CM2S書評
2021

松本聡香「私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか」(徳間書店(2010))

(念のためお断りしておくがこの書評コーナー全体に関して「著者」とは書評されている書物をものした人物であり(今の場合は「松本聡香」)、「評者」とは今この文章を書いている人物(つまり「私」である))

題名からも分かるように著者はあの麻原彰晃の四女(つまり末娘)である

なお著者のこの名前は仮名あるいは筆名であって本名ではないらしい(のだが…この書にはどのこのその旨は触れられてない(と思う…評者も本名なのだと思っていた))し、教団内でいわゆる「ホーリーネーム」があったかもしれないのだがその辺の事情がどうだったのかも触れられていない

さらに、この書の内容に関しても信憑性についてそれこそ諸説あるらしいので、全部が全部信用するわけにはいかないのかもしれない…

だが…麻原と著者もつまるところ親子であった…ということがうかがえるのは…色んな意味で何とも言えない…(彼等もそれこそ人の子であった…と言うべきか…自らを最終解脱者と称し血縁の意味など当然全否定するに違いない人物にして「これ」なのか?!と呆れても構わないのか…どうにもモヤる…)

評者の印象に過ぎないが…著者は割と思う所をそのままここに書いているのだと感じた…

教団内においても事件後においても何かと辛い目に遭わされてきたのはおそらくその通りなのであろうし…その点は同情する…

が…一説によれば著者を中心に麻原崇拝教団を再興するという動きがあったそうで…もちろんこの著作内にそんなことは一切触れられていない(むしろ教団との決別を志向しているとしか読めない)が…ある程度は仕方ないにせよ教団のことを懐かしむような内容や、「光が見える」等の発言から、「もしや…」と思う節があることも否めない…

恐らくはこうした「ブレ」こそが…むしろこの書物が生身の人間によって書かれた証拠でもあろう…とも思えるのだが…

教団の異常さは言うに及ばず(しかし…私も身に覚えがあるのだが(知人で大学のサークルにいたのがいたのだ…今彼がどうしているのかは残念ながら知らない)…ある時期までのあの教団はかなりまっとうなヨガ研究教団にしか見えなかったのも正直な所なのだけど…)…逮捕後の麻原のある異常行動についても言及されていて…つくづく「どうしてこうなったんだろう?」と思わざるを得ない…


オウム真理教というものがなぜありえたのかというのはこれからも追及されねばならないだろう(決して一過性の特異な事項として忘れられてはならないと思う)…その中でこの著作がどういう役割を果たすのか…評者にもよく分からないが…著者の人生にそれこそ(真の意味での)平安(そういうものを麻原は提供できると謳っていたのではないのか?!)があればよいとも思う…なお三女の著作は読む気がない(フェアではない気もするが…これは評者の趣味の問題と取っていただいて結構(某ニュース番組…「あれはない!」))(中の中)


吉行淳之介「恋愛論」(角川文庫(1973))

御存じこの文豪による恋愛論、というのであるが…恋愛についてその本質を語るというよりは(著者あとがきとは裏腹に)恋愛について思うところをつれづれなるままに書き述べたものと言った方がいい…

とはいえ…まさにこの問題をテーマに作品を連ねてきた著者だけに洞察はなかなか読ませるものがあって面白い… 特に古今東西さまざまなものを引いてきてまたそれを丹念に書いているのが誠実さをうかがわせて安心できる…

例によって…「愛」の章に〇が付けてある 「花火」の章には逆に×が付けてあるが、恐らく今となっては時代錯誤過ぎて読んでられない、と思ったのであろう

この手の書物にはありがちなことであるが、もちろん恋愛上の参考には多分あまりならない…


理論的な考察の参考にはあまりならないが…単純に読み物として面白い(上の中)


小笠原博毅・山本敦久(編)「反東京オリンピック宣言」(航思社(2016))

結局強行されてしまった東京オリパラであるが…開催都市決定から間もなくこんな書物が出されていたとは知らなかった…

しかし…これでは残念ながら開催されてしまうだろうな…と…結構ガッカリさせられた…

前半は活動家風味が、後半はポストモダン風味が強すぎて…「いや…これは逆に開催を応援してしまうんではないのか?」とすら思わされる(丁度、強行開催直前に開催中止を求める宣言に名を連ねた面々を見て思ったのと同じように…)…

結局、この問題をダシにあーだこーだ言いたいだけの面々が集まった…そんな風にしか見えない…何かと原発の問題が顔を出すことが象徴的だと思う…

一体本当に問題なのは何か?この方々は考えたことがあるんだろうか??そう思わざるをえない

コーエンの贈与論を駆使した反オリンピック論が一番読みごたえがあって面白く、最後辺りにあるプロスノーボーダーからの告発も興味深く読みはしたが、それにしたところでそれでも今一つ踏み込みが甘く…「もっと何かないの?」と思い続けながら読み終えてしまった…


残念ながらオリンピックはこの調子で続いていくんだろう… おかげさまで私はほぼスポーツ全体に興味をなくしたので最早どうでもいいんであるが…(どこかで自分なりにきちんと論じてみたいとは思うが) 色んな意味でなんとも絶望的な未来像を垣間見させてくださった書物だった…(中の下)


飯山陽「イスラム教の論理」(新潮新書(2018))

何とも陰鬱な気分になる書物だ…

要するに「イスラム教の「論理」は自己完結しているので「外部」の論理からとやかく言ってみても無駄」「イスラム国やタリバン等はイスラム教の論理からすると「正しい」」という主張が徹頭徹尾説かれている。

つまり巷の「平和を愛するムスリム」「非イスラム社会との共存を図るムスリム」というのはむしろ「日和った」存在なのだ、と… 実はテロリストやイスラム国戦闘員の方こそ「本来的な」「正しい」ムスリムなのだ、と…

この書で著者が書いていることは「ここまで」で…「ではどうする?」という点に関しては「非イスラム的な観点から批判非難してみてもしょうがない」という以上のことはあまり言ってない…

(SNS上での著者の発言などから察してもどちらかと言えば著者自身の立場はむしろこうしたイスラム「本来の」姿勢に対して批判的にも思えるが…しかし…この書物に関する限りでは同情的だと取られても仕方がない側面もあると思う(例えば「イスラムファッション」に関する「はしゃいだ」筆致など…そう解釈されても文句は言えないと思う)…この点著者はもっと立場をはっきりさせた方が良かったと思う)

もちろん著者の理解が一面的で恣意的だという批判もありうると思う…

(著者はイスラム教の論理を「完璧」と書いているが…評者はそれはあくまでイスラムの側から見た「自称完璧」に過ぎず…実際には完璧でも何でもない…そこにまだまだ「突っ込む」余地はあると思っている(が…それはここではない所で改めて論じよう))

しかし…仮に著者の主張を認めるとすれば…我々平均的日本人にとって取るべき姿勢は全否定と拒絶以外ではないと思う…「陰鬱な気分になる」というのはそういう意味である…


さてはたして我々はどうすればいいのか? 私はこれでも哲学徒の端くれなのでこの「イスラム教の論理」と思想的に対決せねばならない…そして私なりの答えを出さねばならないだろう…(上の下)


日本ペンクラブ編・俵万智選「くだものだもの」(福武文庫(1992))

タイトルから予想される通り果物に関するアンソロジーで、著者群もバラバラならば内容もバラバラ(エッセイが多いかな)

評者も歌読みの端くれであるので、俵万智サンは尊敬している歌人の一人であり、その彼女が選者なのだから面白いに違いない…と思って読んでみたものの…

どうしたことが全く面白くないのだ…

いやいくら何でももっと面白いの何かあるはずでしょ?「すいません果物に関する作品ってことではこんなものしか見つからなかったんです」ってことはまさかないでしょ?と思わざるをえない…

本当にどうしたんだろう?と…いや次は面白いはずだだって□□なんだから…そして…やっぱり面白くない…助けてくれと言いたかった…

例によって…と行きたい所だが安倍昭の作品に〇を付けた以外は無印のままの目次が寂しい…


最後が梶井基次郎の「檸檬」という疑いようのない傑作で終わってるのが救い…(中の下)


寺山修司「書を捨てよ、町へ出よう」(角川文庫(1975))

寺山修司という方は…歌読みの端くれでもある評者にはどうあがいても越えられない弩天才にして高峰(つうかもはや異次元と言うしかない)であるし、ひょんなことで詩の方にもちょっと御縁があってその際に改めて天才を確認して勝手にうろたえていたものなのだけど(芝居の方は幸か不幸かよく分からないが…)…

その天才作家の名と非常にしばしば並べて挙げられる有名な書物を今更ながらやっと読んでみた…

正直…こんな内容だとは思わなかった… タイトルからしてもっと説教っぽいことを言っているのかと思ったらば…要するに趣味の内容を(多分)思うがままに書きなぐっているだけ(としかどうも今は思えない)…

しかし…内容は間違いなく天才の言うことなのである…「どこが?」って言われれば…うまく言えないのが評者の凡人たる所以なのかもしれないけど…(あるいは…評者も依然としてまだ寺山修司という名前にごまかされているだけで、見る目が曇っているのかもしれない…)

内容は競馬だの昭和歌謡曲だの…正直「だから何ですか?」ということも多いのだが…読んでて面白いんだからしょうがない…(何だか「VS全共闘」討論会の最後の三島由紀夫みたいな心境になってきた…)

中山千夏の解説は読む意味が全くない


「天才」というのはこういう方のことを言うのだろう…と言うしかない…(上の中)


町沢静夫「成熟できない若者たち」(講談社文庫(1999(1992)))

内容からもっと古い本かと思ったら意外と新しくて驚いた…

というくらい、あまり「予想」を裏切られない論考で、一時期一世風靡していた「精神医学系評論家」の言いそうなことに満ちている…というかあまりその外に出ない…

というわけで…こういうものを読んだことがない向きにはためになるかもしれないが、「知ってるよ!」って人間には物足りない、というか…問題は「その先」にある…(「今の若者はこれでこれでこうだからダメなんだ!」と言うだけでは何も変わらないだろう…)


私のかつての師は精神医学を「歴史が浅いだけあってか「軽い」学問だな…」と常々評していたが…「師匠…それは違いますよ!」とは言えないな…(中の中)


兼松左知子「閉じられた履歴書−−新宿・性を売る女たちの30年」(朝日文庫(1990)(1987)))

副題から予想できるように新宿で婦人相談員をしてきた著者が見てきたこの「業界」のあれやこれや

が、はっきり言って、羅列されているだけ… 朝日文庫にはよくできたノンフィクションも沢山あるが…これは残念ながら残念な部類に入る…

いや…ただの羅列にしても掘り下げが足りない…これだけ近くでこんなに見てきたのなら、もっと…何かないの?と思ってしまうのは…もしかして評者があまりにも濃密な世界にかつていたからなのであろうか? ともかく…どうしてこんな「表面をなぞっている」ようなお話ばかりなのだろう?と思わずにはいられなかった…

そのくせ…「こんなものを成り立たせている男社会は!」みたいなことはしっかり臭わせてくださるものだから…結局そういうことが言いたい方なの?とも思いたくなる…


今一つ残念…(中の下)


宮崎謙一「絶対音感神話−科学で解き明かすほんとうの姿」(DOJIN選書(2014))

こと音楽界においては必須の能力として魔法の如く崇められている絶対音感とはそもそもどういう能力なのかを実験心理学の立場から明らかにしようとした書物

著者の結論はそもそもの実態からして絶対音感という能力は必ずしも「音楽的」とは限らない、それどころかかえって妨げにすらなる、というもので、この能力がまるで「ニュータイプ」か何かのように賞揚されている現状と照らし合わせると、何だか溜飲が下がる気がする

評者も音楽に携わっているが、多分絶対音感はほぼ全くない…しかしなくてもほぼどうにかなる、むしろ絶対音感を自慢する輩は言うほど音楽的に大したことがないことが多い(むしろ歌に関しては下手なことの方が多いとすら思う)、ということに徐々に気付いてきたので、今は別になくてもいいと思っている(あれば便利だろうなと思うことはいまだにしばしばあるけれども…)

予想通り絶対音感保持者からは相当な反発を受けたらしい…例えば某所でこの書物を貶している絶対音感保持者はこの書の意図を完全に誤解して言いがかりを付けている(曰く「反絶対音感教」なんだと…)…ああやれやれ…)…

評者が引かれたのは、筆者が述べる音楽教育における絶対音感偏重に対する危惧で、これは同感だ… この便利な能力の獲得に躍起になるあまり、歪んだ音楽家もどきを量産しているんじゃないか?と感じざるを得ない… 子供を音楽教室に通わせる親の多くが絶対音感習得と同時にやめさせる、という指摘には「嗚呼…」という感じである…


面白い!(上の中)


呉善花「「漢字廃止」で韓国に何が起こったか」(PHP出版(2008))

まずはお詫びというか…毎度申し訳ない言い訳を…

こんな書評をどのくらいの方が読んでるのか知らないし別に知ろうとも思わないが…筆者の生活環境の変化で、またもや「こんな」有様になってしまった…評者としても忸怩たる思いだが…生活あっての「こういう営み」であるから何卒御勘弁を…

さて…

韓国がなぜ漢字を廃止したのか、またそれは韓国語、そして韓国人の思考や精神構造、さらには生活にどういう影響を及ぼしたかという問題に、タイトルから予想される通り、否定的に取り組んだ論考

韓国や韓国人がなぜ「あんな」なのかということにある程度の示唆を得られるので、読んでちょっと腑に落ちてスッキリするとともに、日本は漢字を廃止しなくて良かったと思わされる。

ただ…問題の掘り下げ方、検討の踏み込み方はやや浅い…一般向けの新書だからこの程度しかできない、ということなのかもしれないが…もっと徹底的な論じ方がされた方が良かろう。

というのが…この書物の前半…

後半は韓国語の諺や慣用句の説明がただ羅列されていて、前半との関連も薄く、はっきり言って水増し。


前半にも物足りなさが残るうえに後半は全くの蛇足で…何とも残念な書物(中の下)


最初のページに戻る