昭和42年7月8日から9日にかけて、台風第7号くずれの低気圧が西日本に停滞していた低気圧を刺激して、近畿地方以西の西日本各地に局地的な集中豪雨をもたらしました。当時私は大学1年生、阪急西灘駅(現・王子公園駅)近くに所用があり阪神尼崎から今津線経由で行こうとしましたが阪急電車は不通。しかも阪神は大石まででストップ。豪雨の中歩いて目的地まで行きました。 ハーブ園からの神戸市街 特に新神戸駅の北方、布引谷上流の市ケ原では、世継山の山肌を削り取って斜面に造成されたゴルフ場が長さ140メートル、幅40メートルにわたって大規模な斜面崩壊を起し、山麓に住む21人が避難していた集会所もろとも生き埋めになりました。この災害が契機となって急傾斜地対策として「急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律(急傾斜地法)」が制定されたそうです。天狗道経由で摩耶山に登るとき市ガ原の災害の跡地を通りますが、いつも昭和42年のことを思い出します。 ハーブ園で見かけた花々 |
市ガ原側から望むハーブ園 用件を済ませ帰ろうとしましたが阪急は路盤が流され不通、国鉄灘駅まで下ったものの国鉄も不通、それでは阪神電車でと国鉄灘駅の南側に出たら駅前から阪神岩屋駅にかけての道路は濁流の川状態で近づけず。その日は阪急電車が車内を開放してくれて車内泊でした。 この集中豪雨の被害は大きく神戸で約100名の方が死亡又は行方不明となり昭和13年阪神大水害についで42年水害と言われています。 世継山ゴルフ場の跡地を神戸市が「布引ハーブ園」として整備しました。ここは神戸の観光スポットの一つになっていますが、昭和42年の出来事を知っている人は少ないことと思います。先日、ぶらりとハーブ園を訪れてみました。ラベンダーをはじめ美しく香り高い花々に彩られていましたが、私には鎮魂の花園に思えます。 |