CM2S書評
その7

小杉泰『イスラームとは何か』(講談社現代新書)
よくあるイスラム概説の一つで、もちろん「イスラム誕生の意義」「教典・教義・教団確立の過程」「スンニー派とシーア派はどう違うか」といった内容から始まり、その点も中々分かりやすくためになるのだが、シーア派に割と分量が割かれていたり、神秘教団などとの関係や、近世以降の展開にも触れられているという点に独自色が見られる。単なる事実や常識の羅列に留まらず、イスラムの心というかまで踏み込もうとしている努力が窺えてその点でも好感が持てる。ただ、イスラムじゃなくて「イスラーム」という衒学的なこだわりはまだしも(個人的にはややこしくしてるだけだと思う。このてんは厳密さを犠牲にしても利便に徹した方がいいと思う)、ハムザが全部長音符でカタカナ転写されているなど、表現にはやや疑問が残る。それにムハンマドは「アラーの使徒」でいいのか?(大学時代に「使徒」と言う度に「予言者だ!」と直された憶えがあるので……)

中々好著であるが、この手の概説書がいまだにジャンジャン出るということは、日本人まだまだイスラム音痴だということだろう……(上の中)


中島梓『コミュニケーション不全症候群』(筑摩文庫)
オタク、ダイエット強迫、そしてなぜか「JUNE」を表題通りの現象として理解しようとしているように見えなくもないものだが、はっきり言って虚仮威し。ナルシスティックな「天才ごっこ」に過ぎない。中島梓と言えば、IQ百何十とかの「天才」って言われて得意になってスカシてるだけの嫌味なババアくらいにしか思っていなくて、ずっと以前に取り上げたベストセラー論で多少印象はよくなったが、これ一冊で見事に戻ってしまった。「私って天才でしょ?」ってのがどのページからも滲み出てきて下らないことこの上ない。「であるのである」等々の「酔った」文体にもうそれが如実に出ている。「よく知らない」のなら書かないか調べればよいものをまるで小林よしのりのように「私にはそれでも書く資格があるのよ!」と書きなぐり、しかもよせばいいのに学術語を不用意に用いて墓穴を掘っている。オタク論としてはそれなりに読めるが、これと「JUNE」がどう絡むのかは今一つ分らなかった。結局「元祖は私よ! 誉めて誉めて!」ってのが顔を出すのでそれが邪魔してるんじゃないだろうか。「天才」なら「天才」らしいものを書けよと言いたい(もっとも「それは他人が勝手に呼んでるだけで……」とかまた例のスカした調子で言うのかもしれんが……)。読むだけ時間の無駄。

この手の「天才ごっこ」系女流の元祖のどうしようもなさがよく分る(下の上)


ロム・インターナショナル『世界の紛争地図の読み方』(河出夢新書)
タイトル通り、世界の紛争地帯をざっと通覧したもの。その中でも特に激しいものだけを選んでいるので(ケベック州独立問題、中露国境問題、尖閣諸島等々は取り上げられてない)、何とも言えない絶望感が漂うが、この手の軽めの「新新書」(「○○新書」とか「新書××」といった名前の。「○○」「××」は出版者の名前以外で、カタカナも多い)にありがちな踏み込みの浅さ、甘さが目についてハードに読むにはどうも今一つ。入門書としてしか使えない。読み手に合わせてこうなったのかもしれないが(それにしてもひどいものが最近多すぎるとは思う)、読み手のことなど差し当たり度外視する方向性もどこかで必要じゃないかと、直接関係ないことを考えてしまった。
入門書としては充分で、たっぷり嫌〜な気分にさせてくれる。要するに「欧米列強は御都合主義かつ無責任」「他民族国家はそもそもうまくいかない」「部族主義は国家を滅ぼす」「利権はもめごとの基」「やっぱり軍隊は権力と結び付くとろくなことをしない」というのがよく分る。得にソ連・ロシアを含むヨーロッパ及びアメリカが世界をこんなに無茶苦茶にしてきたことが、しかもその責任を全く取らず、それどころか自覚すらしていない(としか思えない)ということが身に積まされて、西洋の研究をするのをやめたくなるほどだ。どうにかならないのか……

つくづく日本は平和である……(中の上)


長部三郎『伝わる英語表現法』(岩波新書)
「彼の話す英語は速い」を「English which he speaks is fast.」ではなく「He speaks English fast.」とした方が「伝わる」といったことを懇切丁寧に教えてくれる好著で、恐らくこれを読むだけでも少なくともいくらかは英語が上達するであろうこと間違いない。そういう意味では名著ではあるが、逆に英語がまさに帝国主義的言語であることも嫌というほど分って嫌になる。「それは、文法的には間違ってはいないが、そういう言い方はしない」「意味は分るけどお前の英語は『弱い』」ということは評者も山ほど言われてきた経験があるが、そんな「ネイティブの壁」が世界一高い言語が英語であるという点も実感させて下さる。そんな強迫的な調子に満ちた書物でもある。

矛盾を孕んでいるものの名著であることは間違いない(上の上)


吉永良正『まだわからないことがある』(講談社ブルーバックス)
「恐竜はなぜ絶滅したか」「移植はどこまで可能か」等々の科学上の未解決問題を色々と挙げて解説を加えたもの。耳学問として楽しむには十分で、色々な専門語や問題・議論をつまみ食いできるという点では有り難いが、逆に、どの問題をとっても踏み込みが今一つ深くなく、さらに追求したいと思っても無理矢理放り出されるという感覚が付きまとう。後は御自分で……というわけだろうか……その役目は果たしているが……
一つだけ挙げると、動物のコミュニケーションに触れた箇所は面白い。「動物は嘘をつかない」どころかウソまみれであるという指摘は痛快で面白い(こういう宗教がかった似而非エコロジーみたいなのが評者は大嫌いだ)。

耳学問のよすがとしては十分だがそれ以上ではない。(中の中)


佐々木知子『少年法は誰の味方か』(角川oneテーマ21)
どうでもいいが、何というセンスのないシリーズ名だ! 日本の現行少年法及び少年犯罪に対するフォローがいかに不合理で時代遅れで無能無策かということをどうも言いたいらしいのだが、タイトルと比べると焦点ボケは否めず、色々なものが出てきてそれなりにタメにはなるが結局何が言いたいのか充分一貫して伝わってくるとは思えない。状況に著者が危機感を抱き苛立っているということだけがヒシヒシと伝わってくる(それが興醒めな怒りや悪ふざけになっていないだけ上品だとも言えるが……)。これではあまりインパクトはないだろうし、あまり状況は変わらないと思う。いかにも潔い他国と比べ、やはり日本は色々とチグハグで中途半端だな……と嫌な気分にはさせてもらえるが……

もうちょっと何とかなったのではないかと思う(中の中)


小和田哲男『明智光秀』(PHP新書)

積んであった順番に読んだだけなので別に他意はないが、結果的に、このような新書の質が安定していないことを実感する羽目になった。二つ下の『秀忠』と同じ著者だが、こっちの方が資料を多く用いている分、素人には多少面倒臭くなっているものの、一つ下の『天智天皇』ほどの苦痛や腹立たしさを強いられることはなく楽しめる。『秀忠』同様、時代劇等ではいまだにボロクソ扱いされる光秀の復権を画策したもので、その役割は十分に果たしていると思う。光秀が有能な教養人であり、信長にとって「使える奴」だったのはよく分る。使えすぎて振り回され、誇大妄想的になっていく信長と一緒に「壊れ」ていく過程もよく分るし、教養人らしい融通のなさ、大名として生き残るためのえげつなさが足りなかった点も伝わってくる。今風に言えば「それならまた光秀にやらせときゃいいだろ」な感じになってしまった信長に「やってられねぇよ!」となってしまったんだろう。で、光秀と言えば本能寺なので、その辺の考証にはどうしても期待してしまうが、資料的な裏付けになかなか説得力はあるものの、素人目にも強引じゃないかと思われる(著者の解釈をここで書くと楽しみが減るかもしれないから、それは読んで確かめて下さい)。後半は「史実ではない」「反対である」とだけで切って捨てている箇所が多く、ちと不満が残る。

よくできてはいるが、光秀ともなると読む側の期待も高まるのでそれと合わせると、高いレベルで今一つ(上の中)


遠山美都男『天智天皇』(PHP新書)

同じ新書の同じようなシリーズなので、大いに期待したのだが、こっちはかなりハードで、素人にはかなりきつい。要するに細かい(素人には)専門的な話が多すぎて、着いていくのがかなり厳しい。最初に文句を言っておくと、こういう専門的な堅苦しい論議と、妙に現代的な、もっと言えばフザケた表現が同居していて、それは白けることこの上ない(どうも「専門家」は時折こんなことをやらかすクセがあるらしい。分かりやすくしているつもりかもしれないが、逆効果にしかならないことがどうして分らないのか? やっぱり専門家は専門何とやらか?)。かなりの大家にも時折いるが、日本語がちょっとひどい(「ミウチ」ってのは何なのだ?)。しかし、そういう敷居の高さや欠点を超えたものがあるのも確かだ。著者はまるで常識なら何でもひっくり返さねばすまないかのようにありとあらゆる常識通説を片っ端からひっくり返してくれる。今まで漠然と信じていた通説が実証的にひっくり返されガラガラと崩れていくのが何とも痛快で快感である(ただ、やりすぎの所もやはりあるように素人目にも見える。例えば白村江前後の解釈は素人目にも大胆すぎる気がしてしまう)。ダイナミックな政治力学を提示してくれるのはスリルがあるし、意外とこんな昔の制度が進んでいたことには驚かされ、公式史書の恣意性には苦々しく思わされる。これはこれで貴重な書物であろう。しかし、これじゃ『天智天皇』じゃなくて『中大兄皇子』だろう。前史が長過ぎる。

面白いのだが、もうちょっと簡単に楽しませてくれられたらもっとよかったろうにと思わされる(上の下)


小和田哲男『徳川秀忠』(PHP新書)

秀忠と言えば評者も月並みに、家康と家光の間に挟まれた影の薄い二代目という印象しかなかったのだが、それを見事にひっくり返してくれる名著である。まぁこんなテーマで書くとすれば初めから再評価を目的としているわけで、その点は多少さっ引いて考えなければならないのだろうが、それでも、政治家としての堅実さ、控えめで実直な性格(その反面にある、しがらみがない故の残酷さ――この辺は親譲りか)、父家康の意外な親心などが非常に分かりやすく伝わってくる。秀忠と言えば関ヶ原の遅刻だけが取り沙汰されるのだが、その真相も面白く書いてあって楽しめる(後に誇張された所があるにしてもやはり失策は失策だったらしい。相手があの真田なので無理もないが)。徳川一族と豊臣家との関係も詳しく書かれていてその点でも面白い。にわか専門家気分に浸るには十分すぎる内容になっている。

テーマは地味だが内容は堅い。名著だ。(上の上)


千葉憲昭『オーディオ常識のウソ・マコト』(講談社ブルーバックス)

評者はかつてマニア向けオーディオショップに入り浸っていたこともあるくらい、結構オーディオには興味があった方で、そこの主人が有名オーディオ評論家をボロクソに非難するのを聞き続けてきたこともあって、この本にも何かそんなことが書いてあるんだろうな懐かしいな(オーディオ製品がデジタル化され、さらに中心がコンピューターに移るに従って急激に離れていった方でもあるので)位に思っていたら、それ以上で、「真空管アンプは音がいい」「ケーブルには凝るべき」「電源にこだわるべし」といった常識がたちまちガラガラと崩れていった(ちなみに、そのオーディオショップの目玉の一つが主人手作りの真空管アンプだった……)……しかもそれがみな強靱な理論に裏打ちされているのでグウの音も出ない……それにしてもどこの分野でも評論家というのは無能無責任なものだなと、嫌になる……著者の言うことを完璧に理解するには電気物理学の知識が結構要るので(少なくとも評者のような文系人間には)、着いていくのは厳しいが、ちょっとハードな入門編としても機能するようになっているのでありがたい。

今更オーディオという御時世でもないが、名著である(上の上)


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