第七話  


『Hausaufgaben(2)』

邦題 : 宿題(2)

 

 碇シンジが、葛城ミサトと惣流・アスカ・ラングレーと共に同居生活を送っている
事は、学校の級友でさえも知っている。
 自他共に認める美人・美少女である二人と暮らしているということで、皆から羨ま
しがられている。
 しかし、実際には三人の同居生活の殆どの部分をを支えているのはシンジであり、
他人が思うほど、すばらしい生活というわけにはいかないようだ。


 今日の夕食でも、シンジは家政夫として大活躍だった。


 「あ、シンちゃん。スープのお代わりお願いね。」
 ミサトは、シンジがお代わりを持ってくるのが当然であるかのような表情で、シン
ジにスープ皿を渡して、再びアスカと話し始めた。
 「で、なんで、先生に呼び出されたわけ?」
 「何でだと思う?」
 アスカはそこで思わせぶりに言葉を切り、チーズハンバーグを切り分けて口に運ぶ。
そして、飲み込んでからおもむろに言葉を続けた。
 「シンジったら、ここんとこずっと、宿題のプリントをもってってないんだって。」
 アスカの言葉に、ミサトは苦い顔をしながらビールを飲み干す。
 アスカは更に言葉を続けた。
 「でね、特別のプリントを出すから、それを明日までにやってくれば、これまでの事
  は見逃してくれるって。もし忘れたら、アメリカのシンジの両親に、電子メールで
  このことを報告して、一時帰国していただくって言ってたわ。」
 「ふーん。でも、そんな話なんだったら、何でアスカも呼ばれたのよ。」
 ビール缶を握りつぶしながら、怪訝そうな顔でミサトは尋ねる。
 「先生は、クラストップの成績のアタシに、シンジの宿題の手伝いをしてやりなさい、
  って事が言いたかったらしいわよ。」
 「シンちゃぁん、ちゃんと宿題くらいしなくちゃだめよ。」
 スープを鍋から盛り分けてきたシンジに、ミサトが珍しく保護者らしい言葉をかける。
 「そんなこと言われたって、無理なんですよ。」
 皿をミサトに手渡しながら、シンジは肩をすくめた。
 「あら、そんなことないわよ。碇所長だって、ユイさんだって、気持ち悪いほどの天才
  なんだから。シンちゃんにだって、素質はあるわよ。」
 ミサトの言葉通り、シンジの両親、ゲンドウとユイは、もの凄く優秀な人間であった。
旧世紀以来の工学系の名門大学、マサチューセッツ工科大学で博士号を取得して、請われ
てNERVに入所したときから、NERV始まって以来の俊才として名高い。その二人の
一人息子なのだから、ミサトの言葉通り、シンジにもそれなりの才能は眠っているはずで
あった。
 「確かにね。キョウコママでさえ、シンジの両親には叶わないってほどだから、両親は
  もの凄く優秀なのよね。でも、学校ではシンジって、ぜぇんぜん冴えないのよね。」
 どうやら、アスカの言葉を聞く限りでは、両親から受け継いだシンジの才能は、眠った
ままのようである。
 だがエプロンをつけたままのシンジは、
 「別に、宿題をやっていかないのに、優秀だとかどうとかは関係ないよ。」
 と言って、アスカの言葉に反論する。
 「あら、じゃ、何で宿題をしてかないわけぇ?」
 ビールを飲む手を止めて、ミサトが尋ねる。
 シンジは大きくため息をついてから、なぜ自分が宿題をやっていけないかを、話始めた。
 「毎日毎日、誰がこの家の家事をしてると思っているんですか?食事を作るのもほとんど
  僕、お弁当を作るのだって、みんなはアスカが作ってると思ってるけど、本当は僕が作っ
  てるんだし、ゴミを出すのも僕、掃除をするのも僕、買い物も洗濯も、何から何までボ
クがやってるんですよ?これだけの家事をこなして、宿題をやるだけの体力が残ってい
  る訳がないじゃないですか。誰も手伝ってくれないんだし・・・・・・」
 言いたいことを全て言い切り、ご飯を食べ始めたシンジの前に、ミサトもアスカも言葉が
ない。確かにその通りだからだ。
 しばらくシンジがご飯を食べる箸の音だけが響いた。
 その後、意を決したかのように、アスカが口を開く。
 「ア、アタシはちゃんと家事はやってるわよ。ペンペンの餌やりをしてるし・・・・・・
  アタシとミサトの下着はちゃんと洗濯してるし・・・・・」
 負けじとミサトも、自分の家事への貢献度をアピールしようと口を開く。
 「あたしだって・・・朝、起きて・・・・・・ビール飲んで・・・・NERVへ出所して
  ・・・・・・休憩にビール飲んで・・・・・帰ってきて・・・・ビール飲んで・・・・
  お風呂に入って・・・・風呂上がりに一杯やって・・・・・寝て・・・・起きて・・」
 一日の行動を思いつくままに列挙すると、殆どビールを飲んでいることに気づかされる。
 「一日の殆どをビールと共に過ごす・・・・・限りなく人間のクズよね。」
 冷たい視線でアスカが言い放つ。
 本当にミサトが、ビールを飲んでいるしか能がないわけではない。しかし、家事にはなんら
貢献していないのは事実なので、ミサトには反論する余地はない。
 テーブルの向こう側からの、シンジとアスカの冷たい視線に耐えきれなくなったか、ミサトは
渋々ながらも、家事を手伝うことを約束しなければならないと思った。
 「わかったわ。葛城ミサト、シンジくんが宿題もできないほど家事に忙殺されることがない
  ように、明日から家事を手伝うわ。
 その言葉を聞いたシンジは、ご飯を箸で持ったまま、珍獣でも見るかのようにミサトを見る。
 「ミサトさんが家事を進んで手伝おうとするなんて・・・・・・・」
 その視線にミサトは苦笑しながら、
 「やあねえ。アタシだって、本当は家事が得意なんだから。」
 と得意げに言った。
 そのミサトの表情を見て取ったアスカは、すかさず言葉を重ねる。
 「そんなに得意なんだったら、明日から当分の間は、シンジの代わりに家事を全部<やってあげ
なさいよ。」
 得意げだったミサトの顔は、アスカの一言で見る見るうちに凍り付いていく。
 「いや、得意なんだけど・・・・やっぱり初めは少しずつやっていくのが・・・・・」
 「あら、ミサトはシンジの保護者なんだし、そのくらいやるのが当然なんじゃないの?」
 何とかして、全部の家事をやらされるという最悪の事態を回避しようとしたミサトの目論
見は、アスカのだめ押しの一言で粉砕される。
 「わかったわよぉ。やればいいんでしょぉ。」
 すっかりふてくされた表情で投げやりに言い、ミサトはビールを一気に飲み干す。
 そんなミサトの前では、アスカとシンジが、家事をミサトに押しつけられたことを喜んでいた。
 「よかった。ミサトさんに、保護者らしい仕事をしてもらえるなんて・・・・・」
 「これで、シンジの家事の負担もちょっとは解消されるってもんよね。」
 そう言いながら、顔を見合わせて笑っている。
 ミサトの目にも、どうあがいたって、当面の間、家事を行うことから解放されないであろう事は
明らかであった。仕方がないので、八つ当たりに、自分に家事を押しつけてくれたアスカをからかっ
て憂さ晴らしをする。
 「それにしてもあすか、宿題手伝ってあげたり、家事から解放してあげたり、愛しのシンジ君には、
  ものすーっごく優しいのねぇ。」
 その言葉に、感情の動きとと表情が直結しているアスカは、顔を真っ赤にする。
 ちなみにシンジはと言えば、「いとしの」という言葉の意味がよくわからないので、なぜアスカが
真っ赤になっているのかが理解できていない。
 アスカは、紅くなった頬を静めるように、頬に手を当てながら、
 「そ、そんなことないわよ。」
 と、一応否定しながら、最後まで皿に残っていたチーズハンバーグに勢いよくフォークを突き立て、
せかせかと口に運ぶ。
 少し酔いの回ってきたミサトには、そんなアスカのリアクションが面白くてたまらない。
 「そう?でも、毎週のようにラブレターをもらってるのに、毎回、破り捨てて来るのも、シンジ
くん以外は、眼中にないからじゃないのぉ?」
 ミサトの言葉がどんぴしゃなので、アスカはさらにあせり、ガチャガチャと激しい音を立てながら
食べ終えた食器をキッチンに運び込んだ。
 もちろんシンジは、「眼中」の意味が判らないので、話についていけない。
 アスカが急に赤くなった事を不思議に思っているシンジに向かって、アスカはピシッと指を突きつ
けた。もちろん、真っ赤な顔のままである。
 「じゃ、アタシはお風呂に入ってくるから。ちゃんと宿題やる準備してんのよ!」
 そう言い残すと、何も持たずに、風呂場へと直行していった。
 「着替えも持たないで、風呂に言ってどうすんのかしら・・・・」
 いつもは計算高いのに、シンジの事をちょっとつつかれるとすぐに熱くなってしまい、我を忘れて
しまうアスカに、ミサトは苦笑を隠せない。
 なぜアスカがあんなに赤くなっていたのか、全く理解できていないシンジは、エプロンをつけて食
器を洗い始めながら、背中越しに、
 「アスカ、何であんなに、赤くなってるのかな?」
 と、ミサトに尋ねた。
 あまりに鈍感なシンジにミサトは再び苦笑する。
 「アスカはシンジ君の事が好きなのよ。」
 とミサトが言うわけにもいかない。それは必要ならアスカが言うべき事だからだ。
 「ま、なんていうか・・・・・年頃の女の子は、いろいろあるのよ。」
 「ふーん、いろいろ、ですか。」
 ミサトの曖昧な答えに納得したわけでもないだろうが、シンジはそのことにはもう触れずに、皿を
再び洗い始めた。
 ミサトも何も言わずに再びビールを飲み始める。
 シンジが皿を洗う音に重なるように、時計が8時の鐘を打った。
 夜は静かに更けていく・・・・・・はずだった。


 「なんですってぇぇぇぇ!」
 コンフォートマンションに、アスカの金切り声が響きわたったのは、それから23分52秒後の
 事であった。
 「宿題のプリント、全部、学校に忘れてきたですってぇ?」
 「うん。」
   アスカの迫力に押されたのか、シンジは少しずつ身を引きながら首を振る。
 「アンタばかぁ?それじゃ宿題なんか、できないじゃないのよ!」
 ただの宿題なら、アスカのプリントをつかえばいい。だが、今回は先生特製のプリントなので、忘れ
てきたら、絶対にできるわけがないのだ。
 「ご、ごめん。」
 ひたすら謝るしかないシンジに、アスカは更に文句を付けようとする。
 その二人に割って入ったのは、テレビの前に寝そべって、ビールを飲んでいたミサトだった。
 「まあまあ、アスカ。落ち着きなさいよ。」
 のんびりした口調のミサトに向かって、アスカが声を張り上げる。
 「今回忘れてったら、シンジの両親は、アメリカから呼び戻されるのよ?そうなったら、ミサトだ
  って、保護者らしいことしてないのがばれて困るでしょ?」
 そう声を高めるアスカに向かって、にやにや笑いながらミサトは言った。
 「アスカ。とりあえずパジャマ着ないと、シンジ君にせまってるみたいよん。」
 ミサトの言葉でアスカは、自分がすごい格好をしていることに気がついた。着替えを風呂場に持っ
ていかなかったので、素っ裸にバスタオルを巻き付けただけという姿だったのだ。バスタオルの裾
からは、すらりとした足の大部分があらわになっている。
 そんな挑発的な自分の格好に気がついたアスカは、お風呂上がりの火照った顔を更に赤くして、
 「シンジのエッチ!」
 と言って、シンジに平手打ちを加えてから、自分の部屋へと走っていった。
 紅葉の形に赤くなった頬をさすりながら、呆然とそれを見送ったシンジは、首をのろのろと回し
てミサトの方を向いた。
 「急に叩かれるなんて・・・・ぼく、何か悪いことしましたか?」
 「年頃の女の子は、いろいろあるのよ。」
 またも訳の分からない答えをされて、シンジは困ったような顔をする。
 だが、その顔は、ミサトの次の一言で更に暗い顔になってしまった。
 「でもシンジ君、プリントがなければ、宿題なんかできないわよね。宿題出さなきゃ、ご両親がアメ
リカから召還されるのよ?どうするの?」
 このことは、シンジ、ミサトの双方にとって大問題だった。
 シンジは、父のゲンドウが苦手である。ゲンドウは小言が多いのだ。今回、学校に呼び出されて一時
帰国して、呼び出された理由が「宿題をやってこないから」だなどということが判ったら、何時間の間
説教をされるか判ったものではない。だからシンジは、何としても宿題を提出したかった。
 ゲンドウ・ユイ夫婦が一時とはいえ帰ってくるのは、ミサトにとっても大問題である。シンジを預か
るときに、
 「所長や、ユイ先輩のような立派な科学者になれるように、この葛城ミサト、シンジ君を立派な人間
として育つよう、尽力させていただきます。」
 と立派な事を言って、ミサトはシンジを預かったのだ。
 ところが、「立派な人間として育つよう、尽力する」どころか、保護者らしいことをなんにもしてい
いないのが現実である。もしも碇夫婦が帰ってきたら、そのことがばれてしまうかもしれないのだ。
 そのことで、学生時代からの先輩、ユイにどれだけ叱られるかと思うと、ミサトは恐ろしくてたまら
ない。
 二人とも理由は違うが、ゲンドウ・ユイに帰ってこられては困るという点で、利害は一致していた。
 「困ったわね・・・・・・学校はさすがにしまってるわよね・・・・」
 「取りには行けないですよね・・・・・・困りましたね・・・・・・」
 二人そろって、テレビの前で頭を抱え込んでいると、「バチーン!」という音と共にふすまが開き、
赤いギンガムチェックのパジャマを来たアスカが部屋に入ってきた。
 アスカは、先ほどの恥ずかしげな真っ赤な顔など忘れたかのような、自信満々の表情で、
 「アタシに任せれば、そんなことは、かーんたんよ!」
 と言い放った。
 「どうするのよ?」
 まるっきり信用していない表情で、ミサトは尋ねる。
 「朝早く、学校に忍び込むのよ!」
 やはり自信ありげな表情を崩さないアスカに、シンジも不安そうな顔を隠さない。
 「忍び込むって・・・・・警備システムだって入ってると思うんだけど・・・・」
 「学校の警備システムなんか、鍵を開けたときだけ反応するような安物よ!鍵のかかってない所から
  忍び込んでしまえば、いちころじゃないの!」
 自信満々で力説するアスカを前に、ミサトとシンジは顔を見合わせる。
 「それって泥棒なんじゃ・・・・・・・・」
 「あら、窃盗ってのは、「他人の財物を窃取すること」よ。あたし達は、何かとる訳じゃないから、
  泥棒じゃないわ。」
 さすがに14歳で大学を卒業しただけの頭脳の持ち主である。すごい理屈を展開する。
 「でも、住居不法侵入よ・・・・・・」
 29歳にして広報部長という職を射止めた、頭の良さでは負けてはいないミサトが、問題点を指摘する。
 アスカはそんなミサトの意見を鼻で笑い飛ばす。
 「ミサトも甘いわね。誰も住んでないんだから、学校は「住居」じゃないわ。」
 屁理屈だが、ここまで自信満々言い切られると、反論する気もおきなくなる。
 そして、宿題をやり遂げて、碇夫婦の一時帰国を阻止するための方策は、「学校に忍び込んで、宿題を
やって、提出する」という方法しかないように思われた。
 「しょうがないか・・・・・・・・」
 シンジも、渋々ながらアスカのアイデアに同意した。
 「そうと決まればいまからでも・・・・・・」
 立ち上がって学校へ行く準備をしようとするシンジに、アスカは笑いながら声をかける。
 「アンタばかぁ?夜中に学校に行ったって、電気つけたらご近所の人に怪しまれるでしょ?いくなら、
  朝方よ、朝方。」
 「アスカって・・・・・・悪党・・・・・」
 あまりに理にかなった侵入作戦に、シンジはそんな言葉しか出てこない。
 そんなシンジの言葉など聞いていなかったのだろう。アスカは、
 「そうと決まれば、さっさと風呂に入って寝なさいよ!明日は早起きするんだから!」
 と言って、シンジの首をひっつかんで、風呂場へ引き立てて行き、自分も部屋に引きこもった。
 リビングに一人残されたミサトは、苦いビールをちびちび飲みながら、
 「こういうことを認めてるから、アタシは、保護者失格なのよね・・・・・・」
 とつぶやいた。


 夜は確実に更けていった。


続劇

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