BEN FOLDS FIVEスペシャル
Another BRICK on the wall
海外雑誌CMJ 1998 March Issueより訳



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Moving Song, Moving Story . . .

実にBenのバイオグラフィーは、絶望、フラストレ−ション、そしてよくカントリ−ソングで見られる"旅心"であふれている。そんな彼は、今の成功に満足しているようで、あまり深くとらえていないようだ。

僕の家族は僕が高校を卒業するまでに15回引っ越しした。僕はその度ガ−ルフレンドを替え、専攻を替え、住む場所・町を替えた。僕は何に対しても一つの所にとどまったり、固執することができなかった。実際僕の高校の担任からも"君はいつも何にも続けられない、すぐやめてしまうヤツだ"と言われたよ。あのクソ野郎のオフィスで泣くほど悔しかった。あの頃物事に対して固執できるなんて全然思わなかった。

僕は20歳の時に結婚*8して5年後離婚した。2度目の結婚もうまくいかなかった。僕はナッシュビル、ミシガンと移り住んで、ツア−でヨ−ロッパを廻った。ロンドンへはガ−ルフレンド*9と一緒に移ったんだけど、どういうわけか彼女より僕が先に到着した。そのすれちがいの結果彼女と別れることにした。そして彼女の母親に離婚することを伝えたんだ。僕にとってこのバンドを続ける事が一番大事ということだ。僕は過去に辞めてやりたいと思ったどんなことよりもこのバンドを辞めたいと思ったよ。このことで何度も腹がたった。僕たちはじっと耐えてこのバンドを続けているんだ。おかしいのは、今まで僕の人生の中で唯一長続きしているのがこのBEN FOLDS FIVEなんだ。」(注:Benはバンドを活動していく上で私生活が犠牲になってしまうこと、成功するにつれて結婚は長く続かなかった事で「バンドを辞めたい」という発言をしたのだと解釈してます。)

Benが音楽で一度挫折したのはそんな昔ではない。彼はナッシュビルをはなれ、1993年ニューヨークに着いた。自分が成功に見放されている事にあせりを感じていたのだ。Benは10代の頃に既にピアノ、クラリネット、ベ−ス、ドラムスを習得した。彼の最初のガ−ルフレンドが(R.E.M.のプロデュ−スを手がけた)Mitch Easterのいとこだった事から、彼はEasterの在籍していたバンド"LET'S ACTIVE"のデモテ−プをこの頃聴いていた。そして次回はREM(のデモテ−プ)を待っていたのだ。早い段階で音楽に慣れ親しみ基盤を築いてからは、次の段階へ進む手段がわからなかったようだ。

ポップミュ−ジックを書いてプレイして成功するミュ−ジシャンになる事。ず−と頭の中で描いていた事なんだけど、断念したんだ。

マンハッタンにあるリ−ガロイヤルホテルでくつろぎながら彼は語った。そばにはめずらしい1978年のElvis Costello
*10のブ−トレッグのLPが置いてあった。部屋はミネラルウォ−タ−とストロベリ−バナナオレンジジュ−スのボトルでちらかっていた。
*8:Benの最初の奥さんはAnna Goodmanで、Benと"Alice Childress""The Last Polka"を共作
*9:Benの二人目の奥さんKateのことで、97年のイギリスツアー後に離婚
*10 Elvis Costello:70年代後半のパンク・ニューウェイヴ時代に登場したミュージシャン。「怒れる若者」の異名を持ち、幅広い音楽活動で現在も活躍。
9歳の時からいつもミュ−ジシャンになることを思い描いていた。Jerry Falwell*11みたいにはなりたくなかったね。僕は『神よ、なぜ僕に才能を与えておきながら僕をオフブロ−ドウェイへ追いやるのですか?』という悲観的なタイプじゃなかったから。でもすごくフラストレ−ションはあった。音楽の神様達に捧げものをしている感じだったよ。

多分音楽の神様にこのときの彼の願いが聞こえてなかったようだ。Benはありとあらゆる事をやった。歌詞を作っている時、andを使うかorを使うかで一晩中苦悶したり、数え切れないほどたくさんのバンドに参加してバンド仲間達に楽器をうまくプレイする方法を伝授したり、彼らがヘマをしたときは彼らを励ましもう一度最初からトライした。


Benはそれからもうあらゆる事に気にかけないようにした。それが逆にうまくいったのだ。彼はレコ−ドオファ−をことわり、マネ−ジャ−や協力しようとした人たちをはねのけた。ミュ−ジカル"Buddy" の雇われセッションメンバ−は彼にとって苦痛以外の何ものでもなかった。

僕が思うに誰でも居場所というものがあるだろ?僕はセッションメンバ−としてやっていきたくなかったのさ。もうこんな事辞めようってすべて放り出した。この頃ビアノもなかったし、レコ−ド契約を取り付けようとした人にもこう言ったんだ。『もう構わないよ。もう何もする気ないし。』ってね。」 


Benはニューヨークを離れ、ノ−スキャロライナに戻りチャペルヒルに家を構え、次に何をしようかと策を巡らしていた。彼は自分の音楽を別の視点からとらえるようになった。この頃登場したLow Barlow*12Liz Phair*13が絶賛を受けていて、彼らの影響によるところが多い。

チャペルヒルに戻ってからは解き放たれた感じがした。僕は死んだも同然と言われてたから。やっと(チャペルヒルで)生き返ったのさ。もうやりたくない事はやらないって決意したんだ。

もしBenが音楽を捨ててたら、チャペルヒルは戻ってきても居心地が悪かったかも。この頃SuperchunkArchers of Loafといったバンドが地元で幅を利かせていたのだ。
*11 Jerry Falwel:バカラックと同じ50年代に活躍したアーティスト
*12 Lou Barlow:(あまり詳しい資料が見つかりませんでした)ローファイ系?
*13 Liz Phair:歌詞がHで話題を集めた。グランジシーンの中で登場した女性ロッカー

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