CM2S書評
2016
その2

菊池昌典他「中ソ対立」(有斐閣選書(1976))

タイトル通りかつての二大社会主義国家の対立を多角的に論じた書物。

言うまでもなく、タイトルから、また出版年からも分かる通り、この書が出た時点ではまだ「ソ連」が存在していたし、中国のあり方も今とは大きく異なっている。だから、二十一世紀の今この書物を読むことがどういう意味があるのかまず考えねばならない。

もちろん、この書を元に現在の中国及びロシアを論じるなんてことは酷い時代錯誤だが、かつてこの両国がどんな過程を経て、どんな、いやどれほど「アホらしい」対立に突き進んでいったかという、その歴史を知る上では大いに役に立つし、面白い。両国とも、今とは全然違う在り方をしていたのではあるが、それよりましになったとは必ずしも言えず、また、本質的には変わってないんじゃないの?とすら思えるので、この二大「大国」を理解する上でもためになると共に、内容的には気が滅入ってなかなか嫌な気分になれる。

今時社会主義もないもんだが、この書は社会主義が失敗する過程をたどらせてくれる、あるいはもっと言えば社会主義なんて所詮こんなものだったと教えてくれる書物としても、有益かつ気が滅入る。かつて、こんなものが「知的」と賞賛され、世界中の研究者が人生をかけていた、という余りにもアホらしい事実が、何とも言えない… おまけに、西暦2016年現在、では資本主義が勝利したのかと言われると「う〜ん…」と口ごもらねばならない有様だけに、人類って、やっぱりバカなのかもな…と実感せねばならず、ちょっと人類やめたくなる気分だ…


とはいえ、内容的に古臭さは感じざるを得ないものの、割と楽しく読めてためにはなり、決して無益な書物ではない(上の下)


宮川俊彦「自分を壊す子どもたち」(角川文庫)

いつかそういうことも書きたいというか書かねばならないこともあるかもしれないが、過去に読んだ書物や著者に対して大きく考えが変わってしまうということもある。それとは別に、以前に読んだ著作とはあまりにも違うので「何があったのだろうか?」と思ってしまうこともまたある。

実はこの著者については別の著作をここで取り上げたことがあって、その時は比較的肯定的な感想を書いたはずなのだが、その時とは全く違う、いやほぼ正反対の感想を常に抱きながらでなければ読み進めることができなかったので、正直戸惑っている。

この著作の内容を一言でまとめるならば「支離滅裂」これに尽きる。はっきり言って結局何を言いたいのかが分からない。それもそのはず、誤解を招きそうなこと、いや「これが誤解されないと思うのは虫が良すぎる」という内容のことを延々垂れ流しておいて、時々開き直ったりまでする始末なので、著者はこの書物で一体何が言いたくて何を伝えたいのか、評者にはさっぱり分からず、その反面、「オレはすごい!オレは分かってるんだ!」という主張だけは嫌になるほど伝わってきて、苛立たされる。ひょっとして著者は読者を不愉快にさせたいのかとすら思えてくる。

要するに、著者自身考えが良くまとまらないままとりあえず本の形にしてしまったのではないかとも思えてくるのだが、これも好意的に読んでのことであるし、何度か改訂する機会もあったはずなので、やっぱりただの支離滅裂なのではないかとも思えてきて、何ともモヤモヤする。

「ただ子供たちへの愛だけは感じられる」と言えればまだ平和だったんだろうが、悲しいかなそうも言えない。というのは、この書全体を通じて「いじめ自殺は何のことはない体のいい『復讐』である」「生命軽視の表れである」という主張が一貫してなされていて、いじめ自殺した子供の取材をしていた著者が本当にそう思うのか?そうとしか見えないのか?と大いに疑問に駆られる。いじめられて自殺した子供の内面にはそんなものしかない、というのがまさかあなたの結論なのか?と問い詰めたい気分だ。


これは以前取り上げた「心が壊れる〜」の後に書かれた著作だが、間に何かあったのだろうかと思うが、あまりの違いにヒく、というよりガッカリしてしまったので「もういい…」という気分だ…(下の下)


奥村宏「新版 法人資本主義の構造」(社会思想社・現代教養文庫(1991))

日本特有の「会社本位」の資本主義がどのようにして成立し、どのような問題があるのかということを、 主に株式所有のあり方という点から丹念に追った読みやすめの研究書。

経済書特有の取っ付きにくさはあるものの(確かに何となく面倒臭い雰囲気は他の経済書と共通している)、一旦解体したはずの財閥が相互持株という形でしかももっとタチの悪い形で復活し、経済全体を巧妙に支配するものの責任がどこにあるかはさっぱり分からなくなっていく、という過程が割と分かりやすく書かれていて、これはこれで納得する、というか、日頃から「何かおかしいな?」と思いつつも何がおかしいのかはわからずモヤモヤしている評者のような人間にはむしろ空恐ろしい感覚を味わわせてもらえる。

評者など経済に関してはズブの素人もいい所なので割と納得しながら読んだのだが、日本の株式のあり方がこれでは、バブル崩壊からの永い永い不景気も、ホリエモンとかあの辺みたいなシステムのスキを突くことしか考えてない連中の登場とかも、必然的なものだったのではないか、とか思えてくるし、アベノミクスとやらが株価の変動に一喜一憂している理由とか、うまく行ってると言い張られている割には何がどう変わってるのかさっぱり実感できない原因とかも、何だか分かる気がしてくるから、別の意味で何だかタチが悪い…。要するに説得力はあるように感じる。

しかし、この手の経済書に特有の「うまく説得されているようで、その実どうも何か騙されているような気がする」感覚は、この書にも漂っていて、本当にこの通りなのかな…という疑念も終始評者の脳裏を離れなかった… 経済学に造形の浅い評者はそれを深く掘り下げる手段も暇も残念ながらないのであるが…


何となくモヤっとは来るが納得はさせてもらえるし面白く読める(上の下)


愛新覚羅溥儀「わが半生」(ちくま文庫)

御存知ラストエンペラー溥儀がタイトル通り自らの半生を回顧したもの。上下巻で並の長編小説よりも長いが割と快適に読み進められる。

前半は自らを含めて当時の中国の何というかどうしようもなさ、というかはっきり言って愚劣さが包み隠さず晒されていて、正直ヒきながらも下世話な覗き見感覚で割と楽しめる。

いや〜自分の愚劣さもこうやって隠さずに書けるなんて立派な人だなぁ、とか安直に思っていると、なんでそういうことになるのかが後半に行くと分かる…(というか最初からこの書物が成立した次第を踏まえていれば納得なのだが…) つまり、戦後に「自己批判」のために書かされたものだったらしい。もっとも、それを踏まえてもこれだけ自分のネガティブな面をさらけ出せるのはなかなか立派なものかもしれないが…

ただし、それが「戦後」になると「中華人民共和国の寛大政策バンザイ!」が露骨というかあまりにも前面に出てきて、はっきり言って気持ち悪い。元貴族−−というか皇帝だから貴族中の貴族だ−−が見事に洗脳されていく過程、とでもややひねくれた読み方をすれば、これはこれで楽しめるかもしれない。それに、この段階に至っても引き続き描かれ続ける溥儀周辺の人間の愚劣さは、なかなかえも言われず、やっぱり中国人って「こんな」なんだ…と、少々実体験のある評者などは、納得するやらウンザリするやらである。

少々写真もあって、その中には可哀想な婉容さんも出ていたりするんだが、意外にも溥儀はほとんど婉容については何も書いておらず、そこは拍子抜けする。というか意外すぎて驚いた。やはり「あの映画」は色々と問題がある、ありすぎる、らしい…


これはこれで面白い(上の下)


篠田達明「徳川将軍家十五代のカルテ」(新潮新書(2005))

タイトル通り、徳川将軍十五人+αの持病や死因を探ったもの。

十五人もいれば、この人だけは何の健康上の問題もなく穏やかに長生きしたという方がいそうなものだが、慶喜がほぼそれに近いというくらいで後は「おまけ」の水戸光圀とかまで含め、まぁ無茶苦茶なのに驚く。現代はつくづくいい時代なのだなと思わずにはいられない。

評者の持論として「フィクションはノンフィクションに負けている」というものがあるが、脚色美化するだけの大河ドラマなんかよりもよほど面白い。たとえそれがワイドショー的な下世話な覗き見趣味同然のものだとしても。

それに、十五人全員をちゃんと取り上げてあるのが偉い。というより、何百年も経ってこんな営みが可能だということにも驚く。


少々品が悪いとも思ってしまうが、だからこそ面白いのかもしれない…(上の下)


ピーブルズ「人類はなぜUFOと遭遇するのか」(文春文庫(2002(Org.1994)))

タイトルからすると逆のように思えるが、「懐疑派」の立場からのUFO現象論というか目撃史というかで、「ビリーバー」側の著作にはない冷静な視点が貫かれている。著者はアメリカ人なので、内容はもっぱらアメリカでのそれである。

というわけで、この内容にしては「読める」本なのだが、その分アメリカにおけるUFO研究の有様も冷徹に記述されていて、その「どうしようもなさ」が身に染みる… ビリーバーたちや「摺り寄ってくる人達」の愚劣さは日本もあちらも、そうそう大差はないらしい。

特にあちらのUFO協会的な団体の没落ぶりと、アダムスキーの愚劣俗物さには、えも言われない絶望感を味わえる。

訳者の皆神龍太郎は「と学会」の主要人物で、原著の後日談的な章を書き加えて、ついでに日本での有様にも触れているが、これはアメリカでのそれとはまた別の意味合いで、絶望感に駆られてしまう…


要するにもうUFOなんてことに夢中になれる時代は終わってしまったってことなんだろう… そしてそんな事態を招いてしまったのは懐疑派ではなく、むしろビリーバーである(この辺、心霊写真を潰したのは誰か?ってことと似てる気がする) この書物自体はよく書けたものだと思うが、その分、後に残る寂しさが冷たく身に染みる(上の中)


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