私は石田課長と面談していました。 入社5年目くらいからは、このとき半期の評価をしてそれがボーナスの額に影響するのは、本編でも触れた
通りです。ですがこのころの私はまだ下っ端。上司との面談は、普段話しにくい自分の希望や不満、個人的事情などを
話し合うために行われていました。
しかし、半年前の面談シートも、そして今回も「今後やってみたいこと」の欄が「インターネット関係、Webデザイン」、
そして実績は、例の開発一つだけです。
「そうだなぁ。この件はなんとかするよう、森川くんにも言っておこうなぁー。ただ、現状では○○さん(sleeping
cat)に頼るしかないんだよ。 この開発が終わったら、できたら、希望にそえるようにしたいと思うから…」
いまいち歯切れの悪い言い方しかしない石田課長。
「おねがいします。」
「一ノ瀬君からも聞いているんだけどね…ん〜」
この人、とにかく人がよいので慕われているのですが、どうも力は弱い。…まぁ石田課長の苦しい立場もよくわかります。強引で下に嫌われるような管理職の方が、ばんばん人を引き抜き、業績もあげていくわけですから。
しかし面談で意思表示しつづけたおかげで、マルチの単発の仕事を手伝うのは認めてもらえました。
その一つ。あるとき、一ノ瀬さんと亜弥さんが二人で一週間休みを取りました。
その間、代理のWeb作成を2日だけやることになったのです。
「だいたい出来ているから」 という亜弥さんの話でしたが、見てびっくり!
噂には聞いていましたが、こんなに酷い仕事をしていたとは。 HTMLのタグの抜けの多いこと!背景だけでなにも表示されないページもあります。
さらに、<TD><hr><Head>とか、大文字小文字がめちゃめちゃです。あ、リンクが切れていると思ったら、またスペルミス。
げ!半角カナ使って書いているよ!使っちゃいけないって知らないの?うわっ、作業用のディレクトリにリンクしてる、これじゃアップしたとき見れないじゃん!亜弥さん、いつもこんな仕事してるの?
そんなこんなで直しているうちに「デザイン変更してほしい」との電話が。しかも亜弥さんのいない今週中に!
「亜弥さんのデザイン、別のサイトのやつそのままで、それでいいはずだったんですけど、
『これじゃ同じだ』って上の人が怒っちゃったみたいで。○○さん、やってくれませんか?」
マルチの新人君−小倉君に泣きつかれて、私が全部作り直すことに。しかしこのときの私、
亜弥さんに頭にきていたせいで、意地になってました。
「亜弥さんはイラスト集の真似の絵しかかけないけど、
私はオリジナルがある!」と、時間もないのに、全部自分の絵で描いてしまいました。自分の実力を見せるチャンスだと思って。
その結果。かなり見苦しいものになってしまったのです。そのデザインでOKは出て、お客さんにも
喜んでもらえたのですが、自分では納得がいきませんでした。
その後数年、そのホームページをみるたび、恥ずかしくなったものです。
『自己流じゃ、だめかもしれない』と始めて思った出来事でした。
それでも私は、亜弥さんよりはましだという気持ちがありました。
「インターネット課では、Webデザインの人を増やす予定はないんでしょうか」
下山さんに聞くと、
「デザインの人は増やさないと思うよ。もう亜弥ちゃんがいるしね」
いえ、その、亜弥さんの代わりに私が入りたいんですよ…もっともそう言ったらカオリさんには
「無理だよ〜」と笑われましたが。当たり前です。
「ネットワークの技術持っている人や、 インターネットの技術的なことがわかる人は増やすと思うけどね。今後必要になってくるのはそういう人だよ。」
そうか。じゃぁ、亜弥さんに差をつけるためには…
「……下山さん、私、もっとインターネットの事勉強したいです」
「なんで?○○さんの仕事、インターネット関係ないじゃない。」
脳天気な下山さんの言葉は、つきささります。
「でも…、わかった方がいいと思うんです」
すると、下山さんは一冊の本を差し出しました。
「じゃ、これ読んでみたら?インターネットの基本的なことが書いてあるよ」
それは、名著(とは会社辞めてから知りました)『bit別冊 インターネット参加の手引き(WIDE
project編)1994年版*』でした。
さっそく、読んでみました。
わ、わからない。全然理解できませんでした。なんとかして書いてある語句の意味をつかもうと
しました。それでもだめでした。読めば読む程、混乱が深まるばかり。 読むことすらできない。
無理もありません。私はネットワークを全然知りませんでした。 IPアドレス?ネームサービス?ゲートウェイ?プロトコル?物理層?
何、何、何のこと??図でいろいろ書かれていても、ちっともイメージできない。
私、何も知らないんだ……Webデザインはできるし、自宅からダイアルアップもできるんです(マニュアル通
りですから)。でもそれだけ。……これでも、多少詳しいつもりだったのに。
「下山さん、ありがとうございました」 敗北感とともに本を返しに行きました。
「あれ?もっと借りててもよかったのに。もういいの?」
「はい。だって、全然わからないんです…」
「え?わからない?これが?…うーん、そうか。これがわからないか」
下山さんは苦笑しました。
急にマルチのメンバーが遠く感じられました。 私、ここでご飯食べたりして、皆と近いつもりでいたけど、
あの本の内容すらわからないようじゃ、とてもじゃないけど仲間になれない!亜弥さんを馬鹿になんてできない。
もっと勉強しなきゃ。 でも、どうやって?下山さんに借りた本には、UNIXのことばかり書いていた。
やっぱりUNIXを覚えなきゃ駄目なのかな。
*この本、先日ひさしぶりに読みました。いまになって、良い本だと言われる理由がよくわかりました。
それにしても、初心者にすすめるには難しすぎるとやっぱり思います。
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