ミスター高橋『流血の魔術 最高の演技』(講談社)
遅ればせながら読んでみた。結論から言うと、面白い!プロレスファンはこれに反発したらしいが○○の穴が小さいとしか言う以外にない。「やってはいけないことをした」とか言われているらしいが、いつか誰かがどこかでこの公然の秘密を明確に明かしておかねばならず、それには高橋さんは最適な人材だったと思う。プロレスはここから始まるべきだという意見の方に評者は賛成である。「総合格闘技」を見ていれば分かるが、真剣勝負というのは見ていても意外とつまらないもので、「品質管理」をきちんとしていればプロレスが潰されることはないと思う。プロレスが閉塞しているのは、おかしな色気を出しているのと(K1その他でプロレスラーが負け続けているのは情けないと言うしかない。しかもプロレスファンがそれに「お前は勝ってくるまでプロレスをやるな!」とでも言うかと思えば「よくやった!」しか言わないのは情けないのを通り越して絶望してしまう)、品質が落ちているからだろう(事実、新日はもう見ていられない)。
高橋さんらしく「へー!そうだったのか!!」という内容が沢山あるのはうれしい。新日本で一番強かったのが世界の荒鷲・坂口征二だというのは驚いたが、まぁそうかもしれない。ちょろっと語られる上田馬之助のエピソードも何とも彼らしく、つくづく惜しいレスラーを我々は失ってしまったものだと思わずにはいられない。
個人的にはジョー樋口さんあたりに全日本版を書いてほしいものだ。(上の上)
遠藤みちろうに「吉本(隆明)さんはホカホカのごはん」という名言があるが、それになぞらえると評者にとって永井均先生はどぶろく、と言って悪ければ濾す前のビールやウイスキーなのだ。とてもクセがあって飲む度に「まずい!」と思うのだが時々飲まずにはいられなくなる。
正直に言うと、永井先生の個々の物言いには常々反発を感じてしまうし、全体としての立場には何か立ち向かいたくなるような衝動を常に覚えてしまう。対決を強いってくるということは哲学書としては大成功ということなのであろう(同じくニーチェの入門書を書いた「哲学者」の本がいいかげんなだけでなく何の毒にも薬にもならない同人誌同然のものであるのとは大違いだ)。全く救われた気がしないのはいつも気が滅入るのであるが……
ただ、ニーチェ読みというのはなぜか皆ニーチェに心酔してしまってなぜか恐ろしく暴力的かつナルシスティックになってしまうように見えるが、永井先生もそこから逃れ切っていないように見えてしょうがない。体言止めの多用といった「酔った」文体にもそれは現れているように見えるし、<私>という安全地帯からものを投げ付けてくるような筆致がいつになく強烈に出ているような気がどうしてもしてしまう。
それにしても「言語を語るには言語の外に出るしかなく、言語に無自覚にとらわれているあなた方にはそれは不可能なのだ」と言われても全く腹が立たないのに、この「言語」を「道徳」に変えた途端に妙に腹が立つのは一体何故なのだろう?
楽しくはないしためにもならないが読まざるを得ないという妙な書物…(上の中)
毒にも薬にもならない論文はずっと書いてきたものの、十何年ぶりに小説を書こうと思ってしまって、それじゃ小説の文章ってのは……と疑問に思ってこういったものをいくつか買って読んでみたのだが、まぁガッカリした……要するに自分の趣味を押し付け、気に入らない文章にツバを吐いているだけ。しかも彼等の趣味にかなう文章というのは結局新聞・雑誌といったジャーナリズムの文章に過ぎない。真面目にこういうものを間に受けて墓穴を掘っている犠牲者も多いのだろうな……とはいえ、評者自身もこういったものを読んでしまったばかりに長い文章を書くことや「が、」「と、」と書くことに罪悪感を持ってしまったりしたんだが……俺も人がいいな……とにかく、こういったものは時間の無駄であって、本気で文章を書きたいと思う人は自力で努力するしかないのだろう。そういうことを確認できたのはよかったかもしれない。
本当に時間の無駄。こんなもの読む時間があったら自分の好きな文章をじっくり読んだ方が百倍いい。(三冊とも下の上)
御存知「暴れん坊将軍」吉宗の政治的偉業を多角的に評価しようとした、というところなのだろうが、何かごちゃごちゃしていてなぜかどこか読みづらい。読み通すのに結構時間がかかってしまった。資料的には大いに役に立つし、驚かされるような情報も多く得られるのだが、何かどこを取ってもどこか面白くない。何故なのだろうか……
史料的には価値が高い書であろうが……(中の中)
ベストセラーは「作られる」ということとその構造を暴こうとした労作、と言うべきなのだろうが、当時は「読者」という得体のしれない集合体が望む形でベストセラーが作り上げられ出版者がそれに翻弄され追従し読者を翻弄し返すという形だったので、このぐちゃぐちゃな構造に巻き込まれて正直分かりやすいとは言えない。おまけに高尚を気取る語り口がさらに論旨を分かりにくくしている。今やベストセラーは「ヒット商品」でしかないからもっと分析は楽だろう(その分状況はさらに絶望的だし、そういう主張を書かせてもらえるかどうかも怪しいのだが…)。著者の小説への愛情はよく分るが、その後さらに状況は悪くなる一方だったというのは絶望せずにはいられない。中島/栗本先生は今でも「小説を信じ」ておられるのだろうか?
それにしてもよほど田中康夫が嫌いだったんだな……
「時代やのー」な内容だが、あの時代の分析としては面白い。(上の下)
やたらに新しい「〜新書」が出てくるのは結局「岩波新書」「中公新書」とかこういう所で『科挙』や『零の発見』と並べるのが恥ずかしいものをとりあえず出すためではないのか、そういう疑念を裏付けるような、何の反省もなくオバサン(じゃないつもりに著者は一人で浸っているがその感覚がすでにオバサンなのである、がそんなことを反省できないどころか開き直るのであろう。それがまたオバサンの証拠で……ああメタ無限オバサン化地獄……)が感情に任せてただ怒ってるだけの本。はっきり言っておこう。最後まで読んでない。その価値もない。最後まで読ませたければそんな書き方をしなければならない。そんなことすら御存知ない。こんな人間でも、もの書きを名のれて、おしゃべりをまとめただけで本出せるんだから有名人になるっていいもんです。
これじゃ書評にならないから一つだけ言っておく。「「私は嫌いだ」で済む所をどうして理屈を付けて……」みたいなことを言って毒づいているいるまさにその場所で「女が虐げられる日本はけしからん」みたいなことを言ってのける、こういう無神経さがまさに「なぜ男は女をバカだと思うのか」という状況を作るのである。こんなコウモリ感覚女が幅を効かせているのはいいかげんうんざりだ。「女性の立場」で口だけババアの田中真紀子でも応援してなさい。
もうひとつだけ。語尾に音符付けて若作りしてんじゃねぇよ……
読む価値ない(評価以前の問題)
大学・大学院時代に植え付けられたアレルギーから徐々に解放されて、最近日本史や数学の本をちょこちょこ読んだりできるようになった。「嫌わずに勉強しておけばよかったなぁ」と今さら後悔したりしているのだが、まぁ何はともあれよいことだからそれでいいとしよう。
さて、タイトル通りの非ユークリッド幾何の小入門書なのだが、何と言っても前半の非ユークリッド幾何誕生にまつわる悲話がえもいわれない。もっと詳しいことを知ったら中々泣けるのではないかという気もしてくる(それどころか映画化してほしいくらいだ)。つまる所評者は文系の人間なので、こういう話は面白い。その後の非ユークリッド幾何入門はさすがになんだかよく分からないような分かったような、何だかよく分からん。知ったかぶりのネタくらいにはなりそうだ。
さすがに難しい所もあるが、良心的な本だと思う。 (上の下)
「二宮尊徳の銅像は実はおかしい」「お伊勢参りには実は裏の意味があった」等の、タイトル通り学校で教わる健全な日本史には入らないあれやこれやを、時に実際に文献やテキストを紹介しつつ並べた読み物。さすがに専門家らしく丁寧に書かれていて、信用しても恥をかかずにすみそうな雰囲気だ。内容的にも、この手の本にありがちな下品な偏向は少々いかがなものかと思うが、面白いテーマが揃っている。
少々文句を言わせていただければ、所々「トンデモ」に加担しているのは全く感心できない。それと、文献を引いてくるのはいいが、どうやったら読めるかくらいは指南してもよかったのではないだろうか、これではさらに追求してみたいと思った奇特な読者を置き去りにしてしまう。
でもまぁそれも珠に傷の良心的な本で中々楽しめた。 (中の上)
評者も自分で自分が人見知りで引っ込み思案で根暗で神経質だということは自覚しているので、当然初対面で相手の心をつかむなどということができるはずもなく、最近はもう諦めて開き直っているくらいなのだが、もちろんこの本にも何かこの状況を打開できる秘訣か何かないものかと思って大いに期待して読んだ。
しかしそんな人のためになる部分というのはごくわずかだと言わざるを得ない。精神科の医者らしく性格分類が最初にちょこっとあった後は有名人の話やらなにやらが延々続く。評者のようにひねくれた人間には著者のの交友自慢にしか見えない。常日頃そう思っているのだが「やっぱり精神科の医者は…」と思ってしまうような本。(多分こんな読み方をしてしまうのも、初対面で相手の心をつかめない原因の一端の現れなのであろうけど…)
有名人の話に素直に喜べるなら面白いかもしれないが、役に立つ何かを期待するなら時間の無駄。 (下の中)
よくある「毒づき似而非文化人」の怨恨感情丸出しの毒づき本。要するに庶民(評者もその一人に過ぎない)が普通に持っているもやもやした怨念と適度に距離を取りながら色んなものに毒づいているというだけのものだが(そして読者は怒りを共有できる部分では同調し、できない部分では「これは違うな…」と反発する。まぁ『ゴー宣』とかと同じ構図)、内容的には中々面白い。風変わりな辛口書評だと思えば結構読める。ただ、聖書の所ではボロを出しまくっている。どうせ一般人は聖書の知識なんてないからいい加減でいいと思っているとしたら興醒めだ。特撮本の章も「とにかく馬鹿にしたい」という気持ちが先走ってとんちんかんなことを言っている。時々出てくる「〜だよね」「〜だわな」等々の頭悪そうな筆致もどうにかしてほしい。
諸々の雑音を無視できれば結構面白い。権力・公序道徳・有名人等々に怨恨感情を持っている人にはこういう本はきっと気持ちいいのだろう。 (中の中)