第壱拾参話  


『Einkauf(4)』

邦題 :買い物(4)

 

  「それにしても,アスカが碇くんと買い物に来てるなんて,思いもしなかったなぁ。」
レモン色の夏向けのワンピースを手にとって眺めながら、栗色の髪をした少女は笑った。
その声に、すぐ隣にいた「アスカ」と呼ばれた少女も苦笑いを返す。
「アタシだって、ヒカリが鈴原と来てるなんて、意外よ。いつものヒカリだったら、『デート
するなんて、不潔不潔不潔ぅぅぅ!』とかいいそうじゃない?」
「だから、デートなんかじゃなくて、あいつが勝手についてきたんだから!」
ヒカリは栗色の髪を揺らしながら、口を尖らせて反論した。さっきのトウジの話だと、ヒカリが
『ついてきて』と頼んだことになっていた。どちらが本当なのかは判らないが、おそらくは、トウジ
が言ったように、ヒカリが頼んだのだろうとアスカは見当をつけた。
「鈴原は、ヒカリに頼まれたって言ってたけどなぁ・・・・ま、アタシは別にどっちでもいいん
だけどね。」
新しいワンピースを手にとりながら、アスカは余裕の表情でヒカリを軽くあしらう。
言い込められた形のヒカリではあるが、このまま黙っているはずもない。
「ま、アスカがそういうなら、『私が頼んだ』って事にしてあげてもいいけど・・・・それなら、
二人で仲良く服選びをしていたアスカと碇くんは、どう見たって『恋人同士』ってとこよね。」
思いもよらない反撃に、余裕綽々だったアスカが急に狼狽する。
「そんな・・・・アタシはただシンジに服を選んでもらおうと思っただけで」
なぜか慌てたように口を開くアスカの言葉じりにかぶせるように、今度はヒカリが余裕の表情を見せ
ながら言葉を続ける。
「大好きな碇くんの趣味に合わせた服を着たいのね?」
アスカは真っ赤になりながら、黙り込んだ。何も口にはしないが、黙り込んだことと、熱くなった頬が
ヒカリの言葉が図星であることを雄弁に語っていた。
「まったく・・・ほんとうに、判りやすいわよね・・・・・・」
ヒカリは心の中で呟いた。
かく言うヒカリも、はじめはアスカがシンジのことを好きだなんて事は知らなかった。アスカは自分から
口にするほうではないからだ。
だが、人よりはそういう事に鈍いという自覚のあったヒカリでさえ、最近のアスカの様子を見ていれば、
アスカがシンジのことを好きなのだろうということは、察しがついていた。
今となってはその事を知らないのは、当のシンジとトウジだけのようである。クラスのみんなは当然気づ
いているし、シンジとトウジと並んで『3バカトリオ』と呼ばれている、相田ケンスケでさえ気がついてい
るようだ。
アスカがシンジを好きだということを知ったクラスのみんなが疑問に思っているのは、なぜ、アスカがシン
ジを好きになったかということではない。なぜ、アスカがシンジに告白しないのかということであった。
アスカとシンジの様子を見ていると、シンジがアスカの告白を受けないとは思えない。二人は、出会ってから
一年も経っていないとは思えないほどに仲が良いからだ。「あの二人は、もう、付き合ってる」という噂が
立つほどに、仲が良かった。
ヒカリは二人の仲のよさがちょっぴり羨ましくなっていた。その思いをそのまま口にする。
「でも、一緒に服まで選びにくるなんて、アスカと碇くんって本当に仲がいいのね。」
「・・・・・・・・・・わよ。」
アスカはヒカリの言葉を聞いて、苦々しげに何か呟く。
「え?」
周囲の買い物客の喧燥と、アスカ自身の声が小さかったために、ヒカリはアスカが何を言ったのか聞き損ねた。
アスカはヒカリの方を向き、叩き付けるようにワンピースを元の位置に戻した。
「アタシとシンジは、別に仲良くなんかないわよ!」
あまりにも意外な言葉に、ヒカリは呆然と立ち尽くす。
そのヒカリの前に立っているアスカの瞳から、大きな涙が、光をうけながら落ちていった。






アスカが涙をこぼしたその頃。
シンジとトウジは、隣の店にいた。
トウジはさっき、「シンジがアスカに頼りすぎている」といった。そして、頼りすぎるのはあまり良くないといっ
た口振りでもあった。
シンジには、なぜトウジがそう言うのかが理解できない。人に頼るのが悪いとは思えなかった。
「それはな・・・・うーむ・・・つまり、あれや、PHSみたいなもんや。」
「へ?PHS?」
PHSとは言わずと知れた電話のことであるが、それとこれとがどういう関係があるのかはさっぱり判らない。
「PHSってのは、持ってないときは無くてもいいと思うけど、一度持つと、手放せないやろ。」
「そうだけど?」
シンジはまだ、トウジの言いたいことの意味するところが分からない。
「つまり、なんだ、便利なだけに、無くなるとつらいっちゅうことや。」
「???」
シンジはトウジの必死の説明にも関わらず、さらに訳が判らなくなってしまったようだ。
困惑顔のシンジをみて、トウジは苛々したように頭をかきむしる。
「むぅぅぅ!頭わるいから、いい言葉が思いつかへん!」
混乱しまくっているトウジに、シンジが見かねたように声をかけた。
「その・・・・例えで説明しようとするから駄目なんじゃないの?」
「おぉ!そうかそうか!碇センセぇ、頭ええのぉ!」
無理矢理、例えを使って説明しようとしていたトウジは、シンジの言葉を聞いて、救われたかのよう
に顔を明るくした。
「つまりや・・・・」
トウジは、明るくなった顔つきを再び引き締める。普段おちゃらけた表情をしているところしか見て
いないので、シンジは珍しいものでも見るかのような表情になった。人の話を聞く表情としては、かなり
失礼な表情だと思うが、実際にまじめな顔をしたトウジを見る機会など殆ど無いのだから、シンジがそんな
表情をしてしまうのも無理からぬ事なのかもしれない。
しかしトウジは、そんなシンジの表情など見えないかの様に言葉を続けた。
「つまり、碇センセぇと惣流が仲がええのは、結構なことなんやけど、碇センセぇ、惣流がいなくなった時
の事を考えたことあるか?」
「ほへ?いなくなる?」
トウジの言葉は、シンジにとって意外なものであった。あまりに突拍子もないことなので、また間の抜けた返事を
返してしまう。
間の抜けたシンジの返事を聞いて、トウジは自分の予想が的中してしまったことを知った。シンジは、アスカが居
なくなることを忘れているのだ。
トウジがヒカリから聞いた話によると、アスカは日本文化を学ぶためという名目で日本へ来たのだが、その期間は僅
か一年間で、その期間が終了したら大学へ戻るのだそうだ。
もちろんそんな話は、シンジだってアスカから聞いている筈である。だが、シンジはどうやら、その事を忘れてしまっ
ているらしい。
「碇センセぇ。まさか惣流が一年たったら、ドイツにもどるっちゅうこと、忘れてるんやないやろな?」
「あ・・・・・・・・・・・」
シンジもようやく、その事に思いが至ったようである。小さく呟くと共に、その顔から表情が消えた。
シンジはいままで、アスカが居なくなるなんて考えた事も無かった。いつもいつもそばに居て、いつもいつも怒鳴って
いて、いつもいつも偉そうで、いつもいつも笑っていて・・・・・・そんな日々が今まではずっと続いていたし、明日も
明後日も、明々後日も、ずっとずっと続いていくような気がしていた。
「居なくなる・・・・・・・」
小さくその言葉を口にしてみる。
シンジの心に、形容しがたいような、複雑な感情が湧きあがった。悲しさとも違う、不安ともどこか違う、複雑な、一
度も経験したことのない感情であった。
「で、碇センセぇも惣流も、あんまり相手に頼っとると、そんとき困るで。ま、惣流がドイツに戻らんかったら問題ない
わけやけど、そりゃ無いやろうしな。」
シンジの胸に湧き起こる複雑な感情など、トウジに理解できるはずも無い。トウジはぺらぺらと喋り続けるが、シンジ
の頭には一言も入ってこなかった。
何やら不安そうな表情を見せながら考え込んでいるシンジに、トウジは気が付き、シンジの目の前で手を叩いた。
「おい?碇センセぇ?」
「あ・・・・ご、ごめん。聞いてなかった。」
トウジの声にシンジは、我に返ったように頭を上げた。
その様子から、自分の話を聞いていなかったことを見て取ったトウジは、オーバーアクション気味に肩を竦めた。そして、
目を閉じて腕を組みながら偉そうにまた話し始める。
「しゃあないな。特別にもう一度だけ話したる。つまり、ワシの言いたかったことは、あんまり頼りすぎると、相
手が居なくなったときにつらくなる・・・」
そこまで言ってからトウジは目を開けた。
そこには先ほどまでと同様、何やら考え込んでるシンジの姿があった。
「碇センセぇ・・・・・頼むから聞いて・・・・・・・」
「ご、ごめん。聞いてなかった・・・・・」
この後、二人の間で、同様の会話が延々と繰り返されたようだ。






所は変わって隣の店。
ヒカリは、アスカの涙に戸惑っていた。
「アスカ・・・・私、なにか悪いこと言ったかな?」
アスカは手の甲でごしごしと涙を拭きながら、頭を振った。つられて美しい蜂蜜色の髪も左右にゆれる。
ヒカリはアスカが自分で口を開くのを待った。
暫くして落ち着いたのか、手の平で涙を拭ってから、アスカはぽつりぽつりと話し出した。
「アタシ・・・・・シンジと仲良くなりたいのに・・・・・それなのに・・・・」
アスカの話し方だと、シンジとアスカは仲良くないような感じを受ける。ヒカリは驚いた。クラス中の誰が見ても仲がよさそう
な二人であるのにと。ヒカリは思ったことをそのまま口に出した。
「そんなことないよ。アスカと碇くんは仲がいいよ。」
しかしその言葉は、アスカの、小さいが強い口調に遮られた。
「違うの。あれはシンジが優しいだけなの・・・・・シンジがアタシのわがままを、嫌な顔もしないで受け止めてくれるから
・・・・・・ほんとはアタシ・・・・・もっと素直になって・・・・・もっと仲良くなりたいのに・・・・・今日だって
アタシが無理矢理連れ出したのに・・・・・・・・・服を選んでくれたのだって、アタシが頼んだんじゃないの。シンジが
・・・・・・」
やはりアスカとシンジが仲が良くないとは、ヒカリには思えない。ただ、アスカはシンジに対して素直になれない自分に、
情けなさを感じているのだろう。ヒカリはそう思った。
他のことに対しては、物凄く積極的なアスカだけに、つらいに違いない。
だが、いくら面倒見のいいヒカリでも、これだけはどうしようも無かった。これは、アスカが自分で乗り越えるしかない問題
だからだ。
ヒカリにしてやれることは、アスカを励ましてやることだけだった。悔しそうな表情を浮かべているアスカに近づいて、肩を
抱いてやる。
「だいじょぶよ。アスカ。すぐには駄目かもしれないけど、少しづつ、もっともっと碇くんと仲良くなれるよ。」
アスカは小さく肯いた。
「さ、もっと綺麗に涙の後を拭いておかないと、鈴原に笑われるよ?」
アスカはヒカリの差し出したハンカチを受け取って、涙を拭き始めた。
と、『くぅぅ・・・』という情けなくも可愛らしい音が周囲に響き渡った。
しばらくの沈黙の後、ヒカリは口を開いた。
「アスカの・・・・お腹?」
アスカは顔を真っ赤にして肯く。
「やだな、アスカったら・・・・・・」
そう言って、ヒカリは笑い始めた。
「そんなこと言ったって・・・・おなかが空いたんだもん・・・・」
笑い続けるヒカリを見て、アスカはぷくっと頬を膨らませた。
と、今度はヒカリのお腹から、『きゅるるるる・・・・・』という情けない音が響く。
その音に、今まで笑っていたヒカリは、慌ててお腹を押さえた。
その様子がおかしくて、思わずアスカの顔から笑みがこぼれる。
それを見て、ヒカリはにっこりと笑った。
「そうやって笑ってるほうが、アスカらしくていいわよ。」
アスカは、笑って肯いた。






「・・・・とゆうわけで、頼りすぎはいけないって・・・・・碇センセぇ・・・・・頼むから聞いてぇな・・・・・・」
隣の店では、トウジがシンジに、「惣流に頼りすぎるな」ということを言おうとしていた。もう何回目か判らないほどに
繰り返しているにも関わらず、シンジは一回もまともに聞いてはいない。よくトウジが忍耐しているものである。
「トウジ・・・・・」
おもむろに、シンジがトウジに声をかけた。トウジの顔はぱっと明るくなる。
「碇センセぇ!やっと、ワシの言うことを判ってくれたんか!」
「ずっと考えてたんだけどさ・・・・・・・」
どうやら、シンジは、トウジの話などまったく気にもせずに、何かを考えていたようである。自分の話を聞いてくれたわけ
では無いことを知り、当時はがくっと肩を落とした。
そんな様子など気にせずに、シンジは言葉を選びながら話し続けた。
「僕はもしかしたら、心のどこかでアスカを頼りにしてるのかもしれない・・・・・・そうだとしても、アスカがいつか居な
くなるからって・・・・・それを気にして頼らないってのは、変だと思うな・・・・・そうやってアスカに頼ってると、トウ
ジが言ったみたいに・・・・・・アスカが帰るとき・・・辛いのかもしれないけど・・・・・その時は、本当に辛かったらその
時は・・・・」
シンジはそこで言葉を切った。
「その時は?」
トウジは先を促す。」
「その時は、帰らないでって頼んでみる・・・・・」
なかなか大胆な発言である。シンジにはそんな意図はないのだろうが、どう考えても恋人同士の会話である。
だがそんな事にはトウジもシンジも気がつきはしなかった。
「ま、碇センセぇがそう決めたんなら、それもええやろ。でも、帰らないでって頼んでもなぁ・・・・・・むぅ・・・・・・
あの超高飛車な歩く対人地雷金髪女が首を縦に振るとは思えんけどな・・・・・」
トウジは、ジャージの腕をまくってから、腕を組んで考え込む。
「あの・・・超高飛車な歩く対人地雷金髪女って・・・・・」
冷や汗を背中に感じながらシンジは、一人考え込んでいるトウジに聞いた。
トウジが口を開くより先に、シンジの背中から険悪な声がかかった。
「ま・さ・か、このアタシじゃないでしょうね・・・・・・」
後ろに立っていたのは、アスカだった。
「アスカ・・・・・・」
「そ、そうりゅう・・・・・」
まさかそこにアスカが居るなどとは思いもしなかったのだろう。トウジの顔は一気に真っ白くなった。
「あ、あたりまえや。ワシが惣流の悪口を言うわけあらへんやろ。そ、そうや。あれはイインチョ。イインチョのことや。」
おとなしく謝ればいいのに、慌てて弁解をしようとして、再び口を滑らせる。
トウジの背後に、ゆらりと黒い影が立ち上った。
「へぇ・・・・・」
黒い影は、ヒカリそっくりの声でそう言った。
「イ、イインチョ・・・・・」
これ以上は血の気が引かないだろうというほど真っ白な顔でトウジは呟いた。
「じゃ、アスカ、碇くん。また学校でね。」
口をぱくぱくさせながら声も無く立ち尽くすトウジの背後から、黒い影、ヒカリが顔を出して、明るい声でそう言った。
その明るい声に、トウジは急に力を取り戻す。くるっとヒカリの方をむいて、笑いかけた。
「なんや、イインチョ。怒ってないならないってそう言えば・・・・」
そこまで口にしたところで、「バチィィィン!」という音が響き、トウジはずるずると崩れ落ちる。状況から察するに、平手
打ち一発で、ヒカリがトウジを沈めたらしい。
「じゃ、またねぇ!」
ヒカリはにこやかに手を振ってから、トウジの襟元を引きずって、突然の出来事に沈黙している買い物客の間を縫って消えて
いった。
あまりの出来事に、動けなかった買い物客も、一人、また一人と、頭を振りながら自分の買い物へと戻っていく。
「そろそろ、僕達も帰ろうか。」
先にショックから回復したのは、シンジだった。
「そ、そうね。」
その答えを聞いて、シンジは、下りエスカレータの方へと向かっていった。
なぜかアスカは一歩も動かない。
「アスカ?」
アスカがついてこないことに気がついたシンジは、立ち止まって、怪訝そうにアスカに声をかけた。
アスカは下を向いていたが、何かを決意したかのように、ぎゅっとこぶしを握り締める。
素直に「もう少し見て」ということが、難しい。でも、でも。
「シンジ、一緒に、もう少しだけでいいから、服を選ぶの手伝ってくれないかな。」
喉の奥から絞り出すように、アスカは言った。
シンジはその声を聞いて、びっくりした。アスカが誰かに、こんなに素直にものを頼むのを見たのは初めてであった。
アスカは上目がちにシンジの顔をみて、返事を待っている。
シンジは何も言わないで、アスカの方へ歩いてきた。
「駄目かな・・・・・」
アスカは不安になる。
シンジはアスカの隣まで来た。
そして、いつもの優しげな表情を浮かべて。
口が紡ぎ出した言葉は。
「いいよ。」

初めて素直になれたアスカの顔が、今までに見たことが無いほどに輝いた。




終劇

あとがき

やっと終わりました買い物編。この話は辛かったです。
トウジが出てくると辛いんですよね。Laboは生っ粋の関東人なので、
関西弁が良く分からん・・・・・いんちき関西弁を、お許しください。



第壱拾参話は、そのうち公開っ!

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