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宮崎「スパイ」問題

(敬称略)

01/10/09現在




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1999年
8月
今回流出している内部資料が「噂の真相」誌に持ち込まれるもなぜか出版されず
2001年
3月
「別冊宝島Real・公安アンダーワールド」(宝島社)出版
「誰もが知っている超有名文化人」 が、1995年2月21日に銀座のちゃんこ鍋屋で公安調査官と歓談し、秘密情報を「べらべらしゃべりまくった」との記述。
4月

市民運動家の角田富夫、同書を読んで元公調キャリア野田敬生に連絡を取り、「超有名文化人」が宮崎学であり、また同書に登場する「公調協力者の弁護士」が三島浩司であることを確認
角田、内部資料を入手し、いくつかの市民運動・社会運動の関係者に対しこれを手渡しての検討を依頼

5月? 宮崎学、O弁護士から同資料を入手
5月上旬 中核派、宮崎との討論を開始、宮崎に対し自己批判要求を行う(と後の中核派自身の発表により判明)
宮崎は当初嫌疑を否定
5月5日

宮崎学サイトでこの問題に関しての文章が公開される
内容はほとんどなく、事実関係を曖昧にしたまま運動圏への居直りを公言したも同然

5月8日

メルマガ「サイバッチ!」で「有名文化人とは宮崎学のことだ、という噂が党派周辺に広がっている」と報告される

5月下旬 宮崎、運動圏での「居場所」を捨て、白川勝彦率いる新党から参院選立候補=制度圏政治への逃げ込みを決意
「宮崎学を出馬させる勝手連」結成を自ら画策
※宮崎はこれまで「政治家は汚い奴、自分はそんなもの絶対にしない」と公言してきており、「自ら立候補する」訳にいかなかったための「勝手連」自作自演だと考えられる
6月10日 2ちゃんねるになぜか突然「宮崎学立候補らしいぞ」スレッドができる
6月13日 ロフトプラスワン平野悠による「突破者出馬せよ、魅惑の勝手連」サイトが突然オープン
6月中旬 「魅惑の勝手連」サイト内の掲示板で、宮崎「スパイ」問題に関しての討論が行われる
この過程で、「宮崎さんの言うことはすべて正しい」という前提でしか議論を行わない、いわゆる「宮崎信者」が多数出現
6月24日 野田敬生、自身のメルマガ「ESPIO!」で「「超有名文化人」とは宮崎学である」と初めて公の場で断定
6月26日 メルマガ「サイバッチ!」公式サイトで、公調報告書の一部の画像が公開される
6月27日 ロフトプラスワンで、事実上「宮崎学による釈明」となるトークイベントが開催される
当初は『参議院選前緊急企画「政党は何を考えているか?」』という企画だったものが直前に急遽変更のため客足伸びず
この中で宮崎、「オウム信者を被逮捕から逃させるために公調と3回会った」と事実関係の一部を認めた上で「道義的に悪いといわれればその通り、すべて被る」と坊主懺悔し、「取引をした相手は誰で、どういう取引をしたかということは墓場まで持っていかなくてはいけないことだ」と詳細を一切明かさないことを宣言。挙句の果ては「清く正しく美しくあったことなんて一度もありません」と完全に開き直る
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6月30日 電脳突破党「党大会」開催
宮崎、「私は叩けばホコリの出る人間だ。こんな人間でも政治的発言が許される」として立候補表明
感動して落涙する宮崎信者多数
6月26日 メルマガ「サイバッチ!」公式サイトで、公安調査官と宮崎の会話を録音したテープの音声が公開される
7月中旬 中核派、宮崎との討論を通じ、宮崎の「謝罪」を「口先だけのもので信用できない」と判断(と後の中核派自身の発表により判明)
7月30日 参院選結果判明 宮崎、15,624票で大惨敗
白川新党も1議席も獲得できず敗北
※宮崎は、白川1人が当選すれば、その勢いで白川が次期衆院選に出馬し、自らが繰り上げ当選になることを狙っていた模様
8月5日 ブント(SENKI派)の政治集会「グラン・ワークショップ」に宮崎が出演、「スパイ」問題での事実上の開き直りを公言
※この集会の開催にあたり、SENKI派幹部が、「スパイ」問題糾弾に関わる某市民運動家の元に「この問題が表面化する前に出演を決めてしまったので今回だけは勘弁して欲しい」と謎の申し入れをしていた模様
8月5日

革労協(解放派)現代社グループ、機関紙「解放」上で「スパイ問題の究明は必要」としつつも「一連の件は権力・右翼・革マル・ファシストの謀略」と断定

8月上旬 中核派、「宮崎自身の思想問題にまで深めた全面的自己批判の表明」「一切の大衆運動から身を引くこと」を最後に要求し、関係の決別を通告(と後の中核派自身の発表により判明)
8月上旬 宮崎、9・2「個人情報保護法案をぶっ飛ばせ!2001人集会」にSENKI派への100人単位の動員を依頼、との情報がネット上を流れる
8月15日

電脳突破党解散
宮崎、「スパイ」問題についてさらにトーンダウンした声明を発表
運動圏からの退却を匂わせる

8月17日 社会批評社より、問題の資料全文を写真製版で掲載した書籍「公安調査庁スパイ工作集」発売の案内が配信される
8月24日 市民運動家富永さとる、amlにて、9・2集会に関して宮崎問題への実行委の見解を問う発言
同集会に出演予定だった、aml主宰者の小倉利丸、これに対し理由を明かさずに「私は欠席します」との表明
8月25日

社会批評社が、9・2実行委員会への団体参加を拒否される
詳細はこちら

8月26日

実行委吉岡忍、「市民の意見30」の集会にビラ置きに現れ、「小西が来たことでこの集会が左翼の党派闘争に利用されてしまう。これでは運動が広がらない」などと暴言

8月27日

中核派、機関紙「前進」でこの間の経緯、宮崎に対する態度などを全面的に表明

この間

各掲示板でこの問題をめぐる議論が噴出
宮崎信者、「左翼は排除されて当然」「腕に覚えのある人、警備係になりませんか」など多数の暴言・挑発

8月29日 「宮崎学「スパイ」問題を糾察する会」結成
9月1日 在日外国人有志他が、9・2実行委に対し、宮崎問題での見解を求める公開質問状を提出

9月2日

9・2集会
宮崎学は欠席
「糾察する会」をはじめとする有志、革マル派、その他の人々が各々独自に糾弾行動をとる

9月5日 宮崎、公式サイトに、欠席を開き直り、味岡=三上(元ブント叛旗派)を絶賛する文章を掲載
9月5日 革マル派、機関紙「解放」で宮崎問題に絡めて中核派を非難する論文を発表
9月5日

ブント(SENKI派)、機関紙「SENKI」で事実上宮崎を擁護する記事を発表

9月7日 雑誌「創」10月号発売
野田敬生氏が文章の真正性を証明すべく、「今回の公調秘密文章に関わる工作に自らが直接関与していた」と事実関係を暴露

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9月7日 「糾察する会」から実行委に対して公開質問状提出
団体参加を拒否された2団体から実行委に対して公開質問状提出
事務局國貞、実行委MLに、これらへの木で鼻をくくったような揶揄を投稿
9月10日 「糾察する会」他から実行委に対して公開質問状提出
事務局國貞、これを受理したかどうかを一切連絡せず
9月10日 ロフトプラスワンで野田敬生氏イベント
「宮崎は公調と最低でも5回、恐らくは10回近く会っている」「自らが『かくまった』のオウム信者、川本から宮崎は2000万円引っ張って、そのことが原因で宮崎と三島は仲違い」「宮崎は公調関係者と少なくとも2000年10月までは会っていた。もしかすると野田逮捕時に宮崎が暗躍していた可能性もある」「宮崎が協力者だった理由は恐らく金」など新事実提示多数
9月11日 「糾察する会」他5団体・17個人の賛同で実行委に対して改めて公開質問状提出
9月11日 実行委総括会議
唯一確認事項は「実行委は9・2で解散している」!?!?!?
有料入場者実数は1,300名だったと報告
4状の公開質問状に対し「解散しているので返答の必要なし」との声多数

ロフト平野、「集会は成功」の声の多さに天邪鬼全開、「9・2は文化人のお遊び」「100万円以上の黒字は闘う若い人たちにでも寄付した方がマシ」などと発言
平野や國貞の発案により、質問状への返答案を橋本克彦氏(ノンフィクション作家)が執筆することに
9月12日

「週刊新潮」発売
「中核派に「公安のスパイ」と糾弾されたキツネ目「宮崎学」の内ゲバ騒動」
宮崎学の居直りコメントが掲載される

9月12日

ロフトプラスワンで「サイバーアクション」出版記念イベント
ロフト平野「(9・2実の黒字100数十万円は)焚火派でもなんでも、若い人に寄付した方がよい」と発言するも、焚火派メンバーから「そんな金いらねえよ!」とヤジ

9月13日 宮崎、公式サイトで「週刊新潮」記事に居直り
9月15日 9・2実行委メーリングリストで、平野・國貞がバトル展開
9月20日 「9・20司法改悪に反対する弁護士・学者・労働者・民衆の集い」に、革マル派系と思われる「公安調査庁のスパイを許さない市民の会」がビラ撒き
9月?

これまで幾度となく「2人3脚」で宮崎と行動をともにしてきた、管理職ユニオン書記長設楽清嗣氏(元赤色戦線・空港三月開港阻止首都圏労働者現地行動調整委員会)が、某労組の支援会議の席上で「これまで宮崎がスパイだとは知らなかった。自分が支援に引き入れてしまっていた。すまなかった」と自己批判

9月下旬 革マル派系と思われる「公調のスパイを許さない市民の会」が、写真入り豪華16ページのパンフを制作、各方面に郵送
連絡先住所は大阪府豊中市だが、なぜか消印は東京日本橋局
9月24日 代々木公園で「テロにも報復戦争にも反対!市民緊急行動」開催
革マル派が宮崎問題を追及するビラ撒き
ブント(SENKI派)、宮崎の写真入りの宣伝ビラを撒き、革マル派に絡まれる
10月4日 ロフトプラスワンで宮崎・三上の定例トークイベント開催。宮崎、6月27日の「3回しか会っていない」という弁明がウソだったことなどを堂々と認めて完全に開き直る(速報レポート続報レポート
10月7日 宮下公園(渋谷)で「テロにも報復戦争にも反対!市民緊急行動」開催
ブント(SENKI派)幹部高倉氏、宮崎との関係の事実上の絶縁を公言

 


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