第壱拾弐話  


『Einkauf(3)』

邦題 :買い物(3)

 

 初夏のある日曜日のお昼前。
第三新東京口駅前のイセタンデパートは、買い物客でごった返している。その中には、シンジとアスカもいた。
アスカのワンピース購入の為に、アスカがシンジを引きずって来たのである。

熱心に服選びをしている二人に、後ろから声がかけられた。
「なに夫婦で見つめあっとんのや。気持ち悪いのう。」
 何とも柄の悪そうな関西弁。その声にシンジもアスカも聞き覚えがあった。どう考えても、鈴原トウジの
声としか思えない。二人は慌てて後ろを振り返った。
「よ、お二人さん。仲のええこっちゃ。」
 案の定、振り返った二人の視線の先に立っていたのは、近頃じゃ街中で着ている人など殆ど皆無な、ジャー
ジの上下を着込んだ少年、鈴原トウジであった。初夏でもあり、こんなジャージを着ていれば暑くて
たまらないであろうに、顔色一つ変えていない。
「トウジ!?こんなとこで、なにしてんの?」
 首を傾げて訝しがるシンジの声に、トウジが答えるより先に、黒いジャージの陰から、ひょこっと頭が一つ
でてきた。
「こんにちは、碇君、アスカ。」
その顔は、どう見ても「イインチョ」こと洞木ヒカリにしか見えない。
 トウジとヒカリという組み合わせがいまいち理解できないシンジは、「何で?」という表情を浮かべたまま
二人を眺めている。
 だがアスカにとっては、この二人の組み合わせは予想の範囲内である。
 「はぁぁぁん、やっぱりねぇ。レイが、ヒカリを買い物に誘ったけど断られたって言ったときから、怪しい
とは思ってたのよねぇ。」
ヒカリがトウジを好きなことを知っているアスカは、その二人の組み合わせを見て、碧い目を細めて意味あり
げな笑い顔を浮かべる。
「た、ただ荷物持ちにつきあってもらっただけよ!」
 ヒカリが慌てて弁解を始める。妙に慌ててる所を見ると、ヒカリは只の荷物持ちとしてトウジを連れてきたの
ではなさそうであった。恐らく、アスカがシンジに来てもらったのと同じく、ヒカリもトウジに服を選んで
もらおうと思っていたのだろう。
「そや。イインチョが、服を選ぶのにどうしてもワシのファッションセンスが必要やゆうから、涙を飲んで
来てやったんや。」
「涙を飲んで」の用法が間違っているが、そんなことなど気がつかないほど、アスカとシンジはトウジの言
葉に驚かされていた。
「トウジのファッションセンスって・・・・・・この季節にジャージは・・・・・」
「シンジもそんなにセンス良くないけど、あれよりは役に立つわよね・・・・」
 誰がどう考えてもトウジにファッションセンスがあるとは思えない。それはシンジとアスカとて同じである。
シンジとアスカは、後ろを向いてこそこそと話し始めた。
 だが、当のトウジは自分がおかしな事を言ったという自覚などはまるっきりない。
「ま、それはそれとしてや。碇夫婦はなにやってんねん。」
その声に毎度の事ながら、アスカは食って掛かった。
「だぁれが夫婦だってぇのよっ!」
こういつも怒ってばかりで、疲れないのだろうかとシンジは思ってしまうが、そんなことは無いらしい。
「よくやるよ・・・・」
シンジは、半ば呆れた表情でため息を吐いた。
するとアスカはそのため息を聞きつけたのか、くるっとシンジの方に向き直った。
「なぁに人事みたいな顔してんのよ!アタシ達の人権がかかってるのよ!」
アスカはシンジに真っ赤な顔を向けて力説する。
「人権ってほどでもないような気がする・・・・・」
正直言って、シンジにはアスカがなんで「夫婦」と言われただけでそんなに怒るのかが判らない。
自分の意中の人と「夫婦」にされてからかわれれば、気恥ずかしいものである。しかし、今のシンジには
自分がアスカに想われていることなど気がつくはずもなく、そんなアスカの反応が理解できない。
「まあまあ、アスカも鈴原の口の悪いのなんか判ってるんだし、気にしないで・・・・」
3人の口論が泥沼化しそうであることを見て取ったのか、それとも自分の周りでぎゃあぎゃあ騒がれるのが
嫌だったのかは判らないが、止めに入ったのはヒカリだった。
さすが学級委員長、仲裁はお手の物である。
そのヒカリの言葉に、最初に落ち着きを取り戻したのはアスカだった。
「それもそうよね。アタシがこんなバカ関西男の挑発に乗ることはないわね。」
「そうよ明らかに鈴原が悪いんだし、鈴原のペースにはまるなんてアスカらしくもないわよ。」
少女二人の間では、トウジが悪いということで話が決まったようである。
確かに最初にアスカをからかったトウジにも悪い点はあるのだが、トウジにしてみれば、アスカにだって
問題はあるように思える。そのことを言わんと口を開こうとするトウジであったが、少女二人は一枚上手で
あった。トウジに口を挟む隙を与えはしない。
「あ、そうだ!ヒカリに、見て欲しい服があるんだけど。」
「そう?じゃ、見てこようか。」
二人はそう言って、さっさと隣の店へと入っていってしまった。


そうしてそこには、 悪人にされたトウジと、シンジだけが残された。
「なんや、惣流とイインチョのやつ・・・・これじゃワシだけ悪者やないかい!」
人込みの中でトウジは吠えた。
いきなりの大声にびっくりして、買い物客がトウジとシンジを2m以上は避けて通るようになる。遠くでは、
子供がトウジの事を指差して、母親に「見ちゃだめよ」とたしなめられていた。
鈍感さでは定評のあるシンジでも、さすがにこの状況は恥ずかしい。
「あのさ、アスカ達も悪気は無いと思うんだけど・・・・・・」
恐る恐るながらも、トウジをなんとか落ち着けようとする。取り敢えずトウジが静かになってくれればそれ
で良かった。
「そんな事はどうでもいいんや!」
しかしシンジの願いも空しく、トウジがまた叫ぶ。おまけに今度は泣きまね(おそらく)まで始める。
その様子をみて、シンジとトウジの周りを歩く人の流れが、さらに二人から遠ざかった。
もう諦め半分で、大きくため息を吐くシンジのわきで、トウジはオーバーなアクションをする。
「何が悔しいって、女に負けたのが悔しい!」
「へ?」
全く予想外の答えが返ってきたので、シンジは思わず間のぬけた声を上げてしまった。
どうやらトウジは、自分が悪者にされたことが悔しいのでは無くて、口を出すまもなく悪人にされた相手
が、アスカとヒカリという「女の子」であったことが気に食わないらしい。
「くやしいのぉ・・・・・」
訳の解らない敗北感に肩を震わせているトウジと、それを見て「打つ手無し」という顔をしているシンジを
避けていく買い物客の数が増えたように、シンジは感じていた。
「ま、まあ、でも、女の子に負けたからってどうってことはないような気が・・・・・」
「碇センセ!男が女の言いなりになってるようじゃ、世の中終わりや!」
女性の人権擁護運動家が聞いたら発狂しそうなセリフをトウジは漏らす。
「でも、トウジも洞木さんの言いなりになって買い物に来たんじゃ・・・・・・」
シンジは、ヒカリが「トウジを荷物もちに連れてきた」と言っていたのを思い出す。
「いーや、それはちゃうで、碇センセ。」
なぜかトウジは、明後日の方向を向きながら、腕を組んで胸を張って立つ。
「あれは、イインチョが『是非に来てくれ』と頼んできたから、ファッションセンス抜群のワシとしては、
無下に断るわけにもいかんやろ思うて、泣く泣くきたんや。」
ここまで力説するからには、恐らくヒカリは本当に「是非に」と頼んだのだろう。ヒカリがトウジを好きだ
ということに、まったく気がつかないシンジは、なぜヒカリがトウジなんかを服を買うのに連れてくるのかが
わからない。
「トウジのファッションセンス・・・・・頭が痛くなってきた・・・・・」
シンジがこめかみの辺りをさすっていると、さっきまで明後日の方向をむいていたトウジが、振り返った。
「ところで、碇センセこそ、惣流の荷物持ちかい?」
「荷物持ちっていうか・・・・・アスカが服を選ぶのを手伝って欲しいって言うから・・・・」
「くぅっ・・・・女にこき使われるとは、日本男児もここまで落ちたか・・・・・」
オーバーアクションに肩を落とすトウジに、シンジは慌てて言葉を続ける。
「っと、僕の時計も見て欲しかったから・・・・で、一緒に」
「ほんまに碇センセと惣流は、仲がええのお。ほんまに夫婦なみやな。」
腕を組んだままトウジは、うんうんと自分の言ったことに対して肯いている。
いつもの事ながら、トウジはオーバーアクションに過ぎ、それが周囲の人から見ると「変」なのである
がそれに本人は気がついていないらしい。今も周囲の人が不審の眼差しでトウジを見つめながら通り過ぎ
ていくが、当然、トウジは気がつきもしない。
「そんなこと言って、アスカが聞いてたらまた怒るよ。」
シンジはアスカとヒカリが入って行った店の方を見る。当然のことだが、二人には聞こえていない。
「ま、夫婦ってのは冗談やけど、碇センセも惣流も相手に頼りすぎやな。」
「・・・・・頼りすぎ・・・・・」
トウジの言葉に考え込むシンジを横目に、トウジは大きく肯いた。
「そうかな・・・・」
シンジは、自分がアスカに頼っているという思いはほとんど無い。いつも近くにアスカがいるが、アスカ
に頼ろうと思ったことは皆無と言っていいだろう。
「気がつかないのもしゃあないか・・・・・・・」
トウジにしては珍しく、シリアスな顔をしている。
「でも・・・・なんで頼りすぎると悪いの?」
別に、誰かに頼ることが悪いことだとは、シンジには思えない。
シンジの問いかけに、トウジは、言うべきか言わぬべきか、しばらく逡巡していたが、意を決したように
口を開く。
「それはな・・・・・・」



続劇

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