CM2S書評
その26

小野寺拓也・田野大輔「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」(岩波ブックレット(2023))

このタイトルだけで読みたくなる…非常に上手い…

そして内容も面白い…!

おそらく外国人が日本の図書館や大きい書店を見たら「日本人はずいぶんナチスが好きなんだな」と思うと思われるが… かつて同盟国であったよしみなのか?あるいは(特に我々世代くらいだと)マンガやアニメなどの影響なのか?まさか本格的にナチズムに染まったりネオナチに走ったり、とまではいかないまでも、何というか「ファッション」レベルで親近感的なものを抱いたり…ということはいまだに少なくないと思う…(先日も女性アイドルがヒトラーを賛美して問題になったりしたはずである…)

というわけで、「ナチスは良いこともした」説もなかなか根強いのであるが、それを一つ一つ、アウトバーン・フォルクスワーゲン・ラジオ・労働政策・家族政策・禁煙運動…等々、歴史学の立場から検証していったものがこの書物である…

ネタバレ的になってしまい恐縮であるが… 結論から言えば「これらの政策にナチスオリジナルはほとんどなく新味は皆無」「しかも実は差別的な思想・政策と表裏一体である」「そしてどれもこれもそんなに上手くは行ってない」…嗚呼嗚呼である…

もちろんこうした説に対して再反論することも可能かもしれないが… それは結構大変だろうと思われる…

意外な所ではナチスは環境保護政策にも熱心だったらしく、しかもこれが例外的に案外うまく行っていたらしいのである… が…これも差別的な民族主義に裏打ちされたものだったり、都合が悪くなると自ら相反する政策に舵を切ったりとグダグダなことになったり…何とも「トホホ」である… とても「世界一ィィィ!」などとは言えない…


面白い! とはいえ…我々世代にとっては若い頃にナチスの制服や党大会の映像の「秩序」にシビれあこがれたのも事実で…そういうものを見るといまだに「カッコいい」と思ってしまうのであるが… これもそのうち「ナチスはそんなにカッコいいか?」って美学的観点から検証する研究とかが出たりして(歴史学よりももっと難しそうだけど…)…(上の中)


広瀬健一「悔悟 オウム真理教元信徒 広瀬健一の手記」(朝日新聞出版(2019))

2023年10月現在、旧統一教会に対する解散命令が問題になっており、その絡みで「オウム真理教以来の」とも盛んに語られるわけであるが… 評者がこの書物を読んでみたのはそれとは直接の関係はなく単なる偶然である…

以前、ここで評者も別の教団幹部・早川紀代秀の著書を取り上げたこともあるが、早川がどちらかと言えば「巻き込まれた一般人」的な立場から教団や事件を振り返っていた色彩が強い(と評者には思われた)のに対し、広瀬は宗教体験・神秘体験が豊富で、そういういわば「ガチ勢」としての立場から振り返る度合いが強く、その立場の違いが併せ読むと、決して楽しくはないが…、興味深い… そういう意味でも、なかなか貴重な証言と言える…

(著者広瀬はこの書の中でも「信者は麻原による「マインドコントロール」によって不本意ながら事件に巻き込まれた」という見解に強く反対しているが(要するに「弁護士の入れ知恵」だと捉えているらしい)、そのように主張している被告というのは… どうやら早川のようである… しかし… その見解の違いは、早川・広瀬の姿勢の違いを踏まえると、分からんでもない…)

もちろん、著者の広瀬健一は死刑を執行されて既にこの世にはいない

早川と違い、広瀬は事件の実行犯でもあるから、例えば早川よりもなおより厳しい立場にあるのは当然だが… それでも… と思いたくなるのも人情かもしれないのだけど…

ただ… 彼等を「殺し」たのは、間違いなく麻原である(彼等が麻原の御教説通りに死後に魂として「高いステージ」に行けたのかどうかは私には全く分からない)

その点、社会が、ひいては「我々が」彼等を死刑にした、という言い方をしている高村薫は(序文の著者としてデカデカと表紙等にも名を書かれているが)一体どういうつもりなのか?大いに問い詰めたい所である。もちろん彼女の書いた序文に別に見る所は何もない

(なお、著者とタイトルは評者の判断でこのようにしてあるが… 体裁からすると著者は「高村薫序文 朝日新聞出版編」とでもするべきなのだろうか?(奥付は「著者 広瀬健一」になっている… タイトルも奥付にならっている…) この辺の「テキトーさ」が何とも言えない…)


「時間切れ」だったのか?あるいは著者広瀬自身に何かあったのかも分からないが…明らかに編集不足で同じ内容の繰り返しがあったりと何かと「不格好な」書物であるが、貴重な証言であることは間違いない… せめて広瀬の魂の冥福を祈るくらいは評者にも許されよう (中の上)


龍田恵子「日本のバラバラ殺人」(新潮OH!文庫(2000(1995)))

タイトル通り、明治以降の日本のこの手の事件を広く追ったもの

著者が女性であるせいなのか何なのか、第二部が女性犯人による事件集になっているのが特色で、もちろん決して「面白く」はないが、興味深く読める

個々の事件はどれも特色があり、またまとめ方も上手いので、「面白く不愉快」にさせてもらえるが… 一つ評者に面白いのはいわゆる「藤沢悪魔祓い殺人事件」で、被害者がロックバンドを組んでおり、何とメジャーデビューまでしていてそこそこ売れていた… という事件である…

事件そのものは… アホらしいというしか言いようのない宗教絡みの殺害事件で、被害者には何とも気の毒だ、としか言いようがない…

しかし… どうしても興味が湧いてきてしまうのは、被害者が組んで活動していたバンドで…(本書の中ではバンド名やリリースした作品の名前も実名で書かれているので、すぐに分かる) もちろん評者も色々検索して聴いてみた…

あの時代らしい音で、売り出しのためのコミカルな「設定」といい、音的にもなかなか良くできていて、そこそこ売れたのも分からなくはないものであった… つくづく被害者が気の毒である…


御覧の通り評者は犯罪実録ものが割と好きでよく読むのであるが… 何ともモヤる書物である… それにしても… 世の女性はどうしてこうも「クズ男」とくっついてしまうのであろうか?これは「大いなる謎」である…(上の中)


松里公孝「ウクライナ動乱」(ちくま新書(2023))

我々のような「素人」には今一つよく分からないウクライナ紛争をかなり遠い背景から描き切ろうとした巨編で、ページ数は500を超え、まるでちょっとした辞典かある種の(内容以外の何かを競っている類の)推理小説のようですらある…

おそらくすごく平易に書いてくれているのではあろうが…それでもかなり専門的な内容で、正直着いていくのは大変である… 評者もどれだけ理解できたものかまるで自信がない…

ただ…非常に根が深い紛争で…素人が単純総括できるものではない…ということは十分に分かった…

(半面… 何をどう考えてもロシアの行いが蛮行であり正当化できない「悪」であることもまた確かであると思うが…(この点は特に力を入れて論じられてはいないが、ロシアのテキトーさ・杜撰さを半ば呆れながら取り上げることで間接的に示されている、ともとれる…))

日本人の教養の程度は昨今は特に怪しいものだと思われる、と残念ながら言わざるを得ないが、おそらく多くの平均的な日本人はこの書物をストレスなく読めるほどの社会科学の「常識」を備えてはいないであろう… 要するに、素人にはかなり敷居が高く、その点でさらにもっと工夫が必要だったのかもしれない(評者も結構ストレスを感じながら何とか読んだ… 例えば社会科学上の用語などが突然何の説明もなく当然のように用いられるのは…もう少し何とかならなかったのだろうか…)

ゼレンスキーがポピュリストであるというのは評者も耳にしないではないが… ベラルーシの大統領(あのハゲヒゲ)が意外と良い政治家であるという説には驚くし、挫折した社会科学者が政治家になると碌なことをしないという見解には唸らされる… 等々… 目が覚める体験は何度もさせてもらえる

筆致にちょっとしたユーモアが盛り込まれていて、この色んな意味でウンザリしそうな大著を読み通すのを助けてくれる…


それにしても… 「いつまでこんなくだらないことを…」と一刻も早く終結することをもちろん評者も願う者であるが… 「なんでこんなくだらないことをしているのか」という背景のくだらなさをきっちり描いてくださるので…とんでもない絶望感を味わわせてもらえる何ともえも言えない労作である…(上の中)


正木伸城「宗教2世サバイバルガイド」(ダイヤモンド社(2023))

「あちら」で「どこまでが「哲学書」か」「この書物は哲学書か否か」という問題を提示したばかりであるが… この書物は「宗教」に関する書物ではあるものの明確に「ハウトゥー本」でもあるので「哲学書」の範疇からは外れると判断しておく…

著者は巨大新興宗教団体幹部の子供でその人生経験を踏まえての「アドバイス」が連ねられている

その内容には正直言って特に「新味」はないが… 宗教・信仰との関係に苦悩する人々にとっては切実なものであろう… それを認めるのにやぶさかではない… この書物が大いに役立つ方々も恐らくは少なくはなかろうし、それは望ましいことでもあると思う…

(宗教に悩む方々にはこの程度の「当たり前」のことすら自力で考えるのが困難になってしまうということらしい… 人間としての能力をここまで削いでおいて何が「救い」だかと言いたくもなってくるが…それはまた別の所でもっと徹底的に展開することにしよう)

ただ…ものすごく違和感を感じる、というかはっきり言って「うさんくさく」感じてしまうのは、著者の「ふざけた」筆致と(著者が自らの人生を振り返る際に「お調子者」だったと半ば自慢げに語り、またそれを反映するかのように「セルフつっこみ」を本文に入れてみたりしている…)、いまだにその宗教団体を退会していないという事実で、この辺で「信用」を落としても仕方なかろうとも思われる…


「ハウトゥー本」としてはそこそこ機能すると思われるし、非常に「ゆったりと」組まれた本であるのですぐ読めるから、評者が感じたような違和感を無視できれば「効能」はあるとは思われる(中の下)


吉本隆明+坂本龍一「音楽機械論」(ちくま学芸文庫(2009(org. 1986)))

かつて他社から「ソノシート」を付けて出されていた書物の文庫化(当時のバンド仲間が持っていたので評者も借りて読み聴きした覚えがある)

坂本教授が残念ながら亡くなられたので、教授の書いたものを読み返しているその一環なのだが、吉本と坂本教授の視点の違いのそのズレぶりがこれはこれでなかなか面白い

後半は何と吉本隆明と曲をレコーディングしてしまおうというどう考えても無茶な企画に沿った内容で… 面白くはあるのだが… 少なくともかつて付録になっていたソノシートの内容が聴けなければあまり意味はなさそうなのが辛いところである…(どこかで配信はされていて入手は容易とのことであるが…)

当時教授が相当ローリー・アンダーソンに入れ込んでいたらしいのがうかがえて時代を感じる

「聴く耳を持った評論家がいない」という教授の嘆きは至言である…


教授ファン向けのものではあるが面白い!(吉本ファンにとっては、どうなんだろう…?さすがに吉本隆明は詳しくないので分からない…) (中の上)


坂本龍一「音楽は自由にする」(新潮文庫(2009))

というわけで本人による自伝である

坂本教授本人による自伝的な著作もこれ以外にあるようだが、下で取り上げた他者による評伝と併せ読むと視点の違いが色々とあって面白い

本人による自伝が評伝として最良である、とは限らないと思うが、さすがに本人ならではという内容があってその点も面白い

(個人的にはむしろ教授が、意図的にせよ無意識的にせよ、「触れていない」事柄の方に興味をひかれたりするのではあるが…)

吉村評伝では活動の羅列になってしまっている90年代以降についても、本人の心境の変化などが直にうかがえて面白い(特に「9.11」を直接目撃してしまったこととか…)

同時多発テロ時にガスマスクを買って、離婚後の矢野顕子さんにも届けた、というエピソードがさりげなく書かれているが… 何か、色々と考えてしまうな… よく言われることだが、夫婦の間には本人同士でなければ分からないことが色々とある、というが、本当にそうなのだろうなと思う…


面白い! それにしても「うさちゃんの歌」はソノシートにしたらしいのだが、どこかに残ってはいないものなのだろうか… (上の中)


吉村栄一「坂本龍一 音楽の歴史」(小学館(2023))

先日(2023年3月28日)惜しくも亡くなった坂本「教授」がまさに亡くなる直前に出版された評伝

教授自身による自伝もあるが(未読;多分次に読む)、こういうものは自分で書くのが一番良いとは限らないので、なるほど教授本人も忘れているであろう幼少・少年時のことなど自伝では触れられていない(とのこと)も沢山書いてあってなかなか面白い。恐らく自伝と併せ読むとより楽しめよう(というわけでファンはどうしても両方読むことになるだろう)

自伝もあり、またYMO時代は詳しい評伝がいくつもあるので、この書物で初公開となるめぼしい事実などはそれほどないと思われるが、それでもこの時代のことはやはりかなり詳しく追われていて読みごたえはある

ただ…それが後半に行くに従って教授の行動の羅列になっていくのが何とも惜しい(評者はアルバム『Beauty』あたりでフォローをやめてしまったのでそれでもその後の教授の履歴を追えるのは十分に面白かったが…)

あとこれは…惜しいというか…むしろその方がいいのかもしれないが…極力教授のネガティブな側面に光を当てないように書かれているので、いくら何でもきれいすぎるきらいがある… 教授の暴言癖、なかんずく「写楽祭」のこと(一切触れられていない)、女性問題など…まぁこういうのは無ければ無くていいのかもしれないけど…

(矢野顕子との関係悪化に触れないで次男の誕生をいきなり書いたりしているので、事情を知らない人は次男の母親も矢野さんなのかと思ってしまう可能性が高いと思う)


良く書けていると思う面白い!ファンなら読むべし(上の中)


遠藤周作「恋愛とは何か」(角川文庫(1972))

同じく昭和の大文豪による、同じく角川文庫から大体同じ時期に出されている恋愛論であるが、水上勉には申し訳なくも、あちらとは比べ物にならないくらい内容は濃い…

確か、芥川賞を受賞した時に、むしろ評論をやりたい人のようだからこれからも小説をしっかり書いてくれるものだろうかという趣旨の心配をされていたはずで(誰だったか?まさか水上勉ではなかろうな…)、もちろんその心配は杞憂になったのだけれど、それもさもありなんというくらいに主にフランスの文学作品からふんだんに例や理論を引き、恋愛と性愛との関係・情熱と恋愛との違いなどをしっかりと論じていて、読みごたえはある

やはり、現実の恋愛にはあまり参考にならなさそうな論考であるが、それは著者の視線の先にはどうしてもキリスト教的な愛というものがあるからなのかもしれない… それはそれとして「愛」という事柄に関する論考としては十分に傾聴に値するものである

評者は遠藤の代表作を読んだことがある程度で、遠藤文学の特に熱心な読者ではないが、遠藤周作の作品を読んでいくうえでも参考になる書物かもしれない


申し訳ないが事ここに関しては「格が違う」と言わざるを得ない…(上の上)


水上勉「恋愛指南」(角川文庫(1975))

言うまでもない昭和の文豪によるタイトル通りの恋愛指南

実際にどこかでこういう連載がなされていたものらしいが、著者が解答を寄せている投書等が本当にあったもの(水上や編集部が創作したものではなく)かどうかはもちろん分からない

それはともかく…水上の恋愛観、女性観・男性観がウンザリするくらい昭和のそれで、要するに古臭くて読んでられない… 正直ガッカリである… 「恋愛指南」としては今日もはや機能しまい…


水上勉は好きな作家の一人なのであるが…正直ガッカリである…(下の中)


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