ミンコフスキ(ブレ(編))(岡本和子訳)「マルク・ミンコフスキ ある指揮者の告解」(春秋社(2024)(原著2022))
残念ながら我らがOEKの芸術監督からは降りてしまったが、巷では古楽やフランス音楽を得意とする大家の誉れ高い指揮者の自伝
平たく言うと… まぁやっぱり世界的な指揮者になるような人はこういう「いい所」の弩天才だよね…という感想がまず最初に来るのは仕方なかろう…
親戚一同に芸術家や学者が沢山いて(「ミンコフスキ空間」のヘルマン・ミンコフスキもそう遠くない親戚とのこと)、親に乗馬用の馬を買ってもらえるとか、もう住む世界が違いすぎてかえって何とも思わないほどである…
(評者・私はマルクさんとの共演経験は今の所残念ながらまだないが(いつかあると嬉しいと思っている)、そんなまるで住む世界の違う人間も舞台に立つ以上は対等というのがまた面白いところである…)
いやもちろん、マルクさんもとんでもない努力あっての今の地位であるし、とんでもない苦労もなさっているのはこの書物を読めば分かる…
ただ…、評者のような「庶民」のファンからしたら、語ってほしいのはむしろそういう側面であって、いつ誰と何を演ったかという「細かいこと」は割とどうでもよかったりするのであるのに、この書物はこっちの方で埋め尽くされているのがちょっと残念だったりする…
(その点、編者によるインタビューや日本語版監修者の森浩一氏による付章の方が面白かったりする…が、一つ余計な小言を言うと、「本編」とこうした「付録」で印刷活字を変えているのだけれど、評者・私には読みやすさという点ではプラスどころかマイナスになっていないかと思った…)
評者・私もミンコさんの音楽は好きで演奏会も何度も行ったしCDも沢山持っているけど… 正直「聞きたいのはそういうことではないんだけどな…」という感想が最初に来てしまう… とにかく舞台が好きな方であるのはよく分かったけれども… ちょっと残念と言わざるをえない…(中の中)
このコーナーにたまに出てくる数学書である…
どうしていまだにそんなものを読んでいるのか、と言われれば、正直返答に困るのであるが… 何となく…ちゃんと理解したいという欲求がいまだにあるのだ…
言うまでもなく、現役高校生時代は数学が壊滅的にできず、主にそれが原因で文系に進まざるをえなかったので、その残念さがいまだに尾を引いているということや… その後の人生で度々体験してきた「理高文低」に対する恨みつらみ… という下種ないわば「ルサンチマン」も動機の中にはあるにはある…
もちろん、いまだに細々と「教える側」の人間である限り、より深く勉強していこう、という「真面目な」動機もある…
とか言って、本屋の棚で見つけて何となく面白そうだった、という理由で買ったんだったりするのではあるが…
そして、実際面白く、そして分かりやすい本だったわけである… 要するに「当たり」である…
個人的には、現役時代もそれ以降も置換微分・積分のあたりがどうにも納得いかずにずっとモヤモヤしていたのが、ようやく腑に落ちた感がする… これは大きい収穫である…(教える側になってからは腑に落ちないまま「何となく」「機械的に」教えていたのだから罪なものである…)
この書物の大きい山場はいくつかあるが、やはりオイラーの公式であろう… 評者・私も今までその革新性についてよく分かってないままだったのだが、分かった気がする…
その後も、ε−δ論法(これはネット上でも好評である)、多項式の補完公式など、こんなズブの文系でも分かった気にさせてはもらえる内容が続き、微分方程式へと進んでいく…
と書いていると、さも分かりやすそうに思われるかもしれないが、内容は相当に高度であり、やっぱり難しい…(現在評者・私は入院中であるが難しくてなかなか進まないために長く楽しめるという理由でこの書物を持ってきたくらいである(嗚呼!)) 確かに、類似の書物に比べて「端折られた説明」「分かるだろうという前提ですっ飛ばされる内容」といったものは格段に少ない(と思う)が、それでも着いていけない箇所はいくつもあるし、読み終えた今でもよく分からない内容は多々ある…
いやしかしそれでもこれは名著である! このような良著が文庫本で読めるのはすばらしいことだ(上の中)
現在(2024年11月)…不幸なことに評者・私は闘病中であり… まさに、病床六尺に近い生活を強いられている…
そこで…これを読んでみた次第である…
子規の専門である俳論を始め、画論を始めとする芸術芸能論、教育論から、本当の単なる身辺雑記(「誰某が来ました」「何を食べました」等…)に病人の愚痴に至るまで内容は多岐に亘り、随筆としては「フツーに面白い」部類に十分入る
評者・私は俳句はやらない人間であるが(歌人の端くれだという自認はある…)、俳論はなかなか勉強になる… 「嫌味」という概念をちょっと学べた気がする…
ただ…文字だけで絵を論じるということがどだい無茶であることは、これを読むまでもなく当たり前のことだと思われるが… やっぱり、無茶である… 何が何だかさっぱり分からない…
闘病記的な内容は意外と少なく、かなりの後半に来てもそうでもない内容があったりするのであるが… 明らかに容体が悪くなって、いよいよいけなくなったのであろう…と言う所でブツリと終わる… のが何とも言えない…
途中で、原稿の封筒に一々宛名を書くのが面倒なので印刷してもらったら、予想外に沢山出来てきたので、全部使えたら良いだろうな… という話が出てくるのだが… 結局全部は使えなかったようである…
評者・私が闘病中であるということを差っ引いても、日本文学史全体における名随筆の一つに入るものであろう…(願わくばこのような状況で再読することがないように…と思う…)(上の中)
御存知アレキサンダー大王について、生涯は無論のこと、死後の扱われ方まで割とまんべんなく論じ切った書物で、恐らくこれ一冊で少なくとも一般人レベルではかなりの「通」になれるであろうよくできた便利な新書である。やはり新書はこうでなければ…と思う
これだけ広く論じておきながら少なくとも素人目にはバランスが良く、恐らく入門書としても適していると思われる
(実は評者・私の専門分野にもアレクサンダー大王は結構絡んでくる(とされてきた)ので、大いに参考になった…(ただ…筆者の見解からすると…むしろ実は関係がないという方向に論が進みそうなのが何とも言えないのだが…))
これだけバランスが良いのに、さらに専門家の研究の方向性の変遷にまで触れており、その観点からもなかなか面白かった
全くの余談だが…こんなところでアイアンメイデン(もちろんロックバンドの方)の名を見るとは思わなかった(まぁ…なぜ出てきたかはメイデンのファンなら分からないはずはないし、「そりゃそうだよな…」なはずではあるが…)
なかなかの名著なのではないかと思う。お勧めできます(上の上)
最近「ちくまプリマー新書」が多いが、職場近くの市民図書館に沢山入れてあるから以上の意味は特にない
さて、この書物は体育哲学の専門家が「体育嫌い」という現象を分析してみせたもの、ということになるのであろう
その問題について、主に学校の「体育」という教科の成り立ちや現状から論じてみせており、そこには説得力もあり、「看板に偽り」はない
ところが、評者・私も「体育嫌い」なのであるが(どころか今では訳あって「スポーツ嫌い」でもある)、今一つ隔靴掻痒感がぬぐえないのはなぜであろうか?
思うにこれは、やはり著者が「体育側」の人間であり、「体育なんて好きにならなくてもいい」と言っておきながら、特に後半で「しかし身体の大事さということが…」という自分の立場に意識的にか無意識にか論旨を捻じ曲げていること、そして、その点で「体育嫌い」に寄り添うことに失敗していること、によるのではないかと思う…
つまり、何を話していても自分の主張に誘導する人と話している時のように、「そんなことを言っているのではないんだけどな…」という残念さが、特に後半に行くにしたがって強くなってくる… そこがちょっと残念…
要するに問題の核心には今一つ至れていないのではないか? そう感じざるをえなかった…
(それとは裏腹に、著者はある赴任校で、体育嫌いどころか動くことすらままならない肥満した生徒とただ一緒に歩いてあげていたそうであるが、「これだよ!必要なのはこれだよ!」と評者・私は思ってしまった…)
もしかしたらこの「ちくまプリマー新書」全体の方針によるものなのかもしれないが、「(ギクッ!)」みたいな「ふざけた」(と言わせていただく)筆致は不要だと思う… 「岩波ジュニア新書」みたいなのをひょっとしたら編集部は意識しているのかもしれず、こちらにも確かに常時「…だよね!」「ほっとけ!」みたいに、どっかの三流文芸評論家みたいな書き方をしているものはあるにはあるが…マネするとしてもそんなところをマネするべきではないだろう… はっきり言って白けるだけである…
今一つ物足りなさは感じるものの、全体としては割とよくできている論考だと思う(上の下)
御存知近田春夫先生によるグループサウンズ論
対談を活字化したものであるが、近田先生が自らのGS感を思い切って披瀝しており、とても面白い
というわけで、「グループサウンズ」史を通覧したものというよりは近田先生の目に映ったGSムーブメントの有様という体裁なのであるが、もちろんそれで十分である
とはいえ… GSというムーブメントがいかに作られたものであり、その「作り手」の都合で「当事者」の思いがどんどん踏みにじられていく過程が割と克明に語られており、そこは読んでいて気が滅入る…
我々世代(新人類世代;音楽的には「YMO」である…)にとっては、ひたすら「気持ち悪いムーブメント」でしかなく、親世代に無理やり見聞きさせられる度に嫌悪感と共に反発を覚えたものだが… それは「気持ち悪い」ものにわざわざ作り上げられたものだったのだから当然だったのである…
面白い! 内容のやるせなさはともかく、名著である!(上の上)
太宰治という作家は大学生時代にちくま文庫の全集を全巻読んだ程度には好きなのだが、それは作品についてであって、太宰という人についてはそれほど興味はなかった… というわけで、評伝は初めて読む(と思う)。太宰論というものは恐らく読んだことがないと思う(そもそも作家論を読むという習慣が評者にはあまりないのだが…)
そのような事情であるから、評者はこの分野に特に詳しいというわけではないが、太宰の評伝としては標準的なものではないかと思う
太宰の生涯は出生から死に至るまでまんべんなく追われており、作品についても割と丹念に取り上げられている、ので、これ一冊でかなり「通」にはなれるはずである
ただ… 太宰の何と言うかダメ人間ぶりも容赦なく追われており、どちらかというと太宰を「持ち上げ」たい向きよりは、より客観的に太宰という人間を捉えたい人々向き、と言えるかもしれない… 要するに、なかなかの「クズ」である…
出生環境からしてなかなかの陰鬱さで… その点はやや同情できるかもしれない…(突飛な比較かもしれないが…哲学者ウィトゲンシュタインの家系がやはり自殺者を多く出した陰鬱なものであったのを連想してしまった…)
そして、太宰と言えば、何度となく自殺未遂を繰り返した上にようやく、しかも謎めいた形で「成功」したという最期がどうしても気になるのだが、そこもやや詳しく取り上げられている(「ネタバレ」はなるべく避けたいものだが…筆者の見解はいわば「ガチ」説であって、狂言自殺失敗説は退けられている(「他殺説」(そんな説があるらしい!)は論外とのこと))
決して読んで愉快な書物ではないが… ためにはなる…(←と二回続けて同じようなことを書いたのも単なる偶然である…)(上の中)
おなじみこの習俗についてその起源から乃木大将殉死、三島事件までを通覧したという、この事柄について何か意見するなら必読の書であることが一見して分かるという書物
(「オリジナル」が1973年、改版が1995年に、そしてこの第三版が2023年に出版された、ということらしい。もっとも、それぞれの版にどういう違いがあるのかは評者には分からないし、当座どうでもいい)
この習わしをテーマに日本の歴史を通覧できるという点ではもちろん大変便利な書物であるが、まっとうな、ということはつまり特に素人には「ハードな」歴史書で、一次文献資料が多数引用されているがほぼ全て現代語訳なしの「原文」であり、そんなに難しいものではないものの、やはり素人には読むのに骨が折れ、慣れてない人間にはかなりキツい…
(この辺を「何とかして」新書サイズにできないものか?とも思うが…それは別の著者に新たに書いてもらった方がいいのかもしれない(しかしいつになることやら…))
資料の読みにくさもさることながら、恐らく活字を組んで出版された書物だと思われるが、その組み方が非常にしばしばヨレていて、そのことも読みにくさに貢献してしまっており、さらにちょっと残念である…
とはいえ、そうした欠点を覆って余りあるものはあると思われる…
三島事件については、今はもっと詳しい書物が手軽に読めるので特に貴重さは高くはないものの、「知らなかったこと」はいくつかあり(三島の介錯をした「古賀」氏はよく「一刀両断した」と言われているが、実はやはり何度かしくじっているらしい(ということは三島は相当辛かったはずである…)ということ等々…(ちなみに古賀は森田の介錯もしているがこちらは一度で成功しているとのこと(「練習」できることではないからいくら居合の達人といえども仕方ないのかもしれない)))その点も興味深い
奥付の下にさりげなく、既に故人の著者はもちろん近親者とも連絡が付かなくなっていることをうかがわせる一文があり、何とも言えない…(昔、唐沢俊一が編集した「ヘンテコマンガアンソロジー」的なものに同様の「お願い」(連絡先を御存知の向きはお知らせくださいという旨)が書かれていたのを思い出した…)
読んで楽しい内容ではないが…有意義な一冊である(上の下)
安倍元首相殺害事件によって急激に問題視されるようになった旧統一教会問題に関する文春の記事を編集したもの
どちらかと言えば、殺害事件の遠因となったとされる献金問題などの反社会的な側面や教祖一族の支離滅裂さに焦点が当てられていて、なぜこのようなものがこうまで影響力を持ってきたのか、正直訳が分からない…
そして、そこがまさに今一つこの書も「踏み込み」が足りないと言わざるを得ないのだが… 一つの解答として「政治(家)との結び付き」ということをどうも指摘したいようである
たまたま評者もこの教団系のサークル等の活動が活発な大学にいて、特に学生寮時代は彼等の活動を身近に感じていて、実は彼等の話を聞いたり講義を受けたりしたこともあるのだが、教説としても荒唐無稽で笑止千万と言わざるを得ない… のだが、その点はあまり触れられていない(もっともそういう点に関してはもっと良い書物も別に既にあるのだけれど…)
御存知宮崎哲弥や島田裕巳も参加している最後の討論も、やはり内容の薄さ踏み込みの浅さが気にはなるが…、案外面白く読める、し、今(2023年10月)別の問題で何かと話題の鈴木エイトが一章担当しているのは驚いた(ただし…旧統一教会を対立軸としてジェンダー論を展開しようとしていて、そこはあまり感心しなかった)
政治と宗教の絡みということに関しては、宗教団体が「集票組織」として機能してしまうということを指摘し問題視しているが… 評者もこの点苦々しく思うのは同感であり、「投票率を上げることで「宗教票」を無効化せねばならない」というのも全くその通りだと思う(もちろん、宗教票がどうこう言う以前に投票率はもっと高いべきだと思う)
あまり読んでいて楽しい書物ではないし、踏み込みの甘さも正直気にはなるが、有益な書物ではある(中の中)
タイトル通り愛憎絡みの殺人事件を世界中から(やはり英米が多いが…それ以外の国の事件も多い;なお日本の事件はない(後述の通り日本人絡みの事件はあるが))都合50件かき集めた犯罪実録集
事件は有名なもの(エド=ゲイン、デ・サルヴォ、ペーター=キュルテン等…佐川事件も取り上げられている…)から、無名なものまで様々…
であるが…容易に予想がつくようにむしろあまり有名ではない事件の方が面白い…というか「訳が分からない」…
下宿先の母娘に迫られて…という話や殺人修道女の話(しかも奇怪な方法で処罰され、さらにそれを生き延びてしまう…)など…不可解すぎてもはや笑うしかない…
ニーチェ狂信者の数学者の殺人狂なんて事件も出てくるが…道徳批判に御熱心な「ニーチェの尻馬」学者先生は、もちろんこの事件のことは御存じなのだと予想するが、この事件に何と思うのであろうか?
取り上げられている事件や犯人全体に共通する特徴が、序文を書いているコリン=ウィルソンも書いている通り、犯行の際の理不尽な執拗さ(大抵滅多刺し、銃であれば連射)と犯行後の苦しい言い訳なのであるが… 素人でもちょっと追求したくなってくるほどである…
もう一つ… 御存じ佐川事件についても割と詳しく取り上げられているが… 佐川とその親族のどうしようもなさにはもはや呆れるしかない…(御存じの通り佐川本人は先日「食人タレント」人生を全うしてしまったのであるが…) 野次馬根性であるが…「生食」していたとは初めて知った…日本人らしいというか何と言うか…
前半は割と事件の羅列になっていてあまり感心しないが、後半は理不尽な事件の連続で、こういう表現も妙なものだが「面白く」読める…(上の中)