text by nickcage
「確かに、普通にテクノを好きな人の中には、トランスってダサい、とか、ヘビメタみたい、などと言う人はかなりいます。それと同じことなのですが、僕の友達の中には、テクノは大嫌いだけどトランスのパーティーで踊るのは大好き、というロックファンも何人かいます。彼らにとっては、結局、トランスって、テクノじゃないんですよね。曲の展開とか、ブレイクとか、メロディーとか、そういう部分のうねりの具合は、インダストリアルやテクノよりもロックに近いと僕も思います。」
そしてまた、いわゆるテクノとトランスの間にも微妙な差異がある。もちろん「テクノもトランスも大好き!」というリスナーだっているけれど、(打ち込み音楽としての方法論を共有しているわりに)テクノとトランスには……“水と油”的な相容れない側面もまた存在する。それもまた「トランスは(テクノより)ロックに近い!」という(やや乱暴な)要約によって、説明できなくもない。
こうしたジャンル談義はあくまでもひとつの目安に過ぎないが……トランス・パーティにおいてDJプレイ以外の要素として、人気ユニットの“ライブ・ステージ”がパーティの目玉になるという近年の現象もまた、この「トランスとロックの近似性」から理解されるのではないかと思い……あえてそんな話題から切りだしてみた。
とはいっても、トランスやテクノのライブ・パフォーマンスは、しょせん電子楽器やデジタル音源機器のつまみ類を操作するようなものであるがゆえ……ぶっちゃけた話、見た目としては(かなり)地味だ。だからというわけでもなかろうが、トランス・ライブにおいて電子楽器以外にも、その場で楽器を生演奏する趣向が、少なからず認められるようになってきた(そのことがまた、前述した「トランスとロックの親縁性」を、さらに補強するような感もある)。
思いつくまま挙げてみると Tim SchuldtやSun Project、Electric Universeあたりのユニットが、エレキギターを導入したステージで観衆を湧かせていたし、そして何よりも……生演奏を駆使したライブで評判になったのが、サイケデリック・トランス界の重鎮Juno Reactorだ。
松田(マッチョ)のエロクトロ機器が奏でるメロディとビートに、山崎(オショー)のロートタムの乾いた打音が切りかかる。そう、生演奏のダイナミズムと電子機器のトランス感が絶妙にブレンドされたグルーヴ……いわゆる“理想的な”トランスライブが、uniの二人によって実現したのだ。
どうしてuniにだけ、それが“なしえた”のか? 二人の演奏技術が、とんでもなく卓越したから……ということでもなさそうだ。どうも彼らは天才肌というより、むしろ曲作りやライブ演奏に対する不断の努力に支えられた、いわば努力派タイプらしいから。では曲はどうか? 彼らの代表曲である'sarasvati'を例に取ってみても、一度聴いただけで忘れられないメロディ、ノリやすいテンポ、サウンドメーキングにも深みと奥行きがある。
さらにはその楽曲を演奏する際のセンス……これは必ずしもマッチョの奏でるベーシックトラックに限った話でもない。長年ロックバンドのドラマーをやっていたというオショーは、バンドのドラマーというスタイルに面白味を感じなくなり、自分ひとりでパーカッションを叩き続けた試行錯誤の末、現在のuniスタイルに開眼したという。ひとつ間違えると「カラオケテープをバックに、楽器をかき鳴らしている」だけになりかねない、この手のライブの罠にはまることなく、uniはダンサブルなトランス感と視覚的なケレン味……その両方を兼ね備えることに成功しているのだ。
前述したJuno Reactorを筆頭に、さまざまなトランスの巨人たちの影響を受けつつも、uniならではのサウンドを確立し、さらに今年1年間を通じ、数多くのライブステージをこなすことで、みるみる人気を獲得していったuni……。
最近のステージでオショーはパーカッションに加え、電子楽器テルミンをも操り、将来はギターを導入することすら考えているという。ひょっとしたらuniの二人は、ロックを経由しトランスを追究した末、(いまどきのロック以上に)アップ・トゥ・デイトなロックとしての「トランス」を、わたしたちに体験させてくれるかもしれない……uniのライブの魅力と可能性は、そんなことまで期待させてくれるのである。(2000/09/19、記)
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