CM2S書評2012
(いまさら)その1
桑田昭三『偏差値の秘密』(徳間文庫)

おなじみ(?)偏差値について一くさり書く

つもりだったんだろうけど、その実「偏差値と私」にしかなっていない。偏差値について筆者が知りたいことには何一つ答えてくれなかった。高校の確率統計の時間に勉強した以上のことは、事実上書いてないといってもいい。要するにほとんど時間の無駄だった。

かつての都立高校の入試問題が載っていて、これが信じ難い内容というか昨今の入試とは全く質の異なる難しさなので、それは面白かった(でもこれもただ載せてあるだけ)。


時間の無駄(下の中)


谷崎潤一郎『陰翳礼讃』(中公文庫)

改めて説明するまでもないが、この文豪の、有名な表題作を含む評論というか随筆というかを数編集めたもの。

やはり表題作は二十一世紀になった今でもなお読みごたえがあり、「旅のいろいろ」が同じくらいかどうかするとそれ以上に面白い。時代を超えて読まれ続けていくであろう価値がある。

ただ、その間にある数編は残念ながら最早過去のものとなってしまっている… つまり、西洋よりも東洋が上、なかんずく日本文化が一番いいというすさまじい偏見の下に自分の趣味を何だかんだと絶対化しているだけの代物に過ぎない。今やこんなものは「批判すべき対象」としての「古典」であって、こんなものをいまだに「冒すべから」ざるものとして持ち上げるとすれば、そんな日本文化論はその程度でしかないということだろう。評者とて日本人であるから、ある程度の郷愁は感じ、その限りでは共感できなくもないのだが、一旦合理主義を経た立場からすれば、現象の解釈などどうにでもなるものだということの非常に貧の悪い実例でしかない。

当サイトの別のコーナーで、トイレに関する薀蓄に触れた覚えがあるが、それがまとめられている一遍もなかなか面白い。


にもかかわらず「古典」としての価値には揺るぎはない。いつになっても、様々な形で読まれ続けていくものだろう(上の下)


長谷川滋利『メジャーリーグで覚えた僕の英語勉強法』(幻冬舎)

おなじみ元オリックス、さらに元エンジェルズ、元マリナーズの長谷川選手が書いた英語本。正直、ある程度英語のできる人間から見れば内容的には「薄い」のであるが、そこは彼の類希な経験と、それに裏打ちされた確かな情報とが補って余りあり、意外と「読める」。少なくとも、便乗して自分の政治信条だの怨恨だの、果ては「オレはすごい!」だのを垂れ流す「英語ゴロ」連中のものよりはよほどマシである。評者も参考になる点や、「確かに…」「やはり、分ってるな…」と思わされる点が沢山あった。

英語もさることながら、アメリカでの生活の上で重要なことも沢山紹介されているので、漠然と留学などを考えているたとえば中高生あたりにも読んでほしい書物である。


意外な名著かもしれない(上の中)


立花隆『日本共産党の研究』(講談社文庫)

遅ればせながらようやく読んだ。言うまでもなく、あの「知の巨人」(最近は「虚人」に成り果てている気もするが…)の出世作の一つの、労作である。

二十一世紀になり、日本共産党を囲む状況も大分変わって、要するに、少なくとも評者が現在住んでいるような地方では、ほぼ何の期待もされていない万年野党で、多少ポリシーが貫かれているくらいが唯一のとりえ、くらいのものだろうが、そうなるのも仕方ないのかなと思わせてくれるほど、この政党のどうしようもなさが、これでもかと描かれている。

無論、立花の主張が全て正しいと判断する資格は評者にはないが、説得力はあると言わざるを得ない。少なくとも、日本共産党側からの反論のみっともなさ(これとて立花が紹介する限りの、という限定付きではあるが)よりは、よほどまともに見える。

私事だが、評者はかつて国立市に住んでいたことがあり、その時にたまたま共産党市政を身を持って体験したのだが、なるほど、こんな連中に権力を握らせては碌なことがない、と思ったのを思い出す。実は評者も若い頃は共産党に少なからぬ期待をしていたものだったが、アレは何だったんだろう…と、えもいわれぬ感覚に襲われる。

もう一つ、個人的に印象に残ったのは、大杉栄の姑息さで、所詮そんな程度の人間だったのか…と大いにガッカリした… もちろん、彼の思想はそれとは別に、純粋に内容だけで評価されるべきなのかもしれないが、評者が落胆したのは事実である。

一つだけ、この労作にケチを付けさせてもらえるとすれば、やはり、長い! 厚めの文庫本三分冊という、これだけの分量を読むのはさすがに骨が折れる。しかも、書き方がネチネチと細かく、資料にはカタカナ文も多く、決して読みやすくはない。仕方なかったのかもしれないが、もうちょっと何とかならなかったのかな、というのは正直な所だ。


とはいえ、労作なのは間違いない。後の立花の「どうしたんだ?」というトチ狂った駄文駄作に比べると、色んな意味でえも言われない…(もっとも、その萌芽は所々に既に伺える気もするのだが…)。(上の中)


松島栄一『忠臣蔵』(岩波新書)

おなじみ赤穂浪士討ち入り事件の学術的な概説。というわけで、結構筆致は「面倒臭い」感じで読むのはなかなか骨が折れる。面白くない、とまではいかないが、何か一々面倒臭いことを読まされている感じがする。評者は一応学術の世界に生きていたこともあるので、学術的にしっかりしたものを書こうとするとこうなるのは、分る。しかし、もうちょっと面白くならないのかな?というのは素人の立場からの偽らざる感想である。

多分、この本でしか知れない独自の内容というのが、ないとは言わないが、それほど積極的に前に出されていないので、今一つ引き込まれなかったのかな?という気はする。

その点、事件後、作品としての『忠臣蔵』の歴史に関する部分は、こっちはなかなか面白く読めた。

しっかりしていて手堅いが…という感想…相すまない…(上の下)


吉川幸次郎『漢の武帝』(岩波新書)

歴史の授業でもおなじみの武帝の伝記で、書き方は学術的ではなく、むしろノンフィクションに近いものであるが、その分、軽やかにスラスラと読んでいける。この偉人について大雑把に生涯をつかみたいというのであれば、当座これで充分だし、逆に言えば、学術的な著作とは違い面白く読み通すことができる(もちろん、学術的な水準と面白さを兼ね備えていればさらにすばらしいのであるが… 無論そんな奇跡的な著作はそうそうはない)。なかなかの名著ではあるが、やはり物足りなさを感じてしまうのは、致し方ない…

とはいえ当座これで充分とは言える(中の上)


大川貴史『高校化学とっておき勉強法』(講談社ブルーバックス)

下の不愉快な本に比べると、こちらは比べ物にならないくらいの名著だ! 現役高校生はもちろんのこと、評者のように高校できちんと化学を学んだことのない者にもお勧めする。多分、ある程度化学を極めた人でも参考になることがあるんじゃないかと思う。

とにかく、「何か分らんけど、こういうことだって話だったな…」という内容が「なるほど!それは、こういう理由だったんだな!」とストンと腑に落ち、「やっと納得できた!」とスッキリさせてもらえると共に、「どうしてこういうことを教えてくれなかったんだ!」(評者も「理科1」(今の「理科総合」にあたる。もっとも内容はもうちょっと高度だった)くらいは履修したのだ)「こんなことは教科書にも参考書にも書いてなかったぞ!」(というわけで評者の化学理解はほぼ独学である)と軽い怒りも沸いてくる、そんな体験を読んでいる間中させてもらえる。ズブの素人にはちょっと敷居が高い所もあるが、全体的に説明はうまい。実は評者は「モル」を使うのは割と得意な方なのだが、「モルアレルギー」の向きにもお勧めできる。

こんな本を書いたのは、さぞかしすごい学者先生だろう… と思うと、何と高校の先生というから驚く。頭の良い悪いは肩書や経歴に必ずしも結びつかない、という見本であろう。いや、こんな先生に習いたかった…(上の上の上)


保江邦夫(監)『早分かり物理50の公式』(講談社ブルーバックス)

嗚呼、どのくらいぶりでこの書評を書いているのだろう… 下の書評をいつ頃書いたのか、自分で思い出せない… それから色々なことがあったような気もするし、いやそんなに別に何もなかったのだが、ただ単に自分が怠けていただけだった、ような気もする。ともあれ、また書いていきたいと思う。読んでいる方がいるのかどうかは分らないが…

さてこの本、最初は分りやすくていいんじゃないかと思ったのだが、この手の素人向け早分かり本によくあるパターンで、何かどこかフザケた感じの筆致が一々一々癪に障ってどうにもダメだ! 素人向けのものにはそういう内容を入れなければならないとでも思い込んでいるのだろうか? 雑誌の「大学への数学」に比べ「高校への数学」が下らなくて手に取る気がしないのと同じような不愉快さを感じる。

しかも、後半に入り、ボルツマン定理などが出てくる段になると、何の説明にもなっていない「さわりもどき」が今度は連発され、また別の意味で無意味極まりない。

何か結局茶化された騙されたって読後感だけが残り、非常に不愉快(下の上)


永沢光雄『AV女優2』(文春文庫(2002<1999))

以前ここでも取り上げたノンフィクションの続編。前作が結構面白かったので、大いに期待したのではあるが、丸々裏切られた…… 第三弾が出ていないのも納得である。出さないのではなく、出せないのだろう。
早い話、第一弾に比べ、出てくる女優の頭が悪すぎるとしか言いようがない。聞いたところでは、第一弾は女優が大袈裟な話をして(要するにホラ話をして)それをそのまま活字にしてあるだけ、という批判があったらしいので、ひょっとしたらその反動かもしれないが、それにしても、こんなノータリン女の交尾を見て興奮していたのかと我ながら情けなくなる。そんな、AVや女優に知性を求められても……と言われるかもしれないが、そんなレベルじゃないトンデモないそれこそ小学生並のおバカ連中が延々延々出て来てバカ語りを垂れ流しているだけ(少数の例外を除いて)。AV女優も急激にバカになったのか、それとも単にインタビュアーの著者が耄碌しただけなのか、それはにわかには分からないが…… 要するに、前作に比べとんでもなく読みごたえは薄い。時間の無駄だった。
ちなみに、登場女優の中で2007年現在も現役なのは森下くるみだけだろう多分。彼女は間違いなく偉大な女優だが(評者も結構好きである)、彼女の章も残念ながらつまらない。

ガッカリした……今同じようなものを作ったら、どうなるのだろうか?(中の下)


奥野正寛『ミクロ経済学入門』(日経文庫(1982))

そのまんまの内容で、通読して確かにミクロ経済学の基本の基本くらいは分かったような気分にもなれるが、しかし、何なのだろう、この読後感の悪さは……
多分筆者は非常にうまくまとめてくれているのだろう。しかし、はっきり言ってつまらんのである…… 読んでいて全然面白くないのだ…… この手の書物にそんなものを求める方が間違っていると言われればそれまでだが、しかし全然頭に入ってくれず、読み通すのが非常に疲れた上に、もちろん全然記憶に残ってない。身近な問題に近づけようとしている工夫も分かるのだが、それでも何というか論じられていることが何か例えば物理学とかよりももっとよそよそしい内容にしか見えてこない。一体なんでこんなに着いていけないのだろう、評者がバカなだけなのか(そうかもしれない。いやそうなんだろう)、何度となくそう思った。正直読むのは苦痛だった。

大学の恩師が「概論・入門が一番難しいんですよ」と言っていたのを思い出す。(中の中)


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