CM2S書評
『野間宏集』(集英社日本文学全集)

「集」とはいえ、「暗い絵」と「真空地帯」の二本立て。「暗い絵」は絵に関する小説として読めば面白いが、思想談義はつまらない。個人的に戦記物は案外好きなのだが「真空地帯」は面白い。ただ、いかんせん長過ぎるし、最後が無理矢理終わっているようなのが物足りないが。文体的にも、時々妙に複雑な文があるのに引っ掛かるが、うまいと思う。全体に何だかサルトル臭いのが気になるものの、楽しんで読めた。軍隊という、これ以上ない理不尽な組織の理不尽さがよく書かれていて、苦々しくも面白い。最後の小田実の解説は絶望的につまらない。

教訓は「物語に語らせろ」ですな。


シェストフ(植野修司訳)『哲学千一夜』(雄渾社)

今ではベルジャーエフと並んで「ロシアの実存主義者」ということで哲学史的に名前が知られているだけのシェストフだが、それにもなるほど理由があるのではないかという気がしてきた。要するに、豊富な知識と鋭い思考力が邪な動機と結びつくとどうなるかという見本でしかないだろう。護教論は大いに結構なのだが、その根本に科学に対する凄まじい憎悪が渦巻いているのが嫌というほど分って嫌になる。こんな論文を垂れ流している人間が一体ニーチェなど読めたのであろうかと、それが疑問だ。

ニーチェの語気の荒さだけに酔っているようなニーチェ読みにはたまらないだろうが、哲学的には三流だ。今読む意味はそうないだろう。


フォークナー(高橋正雄訳)『響きと怒り』(講談社文庫)

ヘンリー=ミラー、ヘミングウェイ、ウィリアム=ジェームズ、一応読んではいるのだが、どうも米文学というのは読んで楽しかった記憶がない。この作品も今回もどうにかこうにか読んだが、相変わらず何が何だかよく分らない。

いつか、面白いとか傑作だとか思う日が来るのだろうか…


田辺洋二『英会話の常識非常識』(講談社現代新書)

この手の英語関係の新書等の類で最近増えてきたのが「日本人よもっと自信をもて」というタイプのもので、大雑把に言えば、この本もその路線上にあると言っていい。個人的にはいい傾向だと思う。
まず囲みで常識と非常識が挙げられていて、それに関する話題が続くという構成だが、内容の分類や配置がうまく工夫されていてとても分りやすいと思う。
返す刀で少々苦情めいたことを言わさせてもらえば、要するに読む側にしてみれば自分の英語の上達に足しになることが書いてあればそれでいいわけで、日本の英語教育のここがだめだあれはけしからんだの、訳の分らない精神論だのいい加減な文化論だの、そんなものは要らないのだ。その点この本は模範的だと思う。まぁそういうおかしな大先生はごく一部ではあるのだが。
何かアカデミズムに妙な敵対心をもっている先生は常にいて色々な所でガミガミ言っているが、こういう要を得た本を読むと、そういう勇ましい連中のダメさ加減がどうしても浮き彫りになる。

お勧めします。


トミー植松『日本人の不思議な英語』(丸善ライブラリー)

いまだに後を絶たない「おい日本人!お前等の英語はこんなに変だぞ!!恥ずかしくないのか!!!」「こら日本人!お前等はこんなに変だ!!反省しろ!!!」タイプの本の一つ。正直こういうのはもう飽きた。こういう(あまりこの言い方はしたくないが)自虐本の読者ってのはどのくらいいるのだろうか。あるいは、在日外国人がこういうものを読んで溜飲を下げているのであろうか。
読み物としてはそんなに悪くはない。一々「日本人のこういう所は外国人(といってもゲルマン系白人ということだろう)から見ると変です」とつっこまれるのは正直勘に触るが、副島氏の悪態に比べれば笑って済ませる程度。ただ、色んなことが割と無造作に並んでいて、その中に英語のことだけじゃなくて行動全般や文化論までこれまた無造作に混ざってくるので、印象としてはかなり乱雑。

悪くはないけど、英語の勉強の足しにしたければあまりお勧めできない。


小池荘彦『心霊写真』(宝島社新書)

日本に帰国して本屋に入ると、驚いたのが新書・全書・文庫の類の種類がかなり増えていたことだった。正直どうするつもりだと思った。喜ぶのはブックオフだけじゃないのかと心配になった。
そんな中で、いかにも宝島社らしいと思って、すぐに買ってしまったのがこの本だ。「心霊写真」に関する、幕末から始まる結構詳しい通史と言ってよい本で、自分ではトンデモ通を自認していたがそれが恥ずかしくなったくらい勉強になった。生半可なサブカル論を垂れ流して小金を稼いでる連中は見習ってほしいものだ。
欲を言えば、戦前の心霊写真に関するあれやこれやは面白いし勉強にはなるが、量的に多すぎるかもしれない。個人的には70年代以降のブームをもうちょっと突っ込んでほしかった。でも、間違いなくいい本だ。
学会のごたごたやら、学者先生のメンツが生んだすったもんだとか、そういうエピソードは読んでいてえもいわれなくなる。
実は今日もやっていたが、いまだにテレビ番組などで臆面もなく霊能者がしゃしゃり出て「霊視」だのをしているのは滑稽を通り越して哀れでさえある。最近は依頼者を安心させる方向に大部分向かっているようで、それはいい傾向だと思うが。

トンデモ好きは読むべきだ。


八杉佳穂『マヤ文字を解く』(中公新書)

西夏文字の西田先生といい、未解読文字の解読という課題に日本人が活躍しているというのはやはり聞いて嬉しいものだ。漢字や崩し字といった環境は解読という作業に向く人材を育てるのかもしれない(それにしては大戦時の暗号作成はお粗末だったが)。
それはともかく、見るからに難しそうなマヤ文字解読の作業がどういう風になされるのか垣間見れてそれだけでも面白い。マヤ文字入門になっているかと言われれば、なっていないのだが、これはマヤ文字があまりにも複雑だから仕方ない。言われているほど手に負えないものではないのだと印象づけてくれるのは、いい仕事をしていると言えるだろう。
欠点は、まぁ仕方ないかもしれないが、暦に関するあれやこれやがけっこう長くてまた結構ややこしい。それは退屈かもしれないが、そう思ったら読み飛ばせばいい。


大江健三郎全作品1(新潮社)

引っ越しを期にたまりにたまった本をかなり片付けることになって、最後にもう一回読んでおくかという本の一つ。きちんと読み返すのは多分高校時代以来だろうか。
当時はこれにいかれていたものだが、今読むとわざとらしい悪趣味な題材と故意にひねったと思われてもしょうがない変な文体が笑えてしまう。ただし、作家としては才能はこの頃から既にあると思う。その感想は変わらない。差別を執拗に描いているのは今読んでも新鮮だ。「他人の足」は当時から好きな作品だが、今読んでも面白い(看護婦の「あれ」は安物AVみたいで下らないが)。
今読むとところどころで「やはり東大生というのは優雅なものだな」とも思ってえもいわれない。
最後の評論はつまんない。


中村保男『名訳と誤訳』(講談社現代新書)

自分も翻訳という営みには僅かながら関わっているのだが、自分なんか翻訳をやる資格がないのではないか、という気分になってしまう本。うんうんうなりながら締め切りと格闘しつつようやく上げた翻訳をこうネチネチ突かれたらやってられなくなるという翻訳家の先生も多かろう。学者らしい態度だと言えば、むしろ健全なのだが、学者や大学教授と聞くと嫌悪感を抱いてしまうタイプの人は多分鼻について読めないだろう。
肝心の翻訳論の方は結構突っ込んだ議論になっていて、着いていけない方も多いと思う。ただし、じっくり読めば必ず勉強になるとも思う。
日本人が和文英訳をもっとやるべきだ、外国語で作品を書く日本人作家がもっといてもいいといった意見には大賛成。自分の失敗経験が結構書いてあるのは良心的だと思う。案外こういう恥をさらすような体験談はためになるのだ。

面白いが敷き居は高いかもしれない。


副島隆彦『英文法の謎を解く』(ちくま新書)

スキャンダルと言ってもいいと個人的には思っている『プラトン入門』といい、ちくま新書大丈夫なのか。編集者はまともに仕事をしているのだろうか心配になってくる。
著者の人の悪さがにじみ出してくるような筆致がこの本の価値を半分以下に落としていると思う。とにかく悪口や嫌味、自画自賛、余計かつ怪しげな脱線が多すぎて不愉快な気分になりながらでないと読めない。おまけにこの先生、日本語の文体も自分の好みではない。かなり変わった文章を書く癖のある人だと思う。はっきり言って変だ。
「何でこんなに悪態をいちいちつくのだろうか」と思っていると『欠陥英和辞典の研究』の著者だった。なるほど。あの本は自分も結構面白く読んだのだが、色々あって疲れてしまったのだろうか、などと邪推したくなるほどだ。とにかく一々一言多い。
ただし、そういう障害物を無視できれば、読んでためになる本だとは思う。

しかし何よりも、内容以前の問題として面白くない。嫌みや悪口を聞き流せるタイプの人にはためになるかもしれないが、英語の勉強をしたければ他の本にした方が無難。そのくらい「雑音」の多い本だ。


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