その2 社内ネットワーク黎明

 入社して半年くらい経過した、ある日のこと。
 回覧が回ってきました。

「社内ネットワーク 開設のお知らせ」

 あら、この人たちは…一ノ瀬さんと下山さん、事務の智恵子さんの名前がありました。 事務の智恵子さんは別の部で良く知りませんが、一ノ瀬さんと下山さんは隣のシステム3課。 3課と4課はなにかと交流があるので知っています。一ノ瀬さんはバリバリ 仕事をするタイプ、きりっとした30代なかばの男性。ちょっと近付きがたい怖そうな雰囲気がある。 一方の下山さんは、親しみのあるとぼけたキャラクターで、年代を問わず社員に人気のある、 20代後半の男性。 あまり人と打ち解けられない私でも、下山さんとは気軽に話せました。
  この人たちが何かを始めようとしている…?

 この頃はイントラネットという言葉が登場するよりはるか前です。一ノ瀬さん達はすでにこのとき、社内ネットワーク(要はイントラネット)の 必要性を感じ、構築に着手したというわけ。システム3課は大学関係や 通 信サービス業の担当なので、ネットワーク関連の技術は社内でも最先端のものを持っていたのです。
  ですが私にとっては、いくらその回覧を見ても、全然理解できません。ネットワーク、 なにそれ?パソコンとパソコンが繋ぐ?一体どうやって?NIFTYみたいな もの?
  理解はできませんでしたが、末尾の一行に目が止まりました。

「なお、社内ネットワークワキンググループではスタッフを募集して います。協力していただける方、大歓迎です!」

  …思えば、この回覧が私の人生を変えました。大袈裟ではありません。本当です。

 「なんだか面白そうだ!」と思った私は、一ノ瀬さんはちょっと怖いので、 下山さんに声をかけました。
「社内ネットワークのワーキンググループ(以下WG)、私も加えて下さい」
こうして私は、社内ネットのWGの一員となりました。WGは、一ノ瀬さん、下山さん、 智恵子さん、システム3課で一ノ瀬さんと一緒に仕事していたカオリさん、 そして私の5人。
  この社内ネットWG、驚いたことに一ノ瀬さんが社長にかけあって始めることになったものなのだそうです。 社内インフラの整備、これからの時代には絶対必要です!先行してやるべきだ!と説得したのだ そうです。社長は研究者肌の人だったから、大いに共感してOKがでたとか。 社内ネット用のパソコンの導入、機器の増設、お金がなければできないことですからね。
  いま思い返しても、一ノ瀬さん、ものすごく先見の明がある人です。

 さて…WGはボランティアなので、仕事中は進められません。 毎日夕方、タイムカードを押してから席に戻り、私たちは作業しました。 マニュアルづくり、システムの動作確認。日付けが変わるころまで会社にいました。
 でも楽しかった。
私は初めてメールやネットニュースの存在を知りました。 NIFTYのような課金もなし、電話回線をつながなくてもネットワークに繋がっていれば、 どこでも同じようにメールを出せるなんて。 もっとも、そのころはようやくWindows 3.1が出てきたあたり。 OutlookだのNetscapeだの、もちろんありません。 メールやニュースは、UNIXのサーバにログインしてemacsというエディタ上で 読んだり書いたりするしくみでした。 emacsのキーボードの使い方がちょっと特殊で、マニュアル作成は本当に大変でした。

 数カ月後。 社内ネットワークは稼動をスタートしました。 社長が利用を推進するよう会議で発言したこともあり、最初は戸惑っていた 社員も、だんだん使うようになりました。
 私はといえば、もうメーリングリストに入るわ、ネットニュースで発言するわ、 ネットが使えるようになってから、毎日が楽しくてしかたありません。 使いこなしていたとはとても言えませんが、ネットの社会でいろいろ勉強させて もらいました。

 そんな私の本来の仕事は、あいかわらず、アプリケーションのサポートです。
ネットワークも関係ないし、Windowsの登場で世間が騒いでいても、 私の仕事には関係ありませんでした。 なにせMS OS/2ですから。
  社内ネットワークWGの仕事は、最初はボランティアでしたが、浸透するにつれ 「仕事」として認められるようになりました。 これも社長のお陰です。当時の私の上司、石田課長にも、一ノ瀬さんがうまく言ってくれました。
「ただし、現在の業務に支障のない程度で、だよ」
 石田課長には何度も念を押されました。それはそうでしょう。そうでしょうけど…

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