という企画です
ちょっと前書きめいたものを…(短いのでここに書きます)
実は評者(「私」)は大学院生時代にこの中央公論「世界の名著」「日本の名著」を全部読んでみるという試みを一度したことがあって…その時は確か「世界」はスピノザ、「日本」は空海あたりまで読んだはずなのである(その後も例えばマルクス、フロイト、科学哲学の巻、石田梅岩、安藤昌益など「飛び飛び」に読んだものもあった)
その時は多分、院生としての研究が忙しくなってそれどころじゃなくなったのと、評者生来の飽き性と、さらに恐らく海外に行く羽目になったのとで、途中で放り出されてそのまま… ということだったのではないかと思う…
その営みを突如復活させることには、これと言って特別な意味はないが… 一つ言えることは…今回のこの営みがどうなるかは分からないが、これの「次回」は多分ないであろう…ということである(年齢的にも…その他の条件的にも…)
というわけで…今回のこの試みもどうなるか分かりません…
「完走」できたらめでたし!としましょう(とりあえず「日本」含め全巻は説宅にある)
「前回」は「解説」(「□□の思想と生涯」)は読まなかったはずなのだが、今回はそれもなるべく読もうと思う…
また「前回」は例えば聖書については確か新共同訳だかを読んで「代わり」にしたはずなのだが(このシリーズの「聖書」は抜粋なので)、今回はそういったことはせず、このシリーズの版を読もうと思う
やっぱり長くなってしまったな… 恐縮だが、どのくらいの方がこんなものを読まれるのか分からないものの、では、お楽しみください…
第1巻「バラモン経典 原始仏典」(第二回)
さて…次以降をどうしようか迷った挙句(巻順(つまり概ね歴史順(「世界」の方には補巻があるのでそこに入ると順番が狂う))、その逆、手あたり次第…等々色々考えた… また「日本の名著」の方をどうしようか… それも今現在迷っている…)、やはり「最初から」読んでいくことにしようと思った…
そこで、この、まとまった文書の形になって残っているものとしては人類最古の思想である古代インド思想である…
院生時代に、この分野を勉強している研究科仲間に聞いたくらいで、評者・私はこの分野には全くの門外漢なのであるが…(実は訳あってサンスクリット語はそこそこ読めるのだけれど…) 例によって、これ一冊でかなり「通」気分にはさせてもらえるもので、さすがに良質な編集がなされていると思う… 入門書としては今日もなお有効に機能する、のではないかと素人の目には見える…
その素人の目でごくごく雑に言えば… 要するに「私はブラフマンである」「おまえこそそれである」という二大原則を「納得」していく過程、と言え、そのためにこの通り色々と涙ぐましいことを繰り広げている、ということだと思った…
その目指す所は「解脱」なのだが… この書物の面白さ、そしてド素人にも一読して分かるその崇高さ、と裏腹に… この思想の成れの果て、のはずのあれやこれや(具体的には挙げないが… 我が国で「解脱」「解脱」言ってた連中もそこに入る…んだろうな…(どうでもいいがBOOWYの「Bad Feeling」のサビは「解脱!解脱!」って聞こえるよネ…))の有様を見るにつけ「どうしてこうなった?」と思わざるをえないのも、正直な感想である…
この巻の後半はタイトル通り「原始仏典」が収められているのだが、その前に仏教が論敵として糾弾されている文書が配されているので、敵だったものがいきなり味方になるというまるで昔の少年ジャンプのバトルマンガみたいになっていて、何とも言えない… 要するにド素人にはそこをどう受け止めていいのか分からずチト混乱した…
先程、評者・私はサンスクリット語がそこそこできると言ったものの、原文と対照して読んだわけではもちろんないので、訳について何かを述べる能力も資格もないのだが… 時折いくらなんでも括弧が多すぎて読みにくいなとは思った… が、全体としては割と読みやすいのではないかと感じた… 独特の反復(詩文なのでそうなっているのであろう)や、多彩で我々には新鮮な比喩の数々など、単純に読み物としてもなかなか味わい深い
例によって、この営みを復活させるにあたって、最初がルターであることは、たまたま目に付いた以上の理由はない…
(実は…この少し前に評者はマルクスの著作を訳あって読んでおり、そこでルターへの言及が時々あったことが、この書を取る積極的な理由というわけではないが、後回しにできなかったという消極的な理由にはなっているのかもしれない)
という次第なのだが… なるほど、ルターの思想にはこうした「現世」のあり方との関わりに深く食い込む面もあり、確かに経済思想のごく初期のあり方と言いうる面もあって、そういう側面からもなかなか面白く読める
(ここからそれこそマルクス、そして恐らくマックス=ウェーバーを通じて現代の社会科学へ…という「線」を辿ることも可能かもしれない)
責任編集者(松田智雄)によると、なるべくこれ一冊でルターの思想を広く知ってもらうためにできるだけ沢山の著作を収録した、ということなのだが、ルターの主著と言いうるであろう「キリスト者の自由」「奴隷的意思」がやはり一番面白く読める
(余談だが、「奴隷的意思」でルターが攻撃しているエラスムスの著作・通称「評論」は「世界の名著」のエラスムスの巻には残念ながら収録されていない… また、2024年現在どうやったら読めるものか、評者にもちょっと分からない… 惜しいことである…)
編集姿勢は良い! 恐らく責任編集者の意図通り、これ一冊でかなり「ルター通」にはなれる
ルターの思想姿勢はかなり強靭で感心する。今日それほど顧みられない(というか下卑た言い方をすれば「人気思想家」ではない;「今ルターがブーム!」なんて事態が訪れたら評者・私も相当驚くに違いない…)思想家であるが、哲学史・思想史に残る一人であることは疑いがない
ただ…、ルターはやはり「哲学者」ではなく「神学者」なのだな…と思わされたのもまた事実である… つまり、ルターは一歩もキリスト教の枠の外に出ない…それは感心するほどである… いやむしろ、神学者としてはそっちの方こそ「誠実」であり「正しい」姿勢と言えるのであろうが、キリスト教や聖書という枠を取り払ったらルターが何をどう考えたのか?と素人考えながら思うと、少々残念に思わないでもない…
先にも触れた通り、経済学の源流の一つとしても読めるのは驚きである(そのような研究がなされているのかどうか残念ながら知らない…)
余談だが、ルターが挙げて非難している詐欺師の手口が今日とあまり変わっていないことには呆れる…
また、対農民一揆文書はテロ行動に対する姿勢を考えるよすがとして今日も読むに値する
と、これ一冊で色々な側面からルターという思想家を知ることができる
いかんせんこのシリーズは既に古い(「現代の科学」の巻の内容を見ればそれは実感できよう…)とも言いうるけれども… 少なくともこの巻はルター入門として今でも十分に機能すると思われる
訳文は素人目にはよくできているように見えるが、抄訳の際にどこを訳し何を省いているのかがよく分からないのは、この巻だけを読む分にはあまり問題はないものの、仮にここから研究を進めようとでも思う場合(それこそ大学でルターを研究しようと思うとか…)には不便かもしれない…