ロフト平野悠の喜怒哀楽による
撹乱しまくり(いつものパターン(激藁))を
永久保全するコーナー(噴飯)


 

「ロフト平野悠」

 本名平野悠。ロフトグループの創始者であり、現在は(株)ロフトプロジェクト社長&ロフトプラスワン席亭&「おじさんの部屋」管理人。その波乱万丈の半生は、処女作「旅人の唄を聞いてくれ」、またmusic-man.netのインタビューでたっぷりと読むことができます。

(「小倉あやまれ友の会」サイトより引用)

 

 …という平野悠ですが、その正体は、接した人ならば誰にでも分かりやすい、ただのメチャクチャな人です。
 そのメチャクチャさに惹かれる人は少なくないですし、実際にロフトやロフトプラスワンがビジネスとしても音楽・サブカルの拠点としても成功したのはそういう彼のバイタリティによるところが大でしょう。

 しかし、そのメチャクチャさが真剣政治の場に持ち込まれるとどうなるのか。

 この9・2では、その否定面が全面開花したものだった、と言うことができるわけです。

 以下、すべてを詳細に検討すると膨大な量になってしまうので(藁)、ダイジェストで事件を列挙します。
 これらの事項すべてについて、我々の元には詳細な証拠ログ・資料がありますが、読み易さを考え「大胆な要約」となってしまうことをお詫びしなければなりません。ま、実物見りゃ検証なんかしなくてもすぐわかるんですが。(激藁)

(1)焚火派掲示板で、自らがさんざん罵倒していた「匿名での悪罵投げつけ」を最低最悪な形で展開した事件

 我々の中でも今回最前線で闘った焚火派の掲示板に平野が闖入、

>相変わらずの左翼ゴロの諸君 投稿者:kkasi

 というタイトルで焚火派を罵倒しまくった挙句「おまえらは集会に来るな!」と宣告した、という事件。
 平野はそれまで、自らの掲示板で「匿名は卑怯だ!名を名乗れ!」とさんざんのたまってきた。
 さらに、平野が実質上主宰してきたマスメディア告発運動「小倉あやまれ友の会」で闘われた8・5〜6青森ねぶた闘争を主軸で担ったのは、まさに「左翼ゴロ」と決めつけた相手である焚火派そのもの
 この書き込みが平野本人のものであることは、IPアドレスから簡単に暴かれ、平野は一転して「すべて悪かった」と坊主懺悔に走った。もちろん焚火派は「そのような反省では意味がない」と引き続き糾弾したが、平野は影で「ストーカーだ」などと文句を垂れているとの噂。

(2)小西誠さんにフリマ出店をけしかけ吉岡忍が怒る事件

 既に自ら掲示板で認めているとおり、小西誠さんに「フリマに出店して、宮崎スパイ問題暴露本を売ってくれ」と持ちかけたのは平野である。しかし、宮崎学糾察を極めて原則的な立場から呼び掛け続けてきた小西さんがこれをきっかけに実行委への参加を求めたことで、一部の9・2事務局メンバーがこれに反発、吉岡忍や「創」編集長篠田ら「小西が来たことで新左翼党派の論理が持ち込まれ、運動はめちゃくちゃになってしまう」などと公言するキッカケとなった。(※9/18一部取消・詳細は→お詫びと訂正#2

(3)「小倉あやまれ友の会」に9・2集会への結集を呼びかけたマッチポンプ事件

 9・2集会に大橋巨泉氏が出演することが判明したが、当時闘争を継続していた「小倉あやまれ友の会」では、“敵”である小倉智昭キャスターが大橋巨泉事務所の所属であることから、集会に結集し大橋巨泉氏に会場で質問をする、という方針を打ち立てた。
 もちろん、
これをけしかけたのは他ならぬ平野。
 しかしその後、元Web現代編集長の元木にこれをなじられ、あわてた平野は以前より進められていたフジテレビとの秘密交渉を取り急ぎ、急遽妥結して「友の会」を解散させてしまい、これを防ぐハメになった。これも集会後、自ら掲示板で告白している。

(4)集会当日、会場・警備責任者でありながら我々に「やれ」とヤジ攻撃を「指令」した事件

 集会当日、我々は宮崎の欠席を会場入場時に察知したが(事務局吉田が漏らしただけだが(笑))、我々は宮崎が登場しなかったということを一定の成果と確認しつつ、過度の行動は控えるように意志一致した(ただし我々は「一枚岩」ではないので単パネする人はいたかも知れないが(爆))。これに対し、会場・警備責任者だった平野が「おまえらもやれ!」と自らヤジを煽動した、というもの。
 当日、我々の(一部の)メット姿と革マル派他のヤジを混同した上で不快感を覚えた出演者・参加者は少なくなかったと正直思うが(爆)、実はそれを「演出」していたのは平野、という見方すらできるのである。
 なお、このあたりの詳細は有田芳生氏とのやりとりに記述されているが、これについても平野は掲示板で「諸君らが『やっていいか?』と尋ねてきたので許可したのだ」と200%のデマを言い、我々の糾弾を浴びるや「認めりゃいいんでしょ」といわんばかりの投げやりな態度で虚偽だったことを認めるという有り様だった。

(5)集会当日の暴言の数々

 当日、会場内で平野の喜怒哀楽の声を耳にした人は多い。
 「ちっとも楽しくないよ」「疲れるだけだ」と文句を言ったかと思えば、フリマ売店が呉越同舟で成功(我々の仲間と宮崎信者グループが同じテント内で仲良く物販(笑))したことを自慢して回ったり、そもそも宮崎糾察で集会が中断したことすら喜んでいたり。
 さらには自ら推薦して無理矢理総合司会にねじ込んだいずみさんのことを「女ストーカー」「キチガイ」「まるで宅八郎だ」などと言いふらし、挙句の果ては「いいんだよ(客)入んなくたって。モトは取れてるんだから」とまで言う始末。
 もちろん、これらは単に「言葉というものにとことん無責任」「自分の意見を貫くという習慣がまるでない」という平野の性格を示したものに過ぎないと言えばそれまでだが、最後の発言はコトによっては重大な問題になり得るもの。事務局は、きっちりと入場者数とチケット売り上げ枚数(もちろん前売・当日を分けて)を決算とともに公表すべきだろう。

(6)集会後、「祭の後の脱力状態」でさらに暴言吐きまくり

 以上でもいくつか引用してきたが、集会後の掲示板ではますますメチャクチャな公言を多発させている。

とてもこの集会を成功させたという充実感もなく、打ち上げにも乾杯にも
参加(集会のあとかたづけでそんな時間はなかったし・・・ばかやろ〜そん
な暇があったら後かたづけをみんなで手伝え!って思っていた)する気もな
く、2次会にも行かず、ビデオ機材やその他諸々のものを事務所に運びこむ。

考えて見ればわたしゃもう57歳。このど素人集団の集会の会場陣頭指揮
をとるには無理があったと後悔の連続。
(いつものロフトのイベントであったらイベンターを入れて、わたしゃ気楽
なもんだったが・・)資金の都合上私がやるはめになった。

昔の全共闘系集会、あるいはプラスワンで何度も繰り返されている「ロシア
革命前夜の雰囲気・・・ものすごい熱気と言うか・・・わ〜っこれから新し
い時代が始まるんだという予感」事の再現を期待していたのかも知れません。

責任なんてあなた方にもないと思うよ。
有田板での釈明はやめた方がいいと思う。

そうでなくてもこの「混沌とした不確定な時代」では誰も謝る必要は
ないと思うのだが・・・。

…もはや完全無責任体制、逃避モードに入っているということなのだろう。

 これらのことを並列してみてわかることは、平野はいつも「煽って撹乱して、最後の最後にはしごを外す」という「外道」なやり口を常としていることです。
 そして今回の9・2のような真剣政治の場で自らが責任ある立場になると、はしごを外すだけでなく自ら「煽られた奴」に冷や水をかけに行かねばならない事態に追い込まれたのだ、と言えるでしょう。

 そしてこの期に及んでもまだ平野は、宮崎のことばかり想っているようです。

 ま、確実に平野は宮崎には使い捨てにされるだろう、と我々は見てますが、自己責任でどうぞどうぞ。

 そして我々のうちの焚火派は、少なくとも侮辱書き込みの件で真摯な謝罪があるまで、平野に対しては徹底的に「あやまれ」運動を闘い続けることもまた間違いないのです。

 


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