クインティリアヌス『弁論教程』
Quintilianus, Inst. Orat. 1.1.4 = SVF. 3.734
何よりもまず、乳母たちの話が邪悪なものではいけない。彼女らは、そうできるものなら、賢者クリュシッポスがそう望んだのだが、事情の許す範囲で最高の者が選ばれるよう主張した。そして、全く疑いの余地なく、性格に最初の理性がそなわるのは彼女らの下でである。なるほど確かにこう言われているのは正しい。まず子供は彼女らの言うことを聞くのだし、彼女らの言うことをまねて口にしようとするのである。…
(8)子供達については、こうした期待を寄せられている未来の弁論家は彼等の間で教育されるわけだが、乳母について言ったのと同じことが当てはまる。
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Quintilianus, IO. 1.1.8 = SVF. 3 Diogenes 51
御伴役についてはさらにこのことを加えたい。彼等は、まず世話をしようと思う前に、充分な教育を受けているべきであるし、[万が一そうでなかったら]自分が教育を受けていないということを自覚していなければならない。最悪なのは、高々字母の次を習ったくらいで、自分はものを知っていると過って思い込む者たちである。つまり、こういう者たちは教えを垂れる役に降りていくのを潔しとせず、まるで何か法令でも下す能力があるかのように思って(人々がのぼせ上がるのはほとんどこのことによるのである)、元帥気取りで、それどころか時には暴君のように怒り狂いさえして、かえっておのれの愚かさを教えこんでしまうのである。(9)彼等の人柄に劣らず有害なのが彼等の過った行いである。例えば、バビロニアのディオゲネスが伝える所では、アレクサンダー大王の御伴役だったレオニデスは様々な悪癖で大王を汚染したのである。大王がしっかりとした大人になり、最大の王となってもなおこうした欠点は大王に付きまとったが、これらはああした幼少の頃の教育から引きずってきたものなのだ。
Quintilianus, Instit. Orat. 1.1.15 = SVF. 3.733
誰であれ七才以下の者は文字で教示されるべきではないと彼らは主張した、あの年代はまず訓練から知性を得鍛錬を受けることができる[だけ]だというので。…しかし、いかなる時も配慮を欠かさないように望む人々はよりよい、例えばクリュシッポスのように。つまり、この人は乳母たちに三年を与えたが、しかしあの彼女らの下でも既にできるだけ最高の教示によって幼児たちの精神が形成されるべきだと考えたのである。
Quintilianus,Instit.Orat.1.3.14=SVF.3.736
実に、学ぶ者はぶたれるものだということは、いくら一般に承認されておりクリュシッポスも非難していないといえども、全く主張したくない。
Quint., IO. 1.10.5=FDS.93
つまり、彼等が作るという賢者は、将来あらゆる点で完璧になるというのだが、彼等の言うところでは、何か死ぬ神というものであって、天体や死すべき者達に関する思想によって考えを伝えるだけではなく、本当につまらないものによってさえそうすると彼等は主張する。つまらないものというのは、彼等の言うところでは、差し当たり君が判断するならそうなるというもので、昨今追求されている多義性のようなものである。しかし、ギリシャ語の名が付いている「角のあるもの」や「鰐」の議論が賢者を作れるからそんなことを言うのではなく、むしろああした賢者は些かでもそんなものに騙されてはならないから、という意味で言っているのである。
Quintilianus,Instit.Orat.1.10.15=SVF.3.740(?)
そして、彼のこの学派の主導者達は、その学派を厳しすぎるように思う人もいれば過酷すぎるように思う人もいるだろうが、この教説に立っていた。つまり、賢者にはこの探求に少なからぬ努力を払うであろう者もいると彼等は表明したのである。
Quintilianus,Instit.Orat.1.10.32=SVF.3.735(?)
つまり、ピタゴラスも、我々の聞くところでは、覇気のない家では若者達を無理やり活気づけるために笛吹き女に調を揚揚調へ変えるように計らったということだし、クリュシッポスもまた幼児たちに唆しを加えていたあの乳母にある自作の詩歌を与えたということだ。
Quintilianus,Instit.Orat.1.11.17=SVF.3.737
なぜなら、とりわけこの身振りの術は、名前そのものが表すようにジェスチャーの法則なのだが、あの英雄時代に誕生し、ギリシャの最高の人々やソクラテスその人によってまで善いものだとされ、プラトンは市民の部分における徳だと定め、クリュシッポスも子供の養育に関してまとめられた教説の中にそれを欠かせてはいない。
Quint., IO. 2.15.20=FDS.53
この人(ケオスのアリストン)は逍遥派の人なので、ストア派のように知恵を徳の地位に置いたりはしなかった。
Quint., IO. 2.15.33=SVF.2.292=FDS.50
さて、我々は完全な弁論家像を形作ることを進めてきたのであり、何よりもこのような人が善い人であるというのが我々の主張だが、この学芸についてもっとよく考えている人々に目を向けることにしよう。さて、弁論術は市民政治の術そのものだと言った人々もいた。キケロは市民の学芸の一部分だと言っているし(しかし、市民の学芸というのは知恵というのと同じことである)、哲学そのものだと言っている人々もいる。その一人がイソクラテスである。(34)この学のこうした実質に最も適合する定義は「弁論術はよく語ることの知識である」というものである。つまり、この定義は弁論の全ての効能と弁論家の持つべき性格までも一つにまとめて包摂しているのである。善い人でなければ、善く語ることはできないのであるから。クリュシッポスのあの定義も、クレアンテスがそれを引いているが、同じことを意味している。「正しく語ることの知識である」もっと多くの定義を彼はしているが、それらはむしろ他の問題に関わるものである。
Quintilianus, IO. 2.17.1=SVF.2.290=FDS.48
それでは、これに続く問題に移ろう。つまり、弁論術は技術学芸か否かという問題である。…弁論家だけがこれを主張するのではなく…ストア派や逍遥派の沢山の哲学者もこれに同意する。
(2.17.41)さて、これが技術であるということを確証するのに長い議論はいらない。
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Quintilianus, Instit. Orat. 2.17.41 = SVF. 1.490(クレアンテス)
すなわちあるいはもし、クレアンテスが主張するように、技術とは方途すなわち秩序に従って働く能力であるとすれば、うまく述べるということにこのような方途や秩序があるということを疑うものはまさかいないだろう。
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Quintilianus, Instit. Orat. 2.17.41 = SVF. 1.73
あるいはまたもし、技術は生に有益な目的に向けて一致して共に働く様々な知覚から成り立っているというあの定義をほとんど全ての人が支持しているとすれば、こうした事柄は何ら弁論術に欠けてはいないということを我々は既に示せるということになっているのである。
Quint,IO 2.20.7=SVF.1.75=FDS.37
このように、話術には2種あり、一方は連続した長いものであって弁論術的に語られ、他方は短いものであって弁証的になされる。実際にはこれらをゼノンは徹底的に混合していて、後者を拳闘のための握り拳に、前者を開いた手に例えて語ったほどなのである。そうである以上、論議の術も徳なのである。この点については、あまりにも明白で明らかなので、何ら疑う余地がない。
Quintilianus instit. orat. III. 1, 15. = SVF. 2.289 = FDS. 44
アリストテレスの弟子テオプラストスも弁論について熱心に著作したが、その後これに弁論家としてというよりも哲学者としてより熱心に取り組んだのはストア派の学頭と逍遥派の学頭たちだった。
(4.2.117)従って、そう重要でない事柄においては、私人としての事柄などというのはほとんどそういうものだが、ああしたことは簡素であるべきだし、物事を考慮するのに適したものでなければならない反面、しかし言葉遣いには細心の注意が払われねばならない。話しているうちに思いのままに流されるし、弁論を取り囲むものは大量にある割には気付かれないからである。
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Quintilianus, IO. 4.2.117 = SVF. 1.79
この場合、ゼノンの言うように、意味で飾るべきなのである。
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構成は仰々しくないようにするべきではあるが、なるべく心地よいものにするべきである。
Quintilianus, IO 10.1.84 = SVF. 2.25
古ストア派の人々は雄弁にはそれほど傾倒しなかったが、しかし立派なことを説いただけでなく、自分達の説くことをまとめ、証明する力量は大いにあった。彼等は大袈裟な弁論よりもむしろ事柄そのものの方により鋭さを発揮したのであり、つまり前者は全然求めなかったのである。
Quint., IO. 12.1.18 = FDS.127 = SVF. 1.44
たとえこの人々に最高の徳が欠けていたとしても、彼等が弁論家だったかどうかをそのように問う人々には、私はストア派の流儀で答えるだろう。つまり、もしゼノンは賢者だったのかと、クレアンテスは、クリュシッポスはどうだったのかと問われた時には、彼等が答えるであろう流儀で答えよう。彼等はこう言うであろう。その方々は偉大であり称賛に値する人々ではあるが、しかし人間本性の頂点には達していなかったのだ、と。
Quintilianus,Instit.Orat.12.1.38=SVF.3.555
まず第一に、全ての人々は私に対して次のことを認めねばなりません。つまり、ストア派の人々というひどく堅物な人々さえ、善き人も時に虚偽を語るなどということをすると認めているのです。それどころか、もっと些細な理由でそうすることもあるというのです。例えば、子供が病気になったときに我々は彼らのためを思って沢山の作り話をしたり、するつもりもないことを沢山約束したりします。人質から拉致犯の目を逸らさねばならないとか祖国の平安のために敵を殲滅せねばならないとかいう場合にはなおさらでしょう。奴隷どもの下でさえ非難されるべきことが賢者その人の下では称賛されるということもあるのです。
Quintilianus, IO 12.2.25 = SVF. 2.25 = FDS. 128
ストア派の人々は、彼等の学頭に雄弁の能力や才能が欠けていたのは不可避なことだったと彼等は認めているが、それに呼応する形で、しかし彼等以上に鋭く証明をしたり精妙に結論付けた人々はいないとは言い張っている。
(12.7.9)言われている所では、盲人にだって明らかなことだが、自分にはもう十分な貯えのある人でも(程々のものでいいのだ)、こういう要求をしてべつにケチというそしりを受けることはないのだ。
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Quintilianus, IO 12.7.9 = SVF. 2.4; 1.467 (Cleanthes)
しかし、身近な物事の都合で、生活に必要不可欠な事柄にさらに何か要る場合には、全ての賢者の法に従って、心付けを請うてもよい。生活のためソクラテスの仲間も、そしてゼノン、クレアンテス、クリュシッポスも弟子たちから報酬を受け取っていたのだから。
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