CM2S書評
2017
鹿島敬「男と女 変わる力学」(岩波新書(1989))

出版された年から考えると「さもありなん」だが「女性パワー」とやらに媚を売っていい気になっているとしか思えない「フェミ男」のヨタ話

21世紀になった今になって読み返してみると最早お笑いでしかなく、今時こんなことをマジメに力説する「フェミ男」(「プロフェミニズムメン」とやらはこんな底の浅いものではないだろう…なお評者はこうした新語の洪水に嬉々とするフェミニズムの傾向を良く思わないしはっきり言ってウンザリだが、それはまた別の話)は逆に「フェミニズム」の方々から怪しい奴として警戒されるのがオチかもしれない。著者の見た「女性パワー」とやらに阿って時流に乗ったつもりでいながら、しかし男性側にもいい顔をしておきたい(まぁ結局は男性なのだからある程度は…とは思うがそれにしても御都合主義が過ぎる)という風に、ある種のフェミニストみたいに「いいとこどり」だけしたい、という感覚に染まっているものだから、どうにも論旨が「だらしない」上に立場がフラフラしていて、読んでいてイライラする。

著者が2017年の今現在何をしていてどういうことを言っているのか知らないし別に知りたくもないが、逆にフェミニズム側や、もっと言えば女性側に煙たがられてうろたえているんじゃなかろうか、と余計な心配も湧いてくるが、自業自得だから別に同情する気も起らん。

要するに下らん


(女性に媚を売る男の女々しいお説教 今更読む価値は何もない(下の下))


ニーチェ「この人を見よ」(西尾幹二訳;新潮文庫)

評者は幸か不幸か大学の哲学科なんぞに籍を置いて西洋哲学を勉強していたのでニーチェも主要な著作は読んだことがあるはずなのだが、この著作は多分初めて読むと思う。

言うまでもなくニーチェが「あっち」に行ってしまう前の最期の著作で、訳者西尾先生の解説にもある通りかなり「キ」ている… どこまで正気なのか?と身構えねばちょっと読めない…

しかし、ニーチェは捕えようによっては元々「こう」だったとも言えるし(「善悪の彼岸」なんてここまでではないが結構「キ」ている)、読みようによっては最初から「こう」だったとも取れる(「悲劇」からしてもうおかしいって捉え方も、いや文献学者時代から変だったとすら言いうる(研究分野に関係があるから読んだことがあるが確かにディオゲネス・ラエルティオスに関する論文なんてかなり強引で「こんなの許されるのかよ!」と若い頃の評者も驚いた覚えがある…))

その上で読者各人が価値判断を下さねばならないのがニーチェだと思うが(故に百人百様の「ニーチェ」があることになると思う)… 今この著作を読んで評者が思うことは「根本的な疑問を呈し、その疑問の深さには価値があるが、それを超える哲学的価値はあまりないんじゃないか?」という所である。要するに「疑念だけの哲学者」という捉え方に近い。下世話な言い方をすれば、文句言ってるだけで建設的なことは何一つ言わない面倒臭い奴、に近い哲学者なんじゃないかと… ただその文句の目の付け所が尋常じゃなく根本的な所を突いてくるってだけで…

そして、その原因が実は「音楽」なんじゃないか?って予感がちょっとしてきた… 要するに芸術批評みたいな感じで万事捉えちゃ何でいけないんだ!ってのがとんでもなく深められて「こうなった」、という側面があるんじゃないか?と、この著作を読んでいて何度も思った。さらに、どっかのアニメの登場人物じゃないが「オレは天才音楽家に違いないはずなのに何で認められないんだ!こんな音楽観は間違ってる!世間の美学は全部まやかしだ!」ってのが、幸か不幸か膨れ上がって「こうなった」と…

もっとも、言うまでもなくこれは評者の「感想」「予感」に過ぎず、今更この「思いつき」を検証してみる気も暇もないし、他にこんなことを言っている人がいるのかいないのかも知らなければあまり興味もないのであるが…

内容にも一応触れておこう… 一種ニーチェ自身による自らのキャリアの総括という体裁を取っており、ニーチェという哲学者全体を俯瞰する上では、ちょっとだけ役に立つ、かもしれない… というのも、やはりニーチェの著作それぞれを踏まえてないと何を言っているのか何のことかさっぱり分からないということが多く(ニーチェはまぁどの著作でも割と普通に「こんな感じ」なのではあるが…)、さらに鼻白むほどの自画自賛まみれなので、これをもって「ニーチェ入門」というわけには…ちょっといかんだろう… 多分すごく格調高い表現で書かれているんだろうけど(ドイツ語原文を読んだことがあればすぐ分かるが…ニーチェの文章はかなり凝った(というかはっきり言って「面倒臭い」)ドイツ語で書かれていて正直あまり読みやすくはない…)ニーチェ自身がそれに溺れている節も感じないわけにはいかない…


若かった頃は「ニーチェというのは偉人のはずだから着いていけない、理解できないのは自分が悪いんだ…」と思っていたが(幸か不幸かニーチェに心酔したことは多分ない)、今になって読んでみたら「何だか哀れな奴…」という風にも見えてきた… まぁ、そういうことも含めて、やはりこういう「古典」を読むのは面白い!これからも読むたびに何か感じさせてくれるんだろう(上の中)


久徳重盛「母原病」(サンマーク文庫(1991<1979))

「サンマーク出版」が並んだことには全く意味はなく単なる偶然である。

ベストセラーというもの自体にはあまり興味はないしベストセラーだから読むとか読まないとかも考えない評者であるが、話題になったものが気にならないと言えば嘘だし、気になったものは一応読んでおこうかなという感覚は持っている。というわけで、そんな流れで読んでみた、というものの一つ。

子供時代に図書館の新刊展示にあったのをかすかに覚えているが(確か結構怖い表紙だったような気がする…)、評者になぜこの書物が「気になった」かと言うと、それは「フェミニズム」だったりする…(我ながらやれやれ…って感じになるのだが…) 「母親が病原だと!そんなことがあるものか!何という男尊女卑!父権主義!この社会が男性中心主義になっているからこそそんな主張がなされるのである!こんな本が出版されることが男性中心主義の証拠である!」という感じの貶し方をされていたわけで、「果たしてそうなのか?」と思ったわけだ。

結論;この「フェミニズム」からの主張は言いがかりである… 巷では、ちょっとでもフェミニズムに楯突こうものなら「フェミニズムをろくに知りもしないで何を!」「どこのフェミニストがそんなことを言っているのか証拠を出せ! え?それは「フェミニスト」ではありません!」とかギャンギャン言われるのがオチだが、同じことをお返ししたい。著者は「母親の間違った育児・子育てのせいで引き起こされるぜんそくやカゼがある」と言っているだけで、母親全体や、まして女性全体を非難しているわけではない。ここでフェミニズムお得意の「いや、表面上そう見えるかもしれないが実は背後には男性中心主義が横たわっているのである!」論法に持っていくにはかなりの「手続き」が必要だろう。

(ちなみに、こういう論法は評者は詭弁の一種だと思っている。どんな主張や思想・主義にでも「実はそれそのものが男性中心主義に基づいており…」とできるわけで、結局これは何も言っていないのと同じことになると思うのである。何を言われようが「いやその主張自体が男性中心主義に基づいていて」と言いさえすればよいのだから)

とはいえ、著者の主張する育児・子育ては荒っぽく言えば過保護を裏返しただけみたいな所もあるので(かつて流行った「はだし保育」とかそういう流れ)、妙にアナクロな所があり、そこはツッコミ所満載である(「高圧的な母親に育てられると同性愛に走りやすい」等の「そんなこと言って大丈夫か?」という主張はわりとそこここにある)。そのような姿勢や著作スタイルが「言いがかり」を招いた、という節はなくはない。


評者は育児・子育て経験がないので、この書物が育児指南書としてどの程度有効なのかは判断しかねるが、そんなにいいものでもなさそうだ… (中の下)


チョン・チャンヨン「英語は絶対、勉強するな!」(サンマーク出版(2001))

本国韓国でもベストセラーになり、この翻訳も日本でなかなかの話題になった書物を今更ながら読んでみた。

著者の言う「非勉強」英語学習法は、ある程度英語を習得してしまった者にとっては率直に言って「何を今更…」な内容で、要するに「分かるまで聞く」「覚えてしまうまで聞く」という営みを習得の中心に据えるということに、ほぼ尽きると言ってよかろう。言っていることは全く間違っていないと思うし、効果もあると思う(少なくとも「一日五分聞き流すだけでペラペラ」とかの「アレ」よりは一億倍ましである)。「今更」というのは、全くこの通りのことをするってことはむしろ少なかろうが、英語を習得した人間というのは大なり小なり「こういうこと」をしたのではないのかな?と思うからである。

評者が疑問に思うのは、著者が推奨する習得法はかなりの忍耐力を要するもので、思わず「それは十分「勉強」になってしまうのではないか?」「この習得法を忠実にこなせる人ならば、そりゃうまくいくだろうよ」と感じざるを得なかった、という点である。しかも、著者は「やり方を一切変えるな!」とか妙に「忠誠を誓わ」せるようなことまで言う。ここまで行くと、正直引く(まぁ日本にはもっと「家元」みたいなことを言い「居合切り」だの何だか怪しいことをやらせる、もはや「トンデモ」な「英語名人」がゴロゴロいらっしゃるんではあるが…)。

そして、この書物、対話篇というか著者と「K」なる生徒との会話という形式で書かれているのだが、正直まどろっこしい、というかはっきり言ってウザい… こんなんだったら、いっそのことマンガにしちまえばいいんじゃないのか?(ひょっとしてもう出てる?) それに、著者が言う「勉強」が特殊な意味なので、この評も書きにくいったらありゃしないわ…


内容的には悪くないが、この通りの習得法をそうやすやすとできる人はそれほどいないと思うし、ある程度できる人には「何を今更」なので、トータルするとそんなに意味深い書物ではないな(中の中)


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