を作り出すのである。  (24)しかし、こうして集まった人々の住居は非常に質素で、どうしても必要な二つのことに対して防御をしているだけなのである。つまり、太陽からの熱と空気の寒さである。また、家々は、都会の人々がそうしているようには、隣接していない。というのも、孤独を愛し求める彼等にとっては近所付き合いは煩わしく面倒なものだからである。しかし、離れすぎてもいない。それは、彼等が共同を愛するからであり、また、強盗が襲って来た場合に互いに助けに行けるためでもある。  (25)そして、各家々には聖なる祠があって、これは聖所とか修堂と呼ばれていて、彼等はその中に隠って聖なる生活の秘儀を勤めるのであるが、飲み物も食べ物も、その他どうしても肉体に必要なものは何一つ持ち込まないで、律法や、予言者達が告げた言葉、頌歌など、知識や経験の増大や完成につながるものを読むのである。  (26)こうして、彼等は常に神を忘れることなく覚えているのだ。それは、夢を見ている時でさえ、神々の徳と権能の麗しさ以外のものが現れないほどなのである。なるほど、眠っている間に夢を見て、神聖な哲学の誉れ高い教説を口走る者も多い。(27)そして、毎日二度、早朝と夕時に、祈りを捧げる習慣がある。つまり、太陽が登る時には、この日一日が本当によい日となるように祈り、彼等の心が天空の光で満たされるように願うのである。他方、日没には、魂が感覚そのものと群れをなすその対象という重荷を完全に下ろされて、自らの内にある議会なり法廷なりに集中し、真理を追求できるよう祈るのである。(28)また、朝から夕までの間は全て修行に費やされる。つまり、聖書にあたってはこれを哲学的に思索して、父祖の哲学を寓意を用いて解釈するのである。というのも、彼等はそれらに書かれている事柄は象徴であると考えていて、隠された本当の意味は推察して明らかにされるべきものであるとしているからである。  (29)彼等は古人達の著作も持っている。彼等は、この学派の創始者となり、寓意的な解釈のにおける典型例について沢山の覚え書きを残した。これを学派の人々はある種の範形として用いつつ、学派の方法を模倣するのである。そうやって、彼等は観想をするだけではなく、全ての節と調べを費やして神への頌歌や詩歌を作りもするのだ。必然的にそれらはより神々しい拍子を刻み込まれている。(30)さらに、彼等は週の六日間は各々が各々の家に留まっていて、修業の間と呼ばれるところで思索を凝らすのである。そして彼等は全く外出せず、上から外を見ることもない。しかし、第七日目には、まるで全員集会でもするかのように集合して年齢順に着席し、作法に則った姿勢をとる。つまり、腕を[衣服の]内側に入れ、右手を胸と顎の間において、左手は脇腹の所に下げておくのである。(31)そして、長老であり、教理の研鑽がもっとも深い者が歩み出て語るのであるが、落ち着いたまなざしと落ち着いた声で話し、理知と思慮をもってそうするのである。しかし、弁論家達やましてや今時のソフィスト達のように弁説の能力をひけらかすのではなく、厳密な思考を精査し解釈して講議するのである。それだから、単に耳の端に乗るだけではなく、それを聞くことを通じて思想が魂に至り、しっかり留まるのである。そして、他の人々は全員静かに耳を傾け、賛意を表すにしても、目や頭で頷くことで示すことしかしない。  (32)さて、第七日に人々が集まるこの共同聖室は二部屋になっていて、一つは男達の部屋に、他方は女達の部屋に分けられている。というのも、女達も共に教えを聴いて同じ目標を求め、同じ教義をもつのが彼等の習慣だからである。(33)家々の間にある壁は床から上へ三四キュビトの高さで銃窓壁のように合わせ建てられている。他方、上部屋には天井まで窓がないが*、それには二つの目的がある。一つは、女性の本来ふさわしい恥じらいを保つためであり、もう一つは、座って聞いていても楽に受け答えをできるためであり、話し合っている者の声が何にも妨げられないためである。 *ギリシャ語原文では「開いていない」だが、アルメニア語版・ラテン語版とも「(完全に)開いている」となっている。前後のつながりから言うとそちらの方が分りやすい。 4  (4.34)さて、彼等は忍耐を何か礎のようなものとしておいて、魂の他の徳目を組立てるのである。いかなる食べ物も飲み物も、日没までは彼等に許されていない。というのは、哲学という営みは光にふさわしいと彼等は考えており、逆に、肉体に必要不可欠な事柄は闇にふさわしいとしていて、そのために昼を前者に、夜のわずかな時間を後者に割り当てているからである。(35)また、三日間過ぎてから食べ物のことをを思い出す[という行をする]人々もいる。知識へのさらに大きい渇望が植え付けられた人々である。また、教説を惜しみなく豊富に注ぎ込んでくれる知恵に恵まれて喜び舞い上がってしまい、二倍の期間まで食を控え、ほとんど六日間も、必要な食べ物さえ口にしない人々もいる。バッタの一種は霞を食べていると言われるが、彼等はそのような生活に慣れていて、思うに、頌歌で断食に供えているのである。  (36)そして、彼等は第七の日を非常に神聖で何よりも祝うべきものと考えていて、特別な栄誉をこれに帰している。その日に、魂に配慮するのはさることながら、肉体にも聖油を塗り(無論、家畜にそうするようなふうにである)、長く続いた苦行を休むのである。(37)彼等の食べ物に高価なものはなく、ただ、貧相なパンと荒塩だけである。贅沢な人々は荒塩をハッカに供えたりするのだが、彼等はそれを食べるのである。また、飲み物は水だけで、それも流れ出たものを飲んでいる。つまり、自然はこれらのものを死すべき種族に従女として遣わしたのだが、それはあくまで空腹と渇きをやわらげるためであり、欲望に従うためのものは何一つ送らず、生きていくのにどうしても必要なものだけをそうしたのである。それだから、彼等は食べるにしても飢えを凌ぐ程度だし、飲み物を飲むにしても渇かない程度で、満腹は心身を欺く敵であるとみなして避けているのである。  (38)さて、彼等が用いる「覆い」には二種類あって、すなわち着物と家屋であるが、後者については既に述べた通り、全く無造作で飾り気がなく、ただ実用本意に作られている。他方、衣服も同じく非常に質素で、極端な寒暖を避けるためだけのものであり、夏は厚い毛皮の外套を、夏はベストかベールをまとうだけである。(39)というのも、総じて、彼等が鍛練しているのは虚栄を絶つことであって、虚栄は虚偽の始まりで、虚栄なさは真理の始まりと考え、各々を水源の比喩に当てはめているのである。つまり、虚偽からは多種多様な悪の形態が流れ出し、真理からは有り余る善きものが人間についても神々についても流れ出す、というのだ。 5  (40)彼等の共同集会や、酒宴を楽しく過ごす方法も述べておきたい。他の人々の酒宴とは対照的な事柄だからである。つまり、彼等が生の酒を飲む際は、まるで酒ではなくて何か扇情的で狂気すらもたらすものを飲む場合のように、それどころか、あまりにもきつく自然な理性を失わせてしまうほどのものを飲むように、躾のなっていない犬のように暴れてものを壊し、立ち上がって噛み付き合い、鼻や耳や指や身体の他の部分に噛み付き、まるでキュクロプスや、オデュッセウスの取り巻きの紛れもない物語を彼等に実演してみせるようであるが(というのも、こうした人々は、詩人の言う所では、人肉まで「一かじり」食べたのであるから)、かの人よりも野蛮なことさえするのだ。(41)というのも、かの人は敵とみなした人々に報復しているわけであるが、この人々は仲間や友人にたいしてそういうことをなし、時には親族にさえも、食卓にある時すら、折角平和な時に物騒なことをしでかし、体操競技をしている人々がするのと同じようなことをしているのである。まるで、良貨を台無しにするようにして肉体鍛練の紛い物を作る連中のようなことをするわけである。こんな連中は体操家というよりも哀壮家と言うべきである。そう言う方があの連中にはふさわしいのであるから。  (42)つまり、かの人々がしらふのままで競技場にギリシャ全土からの観客を得てその日一日勝利と王冠を目指し技術をつくしてなすことを、この人々は邪な思いを持って暗い夜の饗宴で酔っぱらい、その勢いでとんでもない振る舞いをし、知識も術も何もなく無礼で思い上がった振る舞いに走り、その場にいる犠牲者たちにひどく不埒なことをして、成し遂げるのである。(43)そこでもし、審判のような人が中にやってきて争いを解消しないならば、ますます力をまして相手を投げ飛ばし、その場で血を求めて殺し合うのである。つまり、彼等が被るものは自分達が加えたもの以下ではないが、それを彼等は分からない。張り倒している人々は、葡萄酒を、喜劇詩人が言うように、隣人の被った災悪にだけではなく自分自身のそれのために飲み続けているからである。(44)こんなわけで、ちょっと前に饗宴にやって来た人々は、その時は健全で親しげだとしても、すぐ後で逃げ出し、その時には敵愾心に満ち満身創痍になっているのである。そして方や、弁護人や裁判官、他方、左官やら医者やら、あるいはそういった連中から守ってくれるものが必要となるのだ。  (45)他方で、程々に飲み交しているように思える人々でも、曼陀羅華でも飲んだかのように生の酒を飲んで沸き上がり、左肘をさらして、傾いた首をグルグルやっては盃にゲップをもどしながら、深い眠りに落ちていくのである。もはや何も見えず、何も聞こえず、まだ持っている感覚といえば、下司の極みのものが一つだけ、つまり味覚だけなのである。(46)また私はこんな人々も知っている。彼等は少し酔っぱらうと、完全に浸り込んでしまう前に、明日の酒宴の準備をして、客に出すものだの皆で食べるものだのを用意しだし、今手にしているいい気分の一部が、明日もまた酔えるという希望にあるとでも思っているようなのである。(47)このような生き方を続け、彼等は一生を終えるのである。帰る家も落ち着く家もない者、親・妻・子供達の敵、祖国の敵、そして何よりも、自分自身に敵対する者として生きていく。というのも、だらしない不健全な生活は万人にとって裏切り者だからである。 6  (48)恐らく、今至る所で隆盛になっている酒宴の様式を受け入れようとする者もいよう。イタリアの軟弱で金ばかりかかるやり方をしたがっているのである。こんな生活をギリシャ人も蛮族どももしたがるのだが、人をもてなすためというよりは見せびらかすための準備をしているのである。(49)三連椅子とかもっと大袈裟な長椅子を亀の甲羅だの象牙だの高価な材料でしつらえて、それらも殆ど高価な石がちりばめられているのである。紫の寝具に金糸を織り込み、他のものも色とりどりに派手で、目を惹きつけるようにできている。カップ類も各種一杯に並べられており、つまり、角型、ゴブレット、盃、他にも技巧を凝らした様々な形のテリクレアばりの器や、浮き彫りの技術に長けた人々が精妙に仕上げたものが並べられているのである。(50)姿形よく見目麗しい奴隷達が給仕してくれるが、彼等がやってきたのは、客人に仕えるためというよりは、見る者達の目を見栄えで悦ばせるためのようである。彼等のうち、まだ子供なのは葡萄酒を注いで回り、育ってかわいくなくなったのは水を注いでいるが、きれいに洗われて滑らかな肌をしている。彼等の顔は塗られて描かれ、髪の毛はきれいに編まれて結わえられている。(51)つまり、彼等の髪は長く、全く切られていないか、額の一番下でだけ切られていて、均等で、きれいに丸い形を描くようになっている。緻密に折られた純白の上着にベルトを締め、前は膝の下、後ろは股の少し下まであり、両面とも上着の継ぎ目に沿って縁飾りを厚く折り返し、傾いた胸のあたりは締まり、脇腹のあたりは膨らんで開いているようにして垂らしているのである。(52)他に待っているのが、若盛りの若者で、ようやく髭が生え始め、少し前は少年愛の慰めものになっていたのであるが、今は極度の注意を払われてより過酷な奉仕に、そして主催者の羽振りのよさを見せびらかすために備えている。しかし、交流のある人々は知っていることだが、本当の所、彼等は己の不粋をさらしているのである。(53)こうしたものに加えて、ありとあらゆるお菓子や調味料たっぷりの贅沢料理もあり、これらはパン屋や料理人が賢明に作ったものだが、気を払っているのは味覚を喜ばせることだけではなく――それこそなくてはならないものだが――、見た目のきれいさなのである。…(欠損?)…首をグルグルと回しては目や鼻で、方や新鮮さや量を、方や立ちのぼる香りを嗅ぎ回るのである。  さて、目と鼻、この両方の感覚が満たされて始めて、食べよと命令を下すのであり、その際に少なからず、出されたものと催した主人とを、ずいぶん金をかけたものだと誉めたたえる。(54)ともかく、七つあるいはそれ以上のテーブルが運び込まれ、大地、海、川、空がもたらすあらゆる新鮮な特選品、岡の物も水の物も空の物も、そういうもので一杯なのであり、それらどれもが違う調理法と味付けを施されている。  また、自然にあるもののいかなる種も残さないというばかりの品揃えの果てに、最後に果物が満載されたテーブルが運ばれるのだが、これらはどんちゃん騒ぎ用の料理とは別物の、いわゆるデザートである。(55)その後も、饗宴に出ている者達は満たされないので、空になった皿は下げられる。彼等はカモメのように腹一杯かき込んで食いまくり、肉を食った後に骨までも食う有り様で、半分食べてボロボロバラバラにした骨を放り出すのである。彼等の胃袋が喉元まで一杯になり、完全にうんざりするまで食べた時でも、欲望についていえばまだまだ空ろで、食べることをやめても…(欠損?)…  (56)さてしかし、こうしたことを長々と述べる必要があろうか。多くの慎みのある人々がこれらを、「なければよいはずの余計な欲望を開いている」とみなしているというのに。というのも、誰でも、こんな歓待を受けて食べきれない程の食べ物飲み物を注ぎ込まれるよりは、最も厭わしいもの、つまり空腹と乾きを乞い願うであろうから。 7  (57)