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病室 の扉を開けると一抱えもありそうな大きな生花、とりわけ大きな八重咲きのチューリップが目に入った。
関東T病院でとりうる処置が無いとの宣告を受け、母が戻ってきた病室は、かつて自分が婦長として多くの患者たちを看護してきた場所だった。
花は、かつての「教え子」たちからの見舞いだった。
毎週末、僕はZ1P+SMC55mm/1.8という組み合わせを手に、病室へ通った。
病院へゆく道すがら、また病室の母の周りに向けてシャッターを切った。
SMC55mmは、僕が初めて買ったSLR、ペンタックスSPF付属の標準レンズだ。
カメラがまだ消耗品ではなかった時代、SPFは僕を含め多くの人にとってはやっと手に入れた「宝物」だった。
SPFというカメラはコマーシャルや報道現場で華やかな仕事を残すというよりも、持ち主たちの日常に訪れる一期一会を記憶にとどめるための道具として活躍することが圧倒的に多かったのではないだろうか。
僕自身も標準レンズ一本で、女友達を撮り、旅行に携えて山野を歩き、随分使ったはずだ。
祖父が終戦後ずっと切り盛りしてきた店舗を解体することになった現場にも、このカメラとともに居合わせた。
かつての生活の場が瓦礫の山へと変わってゆくのをじっと見守っていた祖父の姿を克明に記録したのもこのレンズだった。
職に就き、忙しさに消耗し、11回の転居を経験するうちに、そうしたネガは完全に散逸し、手元には数枚のプリントが残るのみ。
いや、正直に告白すれば、結婚祝いとして貰った、オリンパスXAという歴史に残るコンパクトカメラを手にした時から、僕はSPFの存在すら忘れていたのだ。
自分の落ち着き場所を見つけ、再びカメラに親しむ時間が訪れたとき、それは戸棚の奥から、シャッター幕まで黴にまみれた格好で再び姿を現した。
病室へ足を運ぶとき、ことさら意識したわけではなく、自然に選んだのがこのレンズだった。
いや、無意識にFA50mm/1.4という現代の標準レンズの明晰さを疎む気持ちが作用していたのだろう。
発色の鮮やかさ、透明感、解像度、どれをとっても最新のレンズには一歩譲るのは事実だ。
一言で表現すれば、渋いのだ。
その描写性にはいささかの誇張も不足もない。有名なコピーを引用すれば、「何も足さない、何も引かない。」
それがこのレンズの持ち味だと思う。
フィルムに焼き付けられた被写体を、そこにあるかのごとく生々しく描写するのではなく、そこにあったことをしっかりと記憶に刻む手助けをしてくれる。
撮り手のココロを写し込む・・・・、そんな力を持ったレンズだと思う。
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