ねねと太閤さんの間には子供はいませんでしたが、ねねの兄・家定公は子宝に恵まれていました。旧備中足守藩・木下家の初代はこの家定公です。二代は関ヶ原の陣の後、歌人となった俊勝公(長嘯子)で三代は利房公です。
家定の三男・延俊の子孫は別府湾を望む日出藩主(Click Here!)として,江戸時代を生き抜きこちらも無事,明治維新を迎えましたが,足守・木下家と日出・木下家との間には三代利当の奥方となられたお栗様以外にも姻戚関係があります。
足守・木下家の13代・利恭さんは東北・二本松藩・丹羽家より奥方を迎えられています。
この方の使用された漆塗のお籠は今も足守の文庫に保存されており,訪れた多くの方が
当時を偲ばれています。
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