「ガツン」

Rollei Cord III + Xener 75mm/3.5



















































スペック でレンズを語ってはいけない」ということに気づかせてくれたのは、このカメラだった。

よかったら、これで撮ってみない?と手渡されたのが、2本のプロビアとローライコードIII。
ちっぽけな「玉」にペコペコ音のしそうな貧弱なボディー。
初めて手にするブローニーサイズのポジフィルム。
フィルム装填を教わり、ピントグラスをのぞいて見れば左右逆像。これは、構図を決めるのが大変。


セコニックの一番安い露出計をお供にシャッターをきる。
セルフコッキング機能もないカメラ、非自発的二重露光をしてみたり・・・・。


ローライコードIIIは1951年生まれ。僕よりも年上だ。
初めて手にするクラカメ、興味があるから借りてみた。しかし、正直なところ、アガリには大した期待もなかった。
いや、いわゆるレトロな味を期待していたというべきか。

結果は、「!!・・・・」。

3群4枚構成、テッサータイプ、つまり4枚の光学ガラスしか使っていないレンズだが、発色の自然さ、絞ったときの解像度のすばらしさ、ブローニーならではの階調表現。
なるほど、田中長徳氏をして、ローライ群の中で描写として一番好きだといわせたレンズ。
小さく、老いたこのカメラとレンズのどこにそんな力が潜んでいるのだろう。


「大口径レンズ」という見出しが写真雑誌を飾る。
大口径レンズでなければ撮れない写真は、無論ある。
AE、AFが便利なことも認めよう。
しかし、大口径でなければ良い写真は撮れない、あげくには「超音波」でなければ使えないというような妄信に触れると、ちょっと違うぞと思う。


老兵ローライコード、この時代の優れたカメラ・レンズに触れると、光学的な性能に関しては、すでにピークを迎えていたことを実感できる(ただし、設計の方向性は異なっているのかもしれない)。
その後のカメラの進歩とは、操作性の向上を目的とした電子技術の導入に偏ったものだとは言い過ぎだろうか。


ピントを合わせる。
ファインダースクリーンに被写体がフッと浮かび上がるスリリングな瞬間。
光を読む。
何をどのように表現したいのか、そのためには絞り値とシャッタースピードの組み合わせのどれを選択するのか。

「撮る」という行為のこんなに楽しい部分を、何故、当然のように、他人の経験値を下敷きにしたアルゴリズムとCPUの演算に任せていたのだろう。


100年後、かつてはE**なんていう最高級のカメラだったエンプラとフレキシブル基盤の塊を横目に、150歳のローライコードは時代を写し続けているだろう。


「ガツン」と一撃。
写真人生を変えられてしまった出会いだった。