「それにしてもさぁ、シンジ、あそこまで絶叫すること無いんじゃない?」
「しかたないだろ・・・・・・・・怖かったんだもん。」
シンジはピザを口に運ぼうとする手を止めて、困ったような顔でアスカに目をやる。
二人がいるのは、『ホワイト・スター・ライン』というレストランである。予めミサトが予約
しておいてくれた所だ。『ホワイト・スター・ライン』という名称からは予想すらつかなかったが
ここはピザ専門店であった。もっとも、食事をするには予約が必須ということからもわかる通り、
味の方はそこらのピザ店とは桁外れに美味しい。値段の方も桁外れ・・・・・・・の様であったが、払う
のはミサトなので、シンジとアスカにとってはどうでも良いことであった。
「中学生にもなって、海賊や髑髏がこわいなんてね・・・・・・・・」
アスカはため息を吐きながら、肩をすくめてみせる。
「べ、別に海賊が怖いわけじゃないよっ」
シンジが顔を赤くしながら、大きな声で、力いっぱいアスカの言葉を否定する。
その声が余りに大きいのに驚いて、周囲で食事をしている客の視線がシンジに向かって集まった。
その視線を感じ取って、シンジは赤い顔をさらに真っ赤にして体を小さくすぼめる。
「・・・・・その、始まったと思ったら急に、下に落っこちたからびっくりしただけだよ・・・・・」
周囲からの視線で、先ほどの自分の声が響き渡っていたことに気づかされたシンジは、多少の気恥
ずかしさを感じながら、今度は声を潜めてアスカに言う。
「それにしたってねぇ・・・・・・・・」
茄子のピザに手を伸ばしながら、アスカは言葉を続ける。
「もうちょぉっとは、男らしくても良いと思うけど・・・・・・・・・・」
その言葉にシンジは、眉間にきゅっとしわを寄せた。そして、「ふぅっ」と大きく一つ息を吐く。
「さっきも言ったけど、仕方ないよ・・・・・・・怖いものは怖いんだもん・・・・・・それに」
手元にあったアイスティーを口にして、一呼吸の間を置いてシンジは続けた。
「僕が、『アスカみたいになんにも怖い物が無いっ』て風だったら、なんか変じゃない?」
「・・・・・・・・・・・・・まぁ、それもそうね。」
アスカはしばしの間、宙を見詰めるようにしてから、そう答えた。そして心の中でさらに続ける。
『それにシンジって確かに男らしいって感じじゃないけど、そこがまたイイのよね』
アスカが好きなのは今のシンジである。アスカにとっては今のシンジで、十分どころか十二分に魅力
的であった。
『なんて言うか、ちょぉっと頼りなさそうだけど、ほんとは優しくて頼りになるし、ぼけぼけっと
してる様に見えるけど、ほんとはとっても気が利くし・・・・・・・・・・』
などとアスカはシンジの良いところを頭の中で列挙していく。
もちろんシンジはアスカが何を考えているかなど知る由も無い。しかし突然、ピザを手にしたまま、
宙を見つめたまま動かなくなってしまったので、怪訝そうな表情を浮かべる。
「アスカ?」
その言葉にびっくりしたのかアスカは、はっとしたように目を大きくし、ついでに手にしていたピザ
を「べちゃっ」と皿の上に落とす。
「どうしたの?急にぼぉっとしちゃって・・・・・・・・・」
シンジはそんなアスカの様子を見て、心配そうにそう問い掛けた。
間違っても、『シンジのどんな所が好きか考えていた』などと口には出来ない。何と言ったものか、
アスカは混乱した頭で考えるが、良い答えが見つからない。
その様子を見ていたシンジが、さらに心配そうな顔つきになる。
「アスカ?」
「あはっ?・・・・・・・・ななななんでもないのよ。」
赤い顔をしたアスカはそう言いながら、あたふたとした様子で皿の上に落ちたピザを拾って、口に押
し込む。よほど慌てていたのか、ピザが喉に詰まったらしく、今度は慌ててアイスティーを口にする。
それでピザは流れていったらしいが、今度はアイスティーが気管の方に入ったらしく、ケホケホと小さ
く咳をした。
シンジはその一部始終を、キョトンとした顔で眺めていたが、ふいに顔に笑みを浮かべる。「笑み」
といっても、可笑しな物を見たときのような笑いではなく、その笑みには、何かほっとしたかのような
空気が感じられた。
「な、なによ・・・・・・・・」
ここに来てやっと少しは落ち着きを取り戻したアスカは、頬を少し朱に染めながら、上目遣いにシン
ジを見やる。アスカの胸の内は、「みっともない所を見られた」という思いでいっぱいであった。その
思いが、少し拗ねたような視線に表れていた。
「あ、あのさ、可笑しくて笑ったんじゃないんだ。」
「じゃあ、なによ・・・・・・・・」
アスカは、依然として拗ねたような表情を浮かべたままである。
「いや、アスカも焦ったりすることがあるんだなぁって」
シンジのその言葉に、今度はアスカがキョトンとした表情を浮かべる。
「はぁ?」
「いや、その・・・・・・・アスカも焦ったり慌てたりする、普通の女の子なんだなぁって思っただけ・・・・」
シンジは、『なんか、変なこと言ったかな・・・・・・・』と思いながら、ピザに手を伸ばす。しかし皿の
上には既に何もなかったので、仕方なくシンジはアイスティーを手にした。
アスカはと言えば、暫くの間、目をぱちくりとさせたまま、シンジの顔を穴が開きそうなほどに凝視
していた。そして、怪訝そうな顔をして口を開く。
「シンジ・・・・・・・あんた、アタシをなんだと思ってたわけ・・・・・・・・」
「だってさ・・・・・・・・」
シンジはアイスティーを両手で抱えたまま、困ったような表情を浮かべる。
「アスカって、僕と同い年なのに大卒だし、何でも上手にできるし、なんか、僕なんかとは違う人間
なのかと思ってた・・・・・・・・・」
確かにシンジの言う通りであった。眉目秀麗、容姿端麗・・・・・・欠点といえば多少口が悪いくらいの
ものである。もちろん、やったことの無い事は上手くは出来ない。しかしそれでも暫く経てば、誰よ
りも上手にその事をこなせるようになる、それがアスカだった。例えば料理にしても、最初は、口に
運ぶことをためらうような料理を作っていたが、いまでは、シンジと比べても遜色が無く、料理に
よってはシンジ以上の腕を見せている。そんなアスカを毎日見ているシンジが、「アスカは何か、
特別な人間」と思ったとしても無理はないであろう。
「そりゃぁまぁ、アタシは、大学だってもう出てるけど・・・・・・それ以外は、普通の女の子のつもりな
んだけどなぁ・・・・・・・」
アスカは頬杖を突きながら、可愛らしく唇を突き出してそう言った。
その様子を見てシンジは、慌てて口を開く。
「ご・・・・・ごめん・・・・・・・変なこと言っちゃって・・・・・・・・・」
そう言って頭を下げるシンジを見て、アスカは苦笑した。
「別にいいのよ。ドイツでも、誰も口にはしないけど、みんな『普通じゃない』って目で、アタシの
事、見てたしね。」
その優秀すぎる頭脳故に、アスカはドイツでも特別扱いをされつづけていた。みんなが「特別な人間」
という接し方をするために、結局、本当の「友達」はできなかった。
「本当にゴメン・・・・・・・・・・」
アスカの顔に、寂しそうな表情が浮かんだのを見て、シンジはまた頭を下げる。
「ほんとにいいんだってばぁ・・・・・・・・・・・・・・気にしないでよ」
アスカの言葉を聞いてシンジは顔を上げた。その顔には、安堵の色が浮かんでいる。
「・・・・・・よかった・・・・・・・なんか、酷いこといっちゃったかなって思っちゃった・・・・・・・」
アスカは苦笑しながら、アイスティーを口に運びながら、心の中で独白する。
『酷くなんかないよ・・・・・・・ちょっと嬉しかったな・・・・・・・同じ年頃の男の子で、アタシを『普通の女の
子』って言ってくれたのって、シンジが初めてだもん・・・・・・・・』
「でもさ・・・・ホントにアスカって、頭いいよね・・・・・・・うらやましいよ」
シンジはグラスの中の、残り少なくなったミルクティーを眺めながら、小さくため息をつく。
「僕なんか、父さんも母さんも研究者なのに、僕は学校の成績もそんなに良くないし・・・・・・・」
シンジの父と母、碇ゲンドウとユイはともにNERVの研究者である。しかも食べていけない研究者では
なく、夫婦そろってニューロコンピュータ分野での第一人者であった。
「そうだね・・・・・・・・でもそれって、シンジのお父さんとお母さんが凄すぎるんじゃないかしら。」
アスカは母のキョウコから聞いた話を思い出しながら、シンジにそう答える。キョウコ、アスカの
母親も優秀な研究者である。しかしそのキョウコが、ユイと話して、「この人にはかなわない」と思っ
たそうだ。ユイですらそうなのであるから、ユイを上回る天才と呼ばれているゲンドウなど言わずもの
がなである。
「それは判ってるけどね・・・・・・・・・」
シンジは苦笑を浮かべながら、空になってしまったグラスをテーブルに戻す。
「シンジのお父さんとお母さんかぁ・・・・・・・・・どんな人なんだろう?」
アスカは宙を見つめながら想像してみる。しかし、一度も見た事が無い人の像を脳裏に浮かべるのは、
余りにも難しかった。それでもアスカは、精一杯努力して、シンジの両親の顔を想像しようとする。
だがアスカは、次にシンジが口にした一言を聞いて、あっさりその努力を放棄する事になる。
「父さんと母さん、今度、一時帰国するらしいから、そのとき見てみればいいよ」
テーブルに落ちた水滴を、指先で引き伸ばしながら、シンジは事も無げにそう言った。
「帰ってくるの?」
アスカは驚いたように尋ねた。シンジの両親は今年の春から一年間、NERVのアメリカ支部に長期
の出張に出ており、帰ってくるのは来年の春になる、アスカはミサトからそう聞いていたからだ。
「あれ?昨日、ミサトさんから聞かなかった?」
「聞いてないわよ」
「あ、そっか・・・・・・・・アスカ、昨日の夜は、ミサトさんが帰ってくる前に寝ちゃったもんね・・・・・・・」
シンジは納得して、二回ほど肯いてみせる。
昨日の夜、アスカは翌日の(つまり今日の)『デート』に備えて、さっさと寝てしまった。それで、
かなり遅く帰ってきたミサトが持ってきた知らせは知らなかったのだ。
「・・・・・・そうね。アタシ、早く寝ちゃったから・・・・・・・・」
「それじゃ、アスカのお母さんの事もしらない?」
シンジはアスカに向かってそう尋ねる。
「キョウコママのこと?」
アスカはびっくりした顔でシンジに向かって逆に尋ね返す。
「うん。キョウコさん、つまりアスカのお母さんだけど、キョウコさんも日本にくるんだって」
「えぇぇぇぇぇ!」
アスカはシンジの言葉を聞いて、素っ頓狂な声を上げる。その声に驚いて、周りのテーブルの客が
シンジとアスカの方を向くが、今のアスカにはそんなものは目に入ってはいなかった。
「キョウコママが来るぅぅ?」
「あ・・・・・うん。なんか、ずいぶん前から日本に遊びに来ようと思っていたらしいよ・・・・・・・
それでいい機会だから、母さん達と日程を合わせてくるって・・・・・・・・・・」
アスカの方は周囲の目を気にはしていないが、シンジの方はそうはいかない。周囲の客の、好奇の
視線を気にしながらそう答えた。
アスカは口をぽかんと開けて、驚きを顔いっぱいで表現していたが、暫く経つと、ちょっとふて
腐れたような表情で、テーブルに頬杖をつく。
「まったくキョウコママったら・・・・・・・・・このあいだ、『手紙が着いた』って電話が来たとき、『今
度会いましょうね』って言ってたのはこの事だったのね・・・・・・・まったく・・・・・・・アタシに教えておい
てくれても良いじゃない・・・・・・・・・」
「いや・・・・・・たぶん、アスカの事を驚かせたかったんだと思うよ」
シンジは慌ててキョウコの事をフォローした。
「たぶん、そうね・・・・・・・・・・・全く、いつまでたっても子供なんだから・・・・・・・・・」
そのアスカの言葉に、シンジは苦笑しながら答える。
「うちの母さんだって・・・・・父さんもだけど、二人とも子供みたいだよ・・・・・・・・・」
ゲンドウもユイも、どちらも自分の興味のあることとなると、全てを放り出してそれに没頭してし
まう。その姿は、遊びに没頭する子供のようだと、シンジは常々思っていた。
「ま、二人とも大変よね・・・・・・・・・・子供っぽい親を持つと」
アスカはそう言いながら、椅子から立つ。
「まだ、パレードには早いかも知れないけど、そろそろ出ない?」
「そうだね」
アスカの言葉に肯いて、シンジも席を立った。ここの食事は、ミサトが予約する際に、代金の払い
をミサトの方へまわす様に手配してくれていたらしく、支払いをする必要はなかった。
『ミサトさんにしては、妙に手際がいいよな・・・・・・・・なんでだろ』
ずぼらなミサトらしからぬ、手際のよさに、シンジは大きな驚きと少しの疑問を感じる。しかし、
考えてもシンジに判るはずも無い。
「ま、どうでもいいよな」
シンジはそう呟いて、前を行く、ワンピースのアスカを追いかけていった。
「またおいでください」
という、『ホワイト・スター・ライン』のウェイターの声に押し出されるようにして外に出ると、
空はすっかり夕闇に覆われていた。
「ねぇアスカ、パレードまで、あとどのくらい時間がある?」
その言葉に、歩きながら、アスカは左腕の時計に目をやる。
「えっと・・・・・・・・三十分くらいかな・・・・・・・」
「じゃあさ、それまで、ワールドバザールで買い物してこない?」
シンジは、目の前に広がっている、薄闇のなかでも煌煌とかがやいているワールドバザールのアー
ケードに目をやりながらそう言った。
アスカは少しの間、考え込んでから大きく首を縦に振る。
「そうね。アタシも買いたい物があるし・・・・・・いきましょ。」
「でも、30分しかないから、ちょっと急がないとね」
「ま、シンジが迷子にならなけりゃ大丈夫よ。」
「そんな・・・・・・・あれはアスカが勝手にどっかに・・・・・・」
「あ!アタシのせいだってぇの?」
「べ、べつに・・・・・・」
ワールドバザールは、帰る前にお土産を買おうとする人々で賑やかである。
しかし二人は、その賑やかさを切り裂くかのような賑やかさで人込みの中に消えていった。
続劇