よくある御質問
ストア派関連試訳についての


何のためにこんなことをしているのか

訳を作っているのは仕事と言えば仕事ですが、趣味と言えば趣味です。一応ストア派の研究者の末席を汚させて頂いている筆者ですが、ストア派の研究を始めた頃は、全くないというわけではなかったのですが、満足に翻訳がない状態なので、まず自分で訳していくことから始めたのです。今では、個別の著書の翻訳が、いくつも良質のものが出ていますし、当のアルニムの断片集の翻訳もじきに出るということのようですが、まぁ一度始めたことだから続けようかと思っております。
ウェブ上に公開しているのは、自己満足や自己顕示欲と言われればそれまでで、別に否定しようとも思いませんが、何か役に立つのではないかなということでもあります。アルニムの断片集にないものなどもあるので多少は意義があるのではないかなと思っております。

従来の訳に不満があるのか
流布している訳は翻訳的にみてどうなんですか

西洋古代哲学全般に言えることだと思いますが、流布している訳はほとんどとても良質のものです。もちろん完璧とはいえないものも見つけようと思えばありますが、十分信頼に値するものです。筆者も、もちろん個別に「これはどうだろう」と思う箇所や解釈の違いは必然的にありますが、特に流布している訳に不満があるということは滅多にありません。
ただ、古典の訳が一つしかないというのは別に悪いことではないと思いますが、何か独占みたいな状況になるのはよいことではないかなと思っております。

著作権とか大丈夫なんですか

問題ないと思います。元々のテキストは古くて約二千年前一番新しいものでも十何世紀なので、著作権というものはそもそもないはずなんですが、問題なのは、例えばテキストを編集した人の著作権があるのかないのかということです。こういう方が著作権を主張するということは聞いたことがありませんが、ありえないということもないです。もちろんそういう訴えがあったら対処しますが、多分ないでしょう。
今でもそうですが、この翻訳は筆者が普段使っているものをそのまま出しているだけなので、出版されている翻訳から写したものが少なからずありますが、現状でも引用の範囲を超えていないと認識しています。追々こういう断片も拙訳に置き換えていこうと思っています。
筆者はいくつか流布の翻訳をデータ化したものをもっていますが、そういうものを公開する予定はもちろんありません。

訳されていないものがあるんですが
ストア派じゃないものがあるような気がしますが

筆者がストア派を研究し始めた頃に既に訳があったもの(ディオゲネス=ラエルティオス、セネカ、キケロや初期教父のいくつかの著作)はもちろん、訳していません。また、最近訳が出版されたもの(キケロの大部分の著作、セクストゥスの『要綱』、アテナイオス等)も、最初から訳していないものもありますし、訳してはいますが公開しないものもあります。逆に言えば、全訳が出版されていても、自分なりの訳が結構あるものについては公開するかもしれません。
ストア派でないものは、例えば同時期の他学派関連のものや、その他研究の途中でたまたま訳したものなどです。ある程度まとまったので長く通して訳してしまったものなどもあります。

誤訳・誤変換(等々)を見つけたんですが…
日本語として意味が分らないところがあるんですが…

そういう反応は実は全く嬉しいことなので、お手数ですが教えて下さい。御協力に感謝いたします。とても有益な情報を下さった方には何か差し上げるかもしれません。
筆者の間違いや思い違いその他笑止なことを個人的にお笑いになるのは御自由になさって結構ですが、人目に触れるところで槍玉にあげるのはよした方がいいかもしれません(筆者が何かするということではなくて、そういうことって意外とみっともないことですから)。
最後に、お約束

こういう質問って本当に来たんですか

本当に来たものもありますし、来ないうちに予期して書いておいたものもあります。
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