小杉泰『イスラームとは何か』(講談社現代新書)
よくあるイスラム概説の一つで、もちろん「イスラム誕生の意義」「教典・教義・教団確立の過程」「スンニー派とシーア派はどう違うか」といった内容から始まり、その点も中々分かりやすくためになるのだが、シーア派に割と分量が割かれていたり、神秘教団などとの関係や、近世以降の展開にも触れられているという点に独自色が見られる。単なる事実や常識の羅列に留まらず、イスラムの心というかまで踏み込もうとしている努力が窺えてその点でも好感が持てる。ただ、イスラムじゃなくて「イスラーム」という衒学的なこだわりはまだしも(個人的にはややこしくしてるだけだと思う。このてんは厳密さを犠牲にしても利便に徹した方がいいと思う)、ハムザが全部長音符でカタカナ転写されているなど、表現にはやや疑問が残る。それにムハンマドは「アラーの使徒」でいいのか?(大学時代に「使徒」と言う度に「予言者だ!」と直された憶えがあるので……)
中々好著であるが、この手の概説書がいまだにジャンジャン出るということは、日本人まだまだイスラム音痴だということだろう……(上の中)
この手の「天才ごっこ」系女流の元祖のどうしようもなさがよく分る(下の上)
つくづく日本は平和である……(中の上)
矛盾を孕んでいるものの名著であることは間違いない(上の上)
耳学問のよすがとしては十分だがそれ以上ではない。(中の中)
もうちょっと何とかなったのではないかと思う(中の中)
積んであった順番に読んだだけなので別に他意はないが、結果的に、このような新書の質が安定していないことを実感する羽目になった。二つ下の『秀忠』と同じ著者だが、こっちの方が資料を多く用いている分、素人には多少面倒臭くなっているものの、一つ下の『天智天皇』ほどの苦痛や腹立たしさを強いられることはなく楽しめる。『秀忠』同様、時代劇等ではいまだにボロクソ扱いされる光秀の復権を画策したもので、その役割は十分に果たしていると思う。光秀が有能な教養人であり、信長にとって「使える奴」だったのはよく分る。使えすぎて振り回され、誇大妄想的になっていく信長と一緒に「壊れ」ていく過程もよく分るし、教養人らしい融通のなさ、大名として生き残るためのえげつなさが足りなかった点も伝わってくる。今風に言えば「それならまた光秀にやらせときゃいいだろ」な感じになってしまった信長に「やってられねぇよ!」となってしまったんだろう。で、光秀と言えば本能寺なので、その辺の考証にはどうしても期待してしまうが、資料的な裏付けになかなか説得力はあるものの、素人目にも強引じゃないかと思われる(著者の解釈をここで書くと楽しみが減るかもしれないから、それは読んで確かめて下さい)。後半は「史実ではない」「反対である」とだけで切って捨てている箇所が多く、ちと不満が残る。
よくできてはいるが、光秀ともなると読む側の期待も高まるのでそれと合わせると、高いレベルで今一つ(上の中)
同じ新書の同じようなシリーズなので、大いに期待したのだが、こっちはかなりハードで、素人にはかなりきつい。要するに細かい(素人には)専門的な話が多すぎて、着いていくのがかなり厳しい。最初に文句を言っておくと、こういう専門的な堅苦しい論議と、妙に現代的な、もっと言えばフザケた表現が同居していて、それは白けることこの上ない(どうも「専門家」は時折こんなことをやらかすクセがあるらしい。分かりやすくしているつもりかもしれないが、逆効果にしかならないことがどうして分らないのか? やっぱり専門家は専門何とやらか?)。かなりの大家にも時折いるが、日本語がちょっとひどい(「ミウチ」ってのは何なのだ?)。しかし、そういう敷居の高さや欠点を超えたものがあるのも確かだ。著者はまるで常識なら何でもひっくり返さねばすまないかのようにありとあらゆる常識通説を片っ端からひっくり返してくれる。今まで漠然と信じていた通説が実証的にひっくり返されガラガラと崩れていくのが何とも痛快で快感である(ただ、やりすぎの所もやはりあるように素人目にも見える。例えば白村江前後の解釈は素人目にも大胆すぎる気がしてしまう)。ダイナミックな政治力学を提示してくれるのはスリルがあるし、意外とこんな昔の制度が進んでいたことには驚かされ、公式史書の恣意性には苦々しく思わされる。これはこれで貴重な書物であろう。しかし、これじゃ『天智天皇』じゃなくて『中大兄皇子』だろう。前史が長過ぎる。
面白いのだが、もうちょっと簡単に楽しませてくれられたらもっとよかったろうにと思わされる(上の下)
秀忠と言えば評者も月並みに、家康と家光の間に挟まれた影の薄い二代目という印象しかなかったのだが、それを見事にひっくり返してくれる名著である。まぁこんなテーマで書くとすれば初めから再評価を目的としているわけで、その点は多少さっ引いて考えなければならないのだろうが、それでも、政治家としての堅実さ、控えめで実直な性格(その反面にある、しがらみがない故の残酷さ――この辺は親譲りか)、父家康の意外な親心などが非常に分かりやすく伝わってくる。秀忠と言えば関ヶ原の遅刻だけが取り沙汰されるのだが、その真相も面白く書いてあって楽しめる(後に誇張された所があるにしてもやはり失策は失策だったらしい。相手があの真田なので無理もないが)。徳川一族と豊臣家との関係も詳しく書かれていてその点でも面白い。にわか専門家気分に浸るには十分すぎる内容になっている。
テーマは地味だが内容は堅い。名著だ。(上の上)
評者はかつてマニア向けオーディオショップに入り浸っていたこともあるくらい、結構オーディオには興味があった方で、そこの主人が有名オーディオ評論家をボロクソに非難するのを聞き続けてきたこともあって、この本にも何かそんなことが書いてあるんだろうな懐かしいな(オーディオ製品がデジタル化され、さらに中心がコンピューターに移るに従って急激に離れていった方でもあるので)位に思っていたら、それ以上で、「真空管アンプは音がいい」「ケーブルには凝るべき」「電源にこだわるべし」といった常識がたちまちガラガラと崩れていった(ちなみに、そのオーディオショップの目玉の一つが主人手作りの真空管アンプだった……)……しかもそれがみな強靱な理論に裏打ちされているのでグウの音も出ない……それにしてもどこの分野でも評論家というのは無能無責任なものだなと、嫌になる……著者の言うことを完璧に理解するには電気物理学の知識が結構要るので(少なくとも評者のような文系人間には)、着いていくのは厳しいが、ちょっとハードな入門編としても機能するようになっているのでありがたい。
今更オーディオという御時世でもないが、名著である(上の上)