碇ユイが、シンジに「アメリカの学校に通わない?」と言ってから、約1日が立っていた。
今日の日本海は昨日と比べて波が荒い。しかし空は昨日と変わりなく、透き通るように青かった。
寂しく、孤独に、冷ややかに。
その海を眼前に眺める浜茶屋に、アスカは腰を降ろしていた。パッと見た感じでは、いつもと変わ
らない表情のように見える。だが、普段のアスカを良く知っている人が、キョウコやミサトやシンジ、
そして綾波レイなどが見れば、いつものアスカとは違う事に気が付いただろう。目に、生気が無い。
「ふぅ・・・・・・・・今日もいい天気ね・・・・・・・・」
結局、昨日はあの後、なんとなくギクシャクしたまま1日が終わってしまった。
ゲンドウはいつもの無口さに更に磨きをかけて黙り込み。
ユイもいつもよりもぐっと無口で、食事の後は自室に戻ってしまい。
アスカは無表情なまま黙り込み。
キョウコとミサトだけが、無理をするかのように普通どおりに振る舞っている。
そして当のシンジは。
結局、ユイ達と一緒にアメリカへと行きアメリカの学校に通うのか、それとも日本に残るのかの
結論を出さなかった。
もしかしたら、シンジは自分の中で結論を出していたのかもしれない。しかしそれをアスカには、
また他の誰にも、ユイやゲンドウにも伝えてはいなかった。
「アメリカの学校、か」
気の抜けた口調でそう言いながら、アスカはぼうっと昨日の夜の事を思い出していた。
前日の夜、シンジとアスカは、海の見える部屋に居た。
もっとも夜であるから、海は暗く、見えるはずも無い。ガラスには室内が、ソファーに腰を降ろして
居るアスカと、その向かいに座っているシンジの姿が映っていた。
ソファーの前のテーブルには、ストローの刺さった二つのグラスが置かれていた。グラスは周囲に
薄らと汗をかいている。
「シンジ、どうするのよ」
不機嫌そうな表情で、アスカはシンジに声をかけた。
「どうするって?」
「なんのこと?」とでも言いたそうな表情で、シンジはアスカに問い返した。同時にテーブルの上の
レモンスカッシュに手を伸ばす。
レモンスカッシュに伸びていくシンジの手を見つめながら、アスカは更に言葉を続けた。
「だから、おばさま達とアメリカに行くのかってことよ」
「うぅん・・・・・・・・・どうしようか・・・・・・・どうしたらいいかな?」
シンジにそう言われて、アスカはプッと唇を尖らせる。そしてソッポを向いた。
「知らないわよ」
知らないわけはない。どうして欲しいかは知っている。つまり、行ってほしくは無い事を。
当たり前だ。自分の好きな人に「どこか遠くに行って欲しい」などという人が居るはずはない。
「そ、そうだよね。アスカには関係ないもんね」
シンジはそっけないアスカの答えに苦笑しながら頭を掻いた。
『関係なくなんかないっ』
アスカは心の奥で叫ぶ。
『関係ないわけないじゃないっ、シンジが居なくなっちゃうなんてっ』
シンジが居なくなった後のことなどアスカには考えも付かない。シンジが居なくて毎日を過ごす
ことなど、思いも付かない。好きなのに居ない。そんなこと。
だったらどうすればいいのか、それは、簡単な事である。ただ、自分の想いを伝える事。自分が
シンジを好きな事、だから行って欲しくない事。それを伝えるだけでよいはずだ。
だが。
「アタシは・・・・・・・・・」
アスカが口を開く。シンジが顔を上げる。そしてアスカが、乾いた桜色の上唇を舌でペロリと舐めて。
「シンジが決める事だけど、アメリカに行くのもいいかなって思うけど」
アスカの口から出たのは、意外な、アスカにとっても意外な言葉だった。
「ユイおばさまだって、寂しいと思うし。家のキョウコママもね、寂しいから帰って来ない?って、
アタシがこっちに来たばかりの頃は、よく言ってたのよ。それにね、それにね、シンジって、日本の
学校に合ってないような気がするし。結構、アメリカの学校に行ってみるのもいいんじゃない?」
『これはシンジが決める事だし。アタシが口を出す事じゃないし』
自分の気持ちとは全然違う事を口にしている事に、アスカはそう心の中で言い訳をしていた。そう
言い訳する事で、自分の気持ちを伝えない事を、正当化していたのかもしれない。
シンジは、機関銃のようにまくしたてるアスカをポカンとした様に眺めていた。
そして、少し寂しそうな笑みを浮かべながら、口を開く。
「・・・・・・・アスカ、僕がアメリカに行った方がいい?」
シンジの言葉に、『そんな事無い、アタシはシンジに居て欲しい』という自分と、『シンジが決める
ことだし』という自分。アスカは自分の中に、そんな二人の自分を感じた。そして、『シンジが決める
ことだし』という思いが自分の中でどんどん大きくなっていくのを感じる。『シンジが決める事』という、
シンジの事を思いやっているような、シンジの気持ちを尊重しているかのような考えが、本当は、そう
ではない、何かを押し隠しているだけだという事には気が付かないまま。
「そんな訳じゃないわよ。でも、ま、大事な事だし、シンジが自分で決めることよね」
「まあ、そうなんだけど・・・・・・・・急な話でこまってるんだよね・・・・・・・・・・・行くなら、このまま、明日
行かなきゃだし・・・・・・・」
ユイとゲンドウは、「シンジがアメリカに行くなら一緒に帰るのがいい」と言っていた。アメリカの学校
が大抵、9月から新学年である事を考えると、それも当然の事だった。手続きなどを考えると、今がギリ
ギリの時期である。荷物などは後でミサトに纏めて送ってもらえばよいし、一緒に帰るのが、一番よいの
だろう。
「ま、一晩良く寝て考えるのね」
アスカはそう話を纏めて、すっくと立ちあがった。飲み終えて空になったグラスを流しに返してから、
自分の部屋へ向かう。
「じゃ、アタシ、もう寝るから」
「あ、お休み、アスカ」
「じゃ、また明日」
アスカは後ろ手に手をヒラヒラとさせながら、寝室へと帰っていった。
スリッパと階段との間でパタパタと音を立てながら、二階へと上っていく。
「シンジ、どうするのかな」
さっきまでは「自分で決める事よ」などと強気な事を言っていたアスカだが、一人になると、急に
心細くなってくる。
「シンジ、いなくなっちゃうのかなぁ」
ポツリ、アスカが呟く。呟いた言葉に引き出されるかのように、不安が広がる。
その不安を取り除こうとするかのように、アスカは、心の中でひとりごちた。
「でも、仕方ないわよね。シンジが決める事だし。仕方ないわよね」
「なんだアスカ、こんな所にいたの」
横からアスカに声がかけられる。子供の頃から聞きなれた声。キョウコだった。
「あ、キョウコママ」
アスカはキョウコの方を振り向き、一瞬、微笑を浮かべる。が、すぐに表情を消して海の方に
視線を戻した。視線の向こうで、青黒い海面が持ち上がり、白く砕け散り、海へと帰っていく。
「探したわよぉ、どこに行ったか全然わからないんだもん」
そう言いながらキョウコはアスカの隣りに腰を降ろした。キョウコとアスカ、蜂蜜色の髪が並ぶ。
「いいの、アスカ?アスカが行方不明になってる間に、ユイさん達、空港に向かっちゃったわよ。と
りあえず新潟空港に行って、そこからチャーター機でアメリカに帰るみたい・・・・・・・・・シンジ君も・・・・
・・・一緒に行ったわ。あ、ミサトはアメリカ研のコンピュータの件で第三新東京に帰ったけど・・・・・」
「・・・・・・そう」
呟くアスカ。その隣りで娘の顔を眺めながら、キョウコは言葉を続ける。
「ユイさんとゲンドウさんもアスカに挨拶してから行こうって言ってたのに、急に居なくなっちゃうから。
フライトまで時間も無いし、よろしくって言ってたわよ」
「・・・・・・そう」
「でも、シンジ君、どうするつもりなのかしらね」
「さあ・・・・・・・・でも、アタシがどうこう言う事じゃないわよ」
キョウコに、拗ねたような諦めたような口調で言い返してから、アスカは再び海に向き直った。
海水の湿気を含んだ浜風が、すうっとアスカの頬をなでる。
アスカは言葉を続けた。
「シンジが決める事なんだし」
キョウコはそんなアスカの言葉に嘘を感じる。嘘というのは、言い過ぎかもしれない。だが、間違い
なくアスカの言葉は、ただ自分の気持ちから逃げているだけ。キョウコにはそれが判ってしまった。
「シンジくん、まだ、アメリカに行くって決めたわけじゃないみたいだけど。空港に着くまで、もう少
し考えたいって言ってたわ。でも、もしかしたらこのままサヨナラってこともあるかもしれないわよね」
シンジがユイとゲンドウに空港までついていったという事。それはとりもなおさず、キョウコの言う通り、
アメリカについていく可能性があることを示していた。
しかしアスカは、拗ねた表情のまま、同じ言葉を繰り返す。
「ま、シンジが決めることだし。仕方ないわよ」
「まあアスカの言う通りよね。シンジ君が決める事よね」
キョウコはウンウンと肯いてみせてから、両の手のひらを組み、大きく伸びをした。体を伸ばしきり、
フゥッと大きく息を吐いてから、キョウコはアスカに再び声をかけた。
「でも、アスカはどうして欲しかったの?」
笑顔でそう問い掛けるキョウコに、アスカは、機械的に答える。
「アタシがどうして欲しいかって、そんなこと関係ないわよ。シンジが決めることだもん」
その言葉をキョウコが遮る。笑顔はそのままに。
「そう、シンジ君が決める事よ。でも、誰が決めるかとかは関係なく、ただ、アスカの気持ちが聞きたい
の、ママは。アスカは、どうして欲しかったの?」
「アタシは・・・・・・・・」
キョウコにそう言われて、アスカは唇をかんで下を向く。サンダルを履いた自分の脚が目に入る。
「アタシは・・・・・・・・」
キョウコの言葉をきっかけとして『シンジが決める事だから』という自分に対する言い訳で蓋をしてい
た自分の本当の想いが吹き出してくる。
その想いは口に上る。
「アタシは行って欲しくなんかないっ!」
吐き捨てるようにそう言うアスカの頭をポンポンとキョウコが軽く叩く。
「もう。じゃあなんでシンジ君にそう言わないのよ」
「だって・・・・・・だって・・・・・・・」
「ま、いいわ。若いってのはそういうことよね」
自分の気持ちに素直になれない。それは若いという事、キョウコはそう思った。大人になると、打算で
自分の気持ちを隠す事はあっても、今のアスカのように、なぜか「素直になれない」という事は少なくなる。
『あたしもこのくらいの頃は、こんなだったのよね、きっと』
遠い(遠い事を認めたくはないが。)昔の自分の姿に思いを馳せながら、キョウコは立ち上がった。
「さってと。じゃ、ユイさん達を追いかけて、シンジくんに、自分の言いたい事を言う・・・・・・・・それでい
いわよね、アスカ」
ポケットから携帯電話を取り出すキョウコ。そんな母親に向かって、アスカはこくりと首を縦に振る。
「じゃあ、とりあえず電話電話・・・・・・・・・」
携帯電話のアンテナを伸ばし、キョウコは耳に押し当てる。
『なんでアタシ、シンジに何も言わなかったんだろ・・・・・・・・』
キョウコの脇でアスカは下唇を噛み締める。「シンジの決める事だから」と思って、シンジの意志を
尊重してあげようと思って、何も言わなかった。はずだった。
そんなアスカの自問自答は、キョウコの声によって遮られる。
「あら・・・・・・・・ユイさんもゲンドウさんも、おまけにシンジ君もつながらないわ・・・・・・・」
ユイの電話とゲンドウの電話は電源が切られていた。飛行機に搭乗するから、早めに電源を切ってしま
ったのだろう。シンジの電話は、呼び出しは出来たのだが応答が無かった。
「さぁて困ったわね」
キョウコは携帯電話のストラップに指を通して、くるくると携帯電話をまわす。まわしながらもキョウコ
は、冷静な表情で次の手を考えていた。
「NERVに連絡して、新潟空港で押さえてもらう・・・・・・・・・・・って今日、日曜日じゃない。駄目ね。・・・・・・・
・・・・むん・・・・ま、これしか無いわね」
「これ?」
不安そうに問い掛けるアスカの右手をキョウコは掴み、引っ張って立ち上がらせる。
「追うのよ。車で。飛行機が出ちゃう前に」
「追い・・・・・・・つくかな」
心配そうなアスカ。追いつくかどうかなど判らない。
掴んだアスカの手を引っ張って、上に上がるケーブルエレベーターへと歩きながらキョウコは苦笑した。
「追いつくかな、じゃなくて、追いつかなきゃ、でしょ?何も言わないままでいいの?」
「よく・・・・・・・ない。よくない」
「ということで、追いつくの。」
初めはキョウコに引き立てられるように歩いていたアスカだが、次第に歩みは速まり、最後には砂を
跳ね上げて走り始める。
そんな二人を、青空にぷかぷかと浮かび始めた羊雲が見つめていた。
暫くの後。
キョウコとアスカは、新潟空港が見える所まで来ていた。
ハンドルを握っているのはキョウコ。はっきり言って、警察が張っていなかったのがラッキーとしか
いいようが無いほどの暴走であった。
しかしいくら暴走しようとも、渋滞を蹴散らして走るわけにも行かない。なぜか渋滞していた新潟市内
で、抜け道など知るはずもないキョウコ達の車は、渋滞に完全に巻き込まれてしまった。
そのせいで、キョウコの暴走空しく、新潟空港に着いたのはチャーター機の離陸時間ぎりぎりであった。
「とりあえずこっちのような気がするっ」
キョウコはそう言いながら、「関係者以外立ち入り禁止」という掲示のある道路へと突っ込んでいく。
「ママっ?こっち、道、違わない?」
慌てた様子で、後ろに遠ざかって行く「新潟空港」と書かれた大きな建物を指差すアスカに、キョウコは
冷静な様子で返す。ただし、暴走は続けたまま。
「前に一回だけこの空港、来た事あるんだけどっ、確かっ、NERVとかのチャーター機はこっちの建物から
だったはずっ」
こんな状況でも、過去に一度しか来た事の無い空港に関する記憶を呼び起こしているとは、たいしたもの
である。
そのキョウコ達の前に、ゲートが見えてくる。「立ち入り禁止」と書いてあるのだから、それをチェック
するゲートがあるのは当然の事だろう。
キキーッという凄まじいブレーキ音とタイヤのゴムの焦げる音を残してゲート前でキョウコは車を止める。
運転席側、キョウコの乗っている側の窓に初老の警備員が近寄ってきた。
その警備員に向かって、キョウコはNERVの身分証明書を突きつける。
「あたし国連直属研究所NERVの職員、国際公務員よ。NERVって名前くらいは知ってるでしょ」
「はあ。まあ」
キョウコの剣幕に押されたかの様に、警備員は首を縦に振る。
「で、この空港からNERVのチャーター機がでるでしょ。それに乗る人に用があるのよ」
まくしたてるキョウコだが、警備員はのんびりとしたペースを崩さない。
「はてはて、ありましたかなぁ、飛行計画書、飛行計画書・・・・・・・」
そう言って、詰め所に飛行計画書を取りに向かう。
警備員を待っていたら、いつになることかわからないと判断したキョウコは、警備員の背中に向かって
声をかけてから、アクセルを一気に踏み込む。
シュルルルという派手な音を立てて暫時スピンしてから、タイヤは車を一気に前に運んで行く。
「じゃ、そゆことで」
そう言いのこして、キョウコはゲートを突破してしまった。
そんなキョウコ達の頭上を、爆音を残して一機の飛行機が通り過ぎていく。
「もしかして、今のかな」
心配そうな表情で空を覗こうとするアスカに、キョウコは明るい口調で言った。
「心配してもどうしようもない事は心配しないっ」
そう言いながらもキョウコは胸の中で舌打ちする。
『今の飛行機・・・・・・微妙ね』
爆走するキョウコの車の前に、あまり大きくはない、煉瓦色の建物が見えてくる。
「あ、あれあれ。あそこが事務所だったような気がする」
「飛行機・・・・・・いないわね」
泣きそうな表情でそういうアスカに向かって、キョウコは、ことさらに軽い口調で答える。
「あ、別にあそこの前に着くわけじゃないからね」
そう言っている間に、車は建物の前に騒音を撒き散らしながら停車した。
キョウコとアスカが車から飛び降り、自動ドアの前に立つ。自動ドアが開くまでの僅かな時間すら
が、今のアスカにはもどかしい。
『まだ、大丈夫だよね』
アスカは自分に向かって自問自答する。自分を安心させるために。
ドアが開いた。ロビーの中を見る。いない。ユイ、ゲンドウ、そしてシンジはいない。
『やっぱり、アメリカに行く事にしたのかしら』
ロビーに誰も、ユイ達だけでなくシンジもいないこと。それは、発ったか発っていないかに関わらず
ユイ達は飛行機に乗り込んでいるということ、そしてそこにはシンジも一緒である事、それを現して
いるであろうことにキョウコは気が付いた。おそらく、アスカも判っただろう。
『でもまだ出てなければ』
発っていなければどうにでもなる。その事にキョウコは望みをつないでカウンターに向かう。
ここでまたもキョウコが身分証明書を見せながら、カウンター内の女性職員に機関銃のような勢い
でまくしたてる。
「あたしNERVの職員ね。今日、NERVのチャーター機が出ることになってるでしょ。そのチャー
ター機に用があるんだけど。まだ・・・・・・・出てないわよね」
最後の「出てないわよね」というところを、期待を込めて、念押しをするように尋ねる。
『出てないわよね』
キョウコの後ろに立っているアスカが、また自分に言い聞かせる。
しかし。
その希望は。
「ああ、NERVさんのチャーター機なら、数分前に発ちました」
切れた。プツリと音を立てて。
なにが起きたのか理解できない、理解したくないアスカを横目で眺めてため息を吐いてから、キョウ
コは空港の女性職員に笑顔で礼を言う。
そして呆然と立ち尽くしているアスカを引っ張って、ロビーのソファーに腰を下ろさせた。
「シンジ・・・・・・行っちゃったんだ・・・・・・・」
腰を下ろしてからアスカは、誰に対してというわけでもなくポツリと呟いた。
アスカは自分の心の中にスカスカとした空虚な部分が広がっていくのを感じていた。
シンジが居ないこと。
あまりに急な展開で、今の今まで現実の事として理解できていなかったが、今、はっきりと、
いない事がどういう事なのかを思い知らされていた。
朝おきても、居ない。
朝ご飯を食べるのは自分とミサトだけ。
学校へ行く。一人だけで。
授業を受ける。みんなで。でも、シンジは居ない。
帰って来る。ミサトは居るかもしれないし居ないかもしれない。
でもシンジは居ない。絶対に。
今日も、明日も、明後日も。
アスカは昨日の夜、寝る前にシンジにかけた言葉を思い出した。
「また明日」
今までは当たり前の言葉。今日もいる。そして「また明日」も必ずいたシンジ。
でも。もうシンジは居ない。
「また明日」という言葉をかける事も無い。
居なくなって改めて気が付かされる、自分の中に占めていた大きさ。存在の重さ。
「どうして・・・・・・・」
アスカはそれを感じて、瞳から涙が零れるのを感じた。一滴、また一滴と。
シンジがアメリカに行くのか行かないのか。それはアスカが思っていた通り、自分で決める事だ
ろう。誰かが押し付ける事ではない。
『でもなんで、自分の気持ちを、伝えなかったの』
アスカはその事を後悔していた。シンジが決める事だから。アタシが口を出す事じゃないから。
自分自身にそう言い聞かせ、シンジの事を考えてあげているつもりになって、アスカは自分の気持ちを
押し殺していた。
でも本当は、何も言えなかったのは、恐かったからだという事に、今になって、アスカは気がつい
ていた。自分の想いがシンジに受け入れられなかったら。駄目だったら。いつものアスカなら絶対に
考えられない弱気な思い。それに負けて、シンジの意志を尊重しているつもりになって、自分の想い
を伝えなかったのだという事に、気が付いていた。
弱気に負けた代償は大きかった。
大事なものを、引き止められなかった。
もちろん、自分のシンジに対する想いを伝えたとしても、シンジは結局アメリカにいったのかもしれ
ない。それでも。こんなに後悔する事はなかっただろう。
自分の大事なものが手の間からスルリと逃げて行くのを、掴もうともせず、ただ眺めていただけ。
最悪だった。
「アタシ・・・・・・・・バカ・・・・・・・・・」
握り締めた拳が震え、唇から漏れる声も震える。
胸の中を後悔の念だけがグルグルと廻りつづける。
おととい見た、紅く燃える夏の夕陽を思い出した。もっとシンジと、夏、遊びに行きたかったのに。
左手首のシルバーのリングにそっと手を触れた。シンジとディズニーランド、もう一度行こうね
って約束したのに。
学校に向かう、だらだらとした坂道を思い出す。毎日、学校に、一緒に行けたはずなのに。
もっと、もっと、もっと。いろんな事を、いろんな季節を、通り過ぎていけるはずだったのに。
なんとなく寂しさが募る秋も。
寒さの中に清冽さの感じられる冬も。
そしてまた、春が来て夏が来て・・・・・・・
もっと、もっと・・・・・・・・・
ただ後悔の念だけを胸の中に渦巻かせて鳴咽するアスカを、キョウコはただ、見ているしかなかった。
アスカと比べて遥かに長い人生経験を持っているキョウコでも、こんな時にかける言葉は、無い。
ただ、見守るしかなかった。
二人の遥か頭上を、羊雲の浮かぶ青空を切り裂き、爆音を残しながら、飛行機が飛び去っていった。
続劇