第壱拾八話  


『Suppe(5)』

邦題 :スープ(5)

 

  薄暗い部屋の中で、蜂蜜色をした髪の少女、アスカは眠っていた。
部屋の中は静かであり、起こさなければいつまでも寝ていそうである。
と不意に、窓の外で雷が空中放電する音が激しく響き渡った。
「む・・・・・・・・・んっ」
雷の音が引き金となったのか、アスカは目が覚めたようであった。大きく伸びをしてからベッドの
上に体を起こす。
「??」
そこでアスカはなぜか、寝ぼけた顔のまま、自分の布団をまじまじと眺めて首をかしげた。
「布団がちゃんとかかってる・・・・・・・」
アスカはそれほど寝相の良いほうではない。もちろんミサトの寝相の悪さには負けるが、それでも
朝起きて、布団がまっすぐだった記憶は殆ど無い。
であるのに、今日はなぜだか布団がしっかりとかけられていた。
眠そうな顔のまま考え込むが、眠りから覚めたばかりの頭では、当然の様にその答えを弾き出して
くれようはずも無い。
しばらく経ってから、「たまにはそういう事もあるわよね」と考えて、アスカはあっさりと考える
事を放棄した。
そして、起きたばかりでパッチリと開いてはくれない瞼をこすりながら、枕元においてある目覚し時計
を引っ掴み、とろんとした視線で覗き込む。時計の針は、9時を回った所であった。
「もうこんな時間なの・・・・・・・・」
部屋の暗さと時計の示した時間とにギャップを感じて、アスカは時計の針の指している位置を、もう
一度確認した。
やはり9時を過ぎたところのようである。
「はぁ・・・・・・・もうシンジ、学校に行ったわよね・・・・・・それにしても、何でこんなに暗いわけ?」
目覚まし時計を元の位置に戻してから、アスカはベッドから飛び起き、窓へと歩み寄った。窓に
はチューリップをモチーフとした絵柄のカーテンが掛けられている。このカーテンは、日本に来て
間も無い頃、シンジが選んでくれたものであった。当初は、なんとなく子供っぽい感じがして嫌だっ
たが、最近は気に入っているようであった。アスカがシンジを好きになったことと無関係ではあるまい。
アスカは窓の外を見ようとして、カーテンを勢いよく開く。
と、「ブチッ」という嫌な音がして、金具が一つ、レールから外れて落ちてきた。
「なぁんか、嫌な感じ・・・・・・・・」
足元に転がった金具を拾い上げて、アスカは眉をひそめる。
だがアスカはそれほど縁起を担ぐ性格をしてはいない。すぐに気を取り直して、今度は慎重に
ゆっくりとカーテンを開いた。次第に窓の外の風景があらわになっていく。
窓の外は、雨だった。それほどに強く降っているわけではない。だが、どんよりと低く立ち込
めた雲と、昼とは思えないほどの暗さ、そして時折閃く稲光は、気分を滅入らせるのには十分過ぎ
るものであった。
「雨か・・・・・・・・・」
心底イヤそうな表情を見せてから、アスカは、机の上においてあったデジタル体温計を手にして
部屋を出た。
気分は昨日よりもすこぶる良いが、それでも一応、体温は測っておかなければならない。
歩きながら電子体温計を口に咥える。シンジがいれば、「危ないから、歩きながら口に物を咥え
ちゃダメだよ」とか言うところであろう。
キッチンに入ろうかというところで、くわえた体温計から、測定終了を示す軽い電子音が響く。
取り出して見ると、液晶画面は「36.7℃」と表示していた。
「もうOKね」
今日一日は休まなければならないであろうが、この調子であれば、明日からは学校に行けそうである。
まだ1日しか休んでいないのに、随分と長く、学校に行っていないような気がした。いつもは学校に
行きたくないと思うことはあっても、行きたいと思うことなど殆ど無いのに、学校を休んだら、無性
に学校に行きたかった。不思議なものである。
「朝ご飯は、なんだろうなぁ・・・・・・・・・・・」
風邪が治りかけているという安堵感からか、明るい表情でアスカはテーブルについた。
テーブルの上には、佃煮と土鍋とスプーンが置いてあった。アスカには、ふたを取らなくてもその
中身がお粥であるという事が判ってしまった。
「またお粥か・・・・・・・・・」
シンジが自分の事を気遣ってお粥にしている事は判るし、そして、シンジの作るお粥は美味しい。
それでも、お粥ばっかり食べていると、他のものを食べたくなる。
「せめて、うどん、食べたいなぁ・・・・・・あれなら消化もいいし・・・・・・・・」
シンジに悪いとは思いながらも、ついつい肩を落としてため息を吐いてしまう。
と、4つに折りたたまれた白い紙が土鍋の横に置いてあるのが、がっくりと肩を落としているアスカ
の目に留まった。
「なんだろう?」
アスカは手を伸ばして白い紙を手にする。その紙には「アスカへ」と書かれていた。
「シンジかな・・・・・・・・・」
折りたたまれた紙を、アスカは丁寧に開いていく。中には几帳面そうな文字で、いろいろと書き込
まれていた。どうやらアスカの予想通り、シンジからの手紙のようであった。




アスカへ。

おはよう。
朝、起こそうかと思ったんだけど、よく寝てるみたいだったので
起こしませんでした。
体調はどうですか?昨日の夜は、寝苦しくはなかったですか?
風邪は良くなってきてるんだと思うけど、一応、体温を測って、
食後には風邪薬を飲んで下さい。
朝ご飯は、そこに置いてあるお粥です。
お昼ご飯もお粥にしようと思ったんだけど、そろそろアスカが、
お粥に飽きてくる頃だと思うので、うどんにしました。キッチン
のコンロの上の土鍋に、鍋焼きうどんが入っています。
どちらも温めて食べて下さい。
じゃ、僕は学校に行ってきます。
体調が良くても、無理はしないでね。

シンジより。




アスカは文面をざっと眺めてから、感心したような声を上げる。
「今日のお昼、お粥じゃないんだぁ・・・・・・・・シンジって、気がきくなぁ・・・・・・・」
アスカは、まるで人の気持ちが判るかと思うほどに気がきくシンジに、驚きを隠せない。自分では絶対
にこうはいかないだろうと思う。
ガスコンロのほうを見るとそこには、シンジの手紙にかかれている通り、土鍋が上がっていた。あれが
おそらく鍋焼きうどんなのだろう。
それを確認してから、アスカは再び手紙の文面に目を通す。じっくりと読んでいくと、その短い手紙の
言葉の端々から、シンジが自分のことを心配してくれていることを感じ取ることができた。
「ほんっとに心配性なんだから、シンジったら・・・・・・・・・・」
口では文句を言いながらも、その瞳は嬉しそうな光を湛えている。
そしてアスカは短い文面を何度も読み返した。何度も何度も読み返した。読み返す毎に、シンジが心配
してくれていることが胸に響く。
「やっぱり、誰かが・・・・・・シンジが心配してくれるって、嬉しいな・・・・・・・・・」
アスカは風邪を引いてから何度目かの言葉を口にした。そしてまた文面を目で追っていく。
と、アスカの視線がある一点で止まった。そしてその辺りを何度かさまよう。
「『良く寝てるみたいだった』って・・・・・・・シンジ、あたしの寝顔を見たわけぇぇぇ!」
アスカは慌てて自分が見苦しい顔をしていないかをチェックし始める。
ヒカリだったら、寝ているところに男の子が入って来た等と知ろうものなら、
「イヤァァァァァァァァ!襲われるぅぅぅぅぅ!不潔不潔不潔不潔不潔不潔ぅぅぅぅぅぅぅ!」
と叫んで泣き出すところだろう。
シンジが寝ているところに入って来たからといって、身の危険を感じたりはしない。アスカにはシンジが
そんな大胆なことができるとは思えないし、そんな事を絶対にシンジはしないと信じていた。
どちらかと言うと、シンジに寝顔を見られたことのほうが恥ずかしかった。それで自分のパジャマや、髪
の乱れなどをチェックしたようである。
「寝てる顔を見られるのって・・・・・・・・・恥ずかしいわよね・・・・・・・・アタシ、どんな顔で寝てたのかな・・・・・」
シンジはアスカの寝顔を見て、「いつもは口が悪いアスカでも、寝顔は可愛いな」と思ったのだが、そん
な事はアスカが知る由も無い。どんな顔をして寝てたのかと思うと、落ち着かない。もしかしたら口を開け
ていたかもとか、白目をむいて寝てたかもとか、ろくでもない想像だけが頭を過ぎる。
「ま、そんな事、気にしてもどうしようもないわよね。」
アスカは気に病むのを止めることにした。考えても無駄なことは、すぱっと考えるのを止めるのがアスカ
のモットーである。
「アタシなら、きっと寝顔も可愛かったはずよね。」
自分を納得させるようにそう言って、アスカは立ち上がった。
そして土鍋をガスコンロにかけて、つまみを捻った。「シュボッ」という音と共に、コンロに火が点る。
火が点いたのを確認してから、アスカはまたテーブルに戻ってシンジの置き手紙を読み始めた。
何度読んでも読み足りないくらいだった。読めば読むほどにシンジの優しさが感じられて、読めば読むほ
どにシンジのことをさらに好きになっていく。
「シンジって・・・・・・・・優しいわよね・・・・・・・・ちょぉっと鈍いけど・・・・・・・・」
そんなことを取り止めも無く考えて、どれほどの時間が経っただろうか。
物思いにふけるアスカの耳に、鍋から蒸気が激しく噴き上げる音が聞こえてきた。
頭を上げると、コンロの上で、土鍋からお粥が吹き零れる寸前であった。
「まずいっ」
アスカはコンロの火を慌てて消す。そして、鍋つかみを両手にはめてから、土鍋の蓋をゆっくりと開く。
中からは激しい蒸気が吹き上がり、それとともに、お粥独特の良い香りが立ち上ってきた。
すると現金なもので、さっきまで「お粥は飽きた」とか言っていたにも関わらず、香りに負けてか、アス
カは急に空腹感を覚えてきた。
「早く食べよっと」
アスカはテーブルにお粥を運ぶために、鍋に再び蓋をかぶせようとする。
とその時、玄関のインターホンの呼び出し音がなった。
「・・・・・・まだシンジが帰ってくるには早いわよね・・・・・・・・」
時計を見ても、まだ9時30分にもなっていない。どう考えてもシンジが帰ってくるはずはなかった。
「宅急便かなにかかしら」と考えながら、アスカは土鍋の蓋をつかんだまま玄関へと向かう。


土鍋の蓋が割れる音が響くのは、その数十秒後であった。

続劇

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