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四季のスケッチ すてきに神戸TopPage

8 June 2004
木々の街角(2)
 私のマンションの東隣は道路を隔てて市立港島小学校です。三木市に住んでいたころ、家の近所に三樹(さんじゅ)小学校という学校があるのにもかかわらず、小さな川をへだてて合併された旧久留美村の区域内に家があったため、子供たちは20分ほどの距離にある平田小学校に通っていました。 こちらに転居して一番喜んだのは子供たちでした。道路を隔てて家の隣に学校があるのですから。
 今から20年ほど前のことでしたが、当時はこのポートアイランドには若い世代が多かったのか子供たちがたくさんいて、この港島小学校は、市内でも有数のマンモス校でした。私の子供の転入手続きのとき、職員室で歓声があがったのですが、学年で1人増えたため1クラス増え、先生1人当たりの生徒数が減るからでした。


錦秋のケヤキ並木(港島小学校前)

緑のトンネルのケヤキ並木(港島小学校前)


 ところで、この小学校前の道路にはケヤキが植樹されています。数百mにわたって植えられているのですが、夏は涼しげな緑のトンネルとなります。秋になるといっせいに色づくのですが見応えのあるもので、紅葉の名所の一つになっています。
 ケヤキは、ニレ科の落葉高木。冬になって葉を落とすと箒を逆さにしたような、ケヤキ特有の端正な樹形がよくわかります。枝振りが美しいことから街路樹としてよく植えられています。三宮の花時計から大丸に至るケヤキ並木は旧居留地の佇まいにマッチして美しい街路樹だと思います。




Posted by Kenji Kato at 12:16 AM KDT
Updated: 8 June 2004 12:37 AM KDT
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7 June 2004
木々の街角(1)
 左右の写真は「山手幹線」。神戸市の山手を東は芦屋市境の森北町から発し、兵庫県庁を経由して西は長田区まで東西に横切る幹線道路です。写真の場所は灘区高徳町、石屋川の少し西側です。東灘区の区間は主にユリノキ、トウカエデが多く街路樹として植樹されていますが、石屋川を越えると歩道にはプラタナスが多く植樹され、どのプラタナスも幹が太くなって歴史を感じます。昔、ここを石屋川車庫から三宮方面行きの市電が走っていましたが、その線路敷跡の中央分離帯にはイチョウを中心として植えられています。


山手幹線(兵庫県庁)

山手幹線(灘区高徳町)

 中央区に入ると歩道にはプラタナス、中央分離帯にはクスノキという構成がメインになります。兵庫区、長田区ではイチョウがメインです。中央区には湊川神社があり、その北側を通過する関係もあって中央区内はクスノキにしているのでしょうか。同じ「山手幹線」にあって街路樹に変化があるのが面白いと思います。
最近、街を歩きながら街路樹に目をやるとこれまで見過ごしてきたことに気がつくことが多くなりました。そんなときの印象をスケッチしていきたいと思っています。


Posted by Kenji Kato at 12:50 AM KDT
Updated: 7 June 2004 9:36 PM KDT
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5 June 2004
護衛艦・体験乗船

護衛艦の編隊航行(淡路島・津名港沖)
 海上自衛隊呉地方隊創設50周年を記念しての展示訓練が淡路島津名沖の海上で行われ、参加艦艇「あけぼの」に体験乗船する機会を得ました。「展示訓練」というのは呉警備区に在籍する艦艇・航空機を動員して日頃の訓練の成果を国民に展示(紹介)する行事。護衛艦等編隊航行、掃海艇航行、航空機の編隊飛行などが実施されました。
 三男が海上自衛隊所属であるため招待乗船できました。神戸港、大阪港から護衛艦が10隻。私は家内と神戸港から「あけぼの」4,550トンに乗船。津名港沖合いに向かいました。艦内ではブリッジも開放しての船内説明や行事があり国民理解のために乗員が丁寧に対応していました。
 テキパキと船内で行動する初々しい乗員を見ていると、三男とだぶって見えるのは無理からぬことかもしれません。





 ところで、当の三男は潜水艦勤務の希望が叶えられず航空要員に。防衛大卒業後、江田島の幹部候補生学校を経て下関市の小月教育航空基地で練習機T-5で飛行訓練を受けていましたが、先月から下総航空基地に。ここで2年間、哨戒機P-3Cの戦術航空士になるための訓練だそうです。部隊配属までたいそう年数のかかるものです。立派な戦術航空士に成長し国家防衛の重責を担っていけるよう祈るのみです。そのP-3Cも展示飛行で2機参加していました。


哨戒機P-3C

Posted by Kenji Kato at 7:11 PM KDT
Updated: 6 June 2004 12:17 AM KDT
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須磨海岸

黄昏の須磨海岸



 須磨の保養所で、前の職場関係の歓送迎会があり久しぶりにJR須磨駅に降り立ちました。少し時間があるので海岸を散歩しました。須磨海岸は私の大好きなスポットで、海岸を毎日散歩できたらと、三木市から神戸への転居を考えていた時に、関守町の家を買い取る契約の手はずまで整っていました。しかし、土地関係に問題があって急遽取りやめた経緯があります。
 靴底に感じる砂浜の感触、打ち寄せる波のリズミカルな音、夕陽にまぶしく輝く水面、漁船の静かな佇まい。波と戯れる子供たち。思い出深き縁の地、須磨海岸。引越し先がポートアイランドでなく須磨だったら釣り好きな子供たちはさぞ毎日海岸で遊んだことだろうと思います。

Posted by Kenji Kato at 2:08 AM KDT
Updated: 5 June 2004 2:16 AM KDT
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3 June 2004
バスルーム・リニューアル
 明日からの給排水管の敷替工事に先立ち、バスルームのリニューアルを実施しました。1981年から20数年経ってお風呂も相当傷んでおり、壁のパネルも下の方が腐食していました。他のお宅は大半がすでにリニューアルしており我が家だけが元のままでした。一日かかって工事をしていましたが、立派なお風呂に生まれ変わりました。将来に備えて手すりも付けてもらいました。早速、と思いましたが、コーキングしたのが乾いてないので明日にお預けということでした。



リニューアルなったバスルーム

工事中

長い間ご苦労さま

Posted by Kenji Kato at 12:20 AM KDT
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2 June 2004
ナースキャップ
 6月1日からスタートした市民病院のもう一つのニュースは、看護師の姿が消えた?こと。看護師のナースキャップを 廃止したので一見看護師がいなくなったような錯覚をします。この職場に来るまで知らなかったのですが、ネットで調べるとナースキャップについては、賛否両論いろいろ議論があったらしいです。
<廃止賛成派の声>
・キャップが点滴のチューブやカーテンに引っかかり患者さんの安全上問題
・キャップが細菌の感染源となるおそれ
 (コーンスターチで固めていて頻繁には洗濯しないから)
・ナースのイメージだけでは意味がない
・ナースの象徴として「らしさ」をもとめるのはおかしい
・髪にピンで同じところを固定するため髪を引っ張り禿げる
・キャップをする時間が不要となり着替えが早くなる
・プロとして自信をもってやればキャップは不要、等々



写真出典:(左)
      豊橋ケーブルネットワーク「ティーズ」
      http://www.tees.ne.jp
     (右)
      大阪厚生年金看護専門学校
      http://www.kjp.or.jp

<廃止反対派の声>
・看護師の象徴である
・長い髪をまとめるには清潔感がある
・キャップを着けると気持ちが引き締まる
・看護師と他の職種の区別がつかない
・身だしなみが乱れる
・戴帽式の感動が忘れられない
・ナースキャップに憧れて看護師になった。キャップが無いのは寂しい、等々

いろいろ意見があるようです。
キャップ廃止の根底にはジェンダーレスの流れがありますし、アメリカでは看護服すら無い病院もあるようです。安全性の問題、感染源の問題、機能性の問題などを考えるとキャップは廃止するのがベターなのかもしれません。
 「ナースキャップがなくても看護への思いは変わることなく、これからも信頼されるよう、より良い看護を目指して努力を続けてまいります。」(奈良県立病院看護部)
 この言葉が看護師さん達共通の気持ちだと思います



蛇足ですが、今日のニュースで、ドクターのネクタイが汚染されているとアメリカで学会報告のあったことが報じられていました。診察室で長時間、患者さんと向き合うのと、あまり洗濯しないのが原因とか。

YomiuriOnLine

Posted by Kenji Kato at 10:05 PM KDT
Updated: 2 June 2004 11:04 PM KDT
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医薬分業

「医薬分業」のパンフレットから
 私の勤務する神戸市立中央市民病院でも6月1日から「医薬分業」がスタート。私の担当するコンピュータシステムの対応もトラブル無く稼動してほっとしてます。「医薬分業」は先進国のほとんどが実施しています。日本では既に昭和31年に法律上で制度化されたものの、医師が診察と投薬を行う習慣が定着するなかでなかなか進んでいないそうです。しかし、最近は、患者さん一人一人が「かかりつけ薬局」を持ち、薬歴を管理するとともに薬に対する副作用やアレルギーを記録し薬の安全性を高めていくという「医薬分業」が急速に普及しています。
 患者さんは、これまで病院の薬局でもらっていた薬の代わりに「院外処方せん」をもらって,かかりつけの薬局に行って薬をもらうことになります。スムーズな移行のために、待合ホールに相談コーナーと、かかりつけ薬局に予め処方せんを送り患者さんの都合の良い時に受け取れるようFAXコーナーを設けています。
 病院のPRのようなブログになってしまいましたが、ご協力をよろしくお願いいたします。

Posted by Kenji Kato at 7:58 PM KDT
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31 May 2004
環境整理大作戦
 私の住むマンション「エバーグリーン」は、ポートアイランドのなかで最も早く、ポートピア'81(1981年)に入居が始まっており老朽化も進んでいます。躯体関係は地震の前後に大規模改修工事を実施していますが、竣工後20数年を経過し、給水管の痛みが激しく、人間の血管のようにコレステロールで覆われています。
 そのため、1年前から各住居内の給水管の張替が進められているのですが、686戸を有する大規模なマンションであるためなかなか私の住む「9号棟」まで順番がこなくて、やっと来週から始まることになりました。
 給排水管を敷替えるため床、天井、壁をハツルところもあり、工事に邪魔にならないよう家具や荷物を片付けなければなりません。20年間の荷物を整理し始めたのはいいですが、この2,3日は大作業でした。くたくたになりました。

道路沿の低層、高層の2列がエバーグリーン

Posted by Kenji Kato at 12:51 AM KDT
Updated: 31 May 2004 1:19 AM KDT
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26 May 2004
フェイジョア

トロピカルな感じのフェイジョアの花




 今日のブログは昨日の続編です。右に写真の花、神戸では見かけない花です。大阪・中の島の堂島川沿いの遊歩道に、シマトネリコ、キョウチクトウと一緒に植栽されていました。そのうちの一本にネームプレートが架かっていて「フェイジョア」という名前だそうです。
 早速帰宅して植物図鑑で調べたら、フトモモ科の常緑小高木で、昭和初期にアメリカから渡来したそうです。花も珍しい姿をしていますが、葉も特徴があって卵状楕円形で革質、表面は光沢があって、裏面は綿毛が密生して銀白色をしています。7月から8月にかけて花が咲くようですが、最近暑い日が続いたために開花したのでしょうか。
 果実はパイナップルのような香りがあって、そのままあるいはジャムにして食べれるそうです。別名を「パイナップルグァバ」というのはその香りに由来するのでしょう。


Posted by Kenji Kato at 10:34 PM KDT
Updated: 27 May 2004 12:35 AM KDT
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お初天神・中の島公会堂
 今日は会議のため大阪・福島へ。会議が終了後、久しぶりの大阪なので堂島川に沿って散歩しました。NTTビルあたりから関西電力、日本銀行、御堂筋、大阪市役所、中の島は私にとって思い出多きところ。歩きながら一つひとつの記憶を辿っていました。青春時代の思い出を刻んでいるのが下の写真の「中の島公会堂」。中学時代から学生時代にかけて毎月のように集会がありました。何年か前、通りがかった折に覗いたときには大規模な改修工事中でしたが、外観はほとんどそのままで免震構造に改造されたことを以前TVで紹介されていました。
 中の島から堂島川を渡り、裁判所から梅田新道へ。学生時代までは、この梅田新道と神戸税関前を往復する阪神バスがありました。今は税関前と阪神尼崎の間だけになっているようです。そういえば阪神国道には、野田阪神から春日野道まで路面電車が走っていてよく利用しました。
 梅田新道から「曽根崎お初天神通り商店街」へ。「お初天神」の正式名称は「露天神社」。元禄時代、遊女お初と手代徳兵衛が神社脇(わき)の森で心中したことを題材にした近松門左衛門脚色の「曽根崎心中」が評判となり、お初天神と呼ばれるようになったそうです。
 夕方のお初天神は人影はまばら。本殿の前で長い間手を合わせて佇むご婦人の姿がありました。


お初天神(露天神社)

中の島公会堂


お初天神にて


Posted by Kenji Kato at 12:57 AM KDT
Updated: 26 May 2004 1:37 PM KDT
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23 May 2004
ホームページ・リニューアル

新しくなった私のページ
 最近はブログの手軽さに甘えて本来の私のページの更新をさぼっていました。新しいページの構想は以前から考えていましたが、なかなか具体化にいたりませんでした。
 幸いBフレッツ加入で接続が定額料金になったこともあり時間は多少かかりましたが、とりあえず入り口のページだけはリニューアルできました。フレームを活用して見やすく拡張性のあるページにしようと頑張ってみました。
 まだタイトルだけのページも多いです。ある程度のページのイメージはできていて写真も撮りためているのですが、ボチボチ取り組みたいと思います。
 一度、リニューアルなった私のページ→[ * ]をのぞいてみてください。
(ブログのバグでしょうかリンクの文字列が非表示になります。→の[]の中をクリックしてください)

Posted by Kenji Kato at 11:24 PM KDT
Updated: 24 May 2004 1:13 AM KDT
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19 May 2004
我が家もブロードバンド
 私の住むマンションにもNTTが光ファイバーを敷設して「Bフレッツ」が利用可能となったので先日申し込みをしました。1昨日の17日(月)に我が家にもついにブロードバンドが開通しました。私は早い時期にISDNに切替えてインターネットに対応しましたが、ISDNの一番のメリットは電話回線を2回線にするのと同じ運用ができたことでした。自分の家の電話から自宅に電話して話中にならず他の電話器からコールサインが鳴り出すなんてことは驚きでした。
 今流行のADSLは、ISDNのようなデジタル回線では利用不可で従来のアナログ回線に切替える必要があり、それも100%ADSLが利用できる保証はなく、その場合は再度ISDNの戻す必要があり、かつその工事費は自己負担ということでADSL化には踏み込めないでいました。
 今回、NTTが私たちのマンションに光ファイバーを導入し「Bフレッツ」の利用が可能となりました。「Bフレッツ」の利点は従来のNTT回線との共用、特にISDNとの共用ができることです。光ファイバーから各住戸へはVDSLでの接続になり、このVDSLは電話回線、ISDN、LANが共有できるということで、私に格好のシステムです。
 各住戸のホームPNA(VDSL装置)とADSLルーターとISDNモデムを組み合わせることで、従前のISDN上のサービスとIP電話やADSLでの常時接続との両立が可能となります。我が家はFAX受信や電話での受信が多いので、これからは従来の回線は受信専用として発信はIP電話という活用を考えてみたいと思います。
 いずれにしても、このブログをはじめインターネットの接続を意識しないでよいと言うのが最高です。

タワーの上がIP用電話、下の左:VDSL装置、 右:ISDNモデム、その上ADSLルーター(IP電話対応)










Posted by Kenji Kato at 1:50 AM KDT
Updated: 19 May 2004 1:46 PM KDT
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18 May 2004
アジサイ
 今日も雨でした。朝の出勤途上の植え込みに雨に濡れてアジサイが咲き出しています。アジサイは雨に似合う花だと思います。アジサイは、ユキノシタ科の落葉低木。神戸市の「市の花」となっているように神戸にはアジサイが多く植栽されていますし六甲山系には沢山の種類のアジサイが自生しています。花弁のように見えるのは花弁ではなく「がく片」で、花弁は極めて小さいものです。








 このページを管理するウエブ・サーバーが米国内にあるためか、Weblogの日付がいつもおかしくなります。それも遅れるのでなく進むのが不思議です。



神戸の花・アジサイ

Posted by Kenji Kato at 12:27 AM KDT
Updated: 18 May 2004 9:21 AM KDT
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'JAZZ EPISODES'

堅大くんです

 私にジャズと触れ合う機会を作ってくれて、このライブにも顔を見せるに至ったのは「アバウト」というボーカル2人、ピアニストの3人グループでした。ピアニストの家族が経営する料理店(「やす田」といいます)で毎週週末に「アバウト」のライブをやろうという話になって、その音響を依頼されたのが始まりでした。早いもので過日、2周年を迎えました。右の写真の2人は「アバウト」のボーカルで左が「大山さん」、右が「中大路さん」です。中大路さんは独自にも積極的な活動をされており施設や催しからライブまで手広く活躍されています。
 「アバウト」については、改めて詳細に紹介したいと思いますが、三宮・東門街の北詰、フェニックスビル(三角マーケット)の3F「やす田」という美味しくて家庭的で経済的なお店で、第1、第3金曜日に「アバウト」のライブをやってます。一度覗いてみてはいかがでしょうか。
 電話:078-391-0185
 今日の日曜日は生憎の雨模様。「神戸まつり」に参加する浴衣姿のご婦人方が街のあちこちで見受けられましたが、雨の中風邪を引かないか心配になります。
 私は、北野界隈にある「ローズガーデン」のライブハウス「T2楽屋」で開催のライブを楽しみました。"JAZZ EPISODES 11th"、ジャズを楽しむ生徒さんを指導されている教室主催の発表会です。20人ほどがステージに上がりましたが、小学生の少年から初老の紳士まで幅があります。右の写真は私の知人の息子さん(堅大くん)、小学生でドラムの先生(右の人)に師事してます。今日はお姉さんのピアノと"BRAZIL"にパーカッションで挑戦。一生懸命リズムを刻む姿がいじらしいです。うまく演奏できて会場から大きな拍手でした。





大山さん・中大路さん(アバウトのボーカルコンビ)

Posted by Kenji Kato at 12:25 AM KDT
Updated: 18 May 2004 1:18 AM KDT
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13 May 2004
タイサンボクのつぼみ
 数週間ほど前の土曜日、山歩きから帰宅後体調低下して39度近い熱が出てダウン。週明けに診療所で検査してもらったら白血球=15,000(正常値<9,000)、感染症の指標CRP=10(正常値<0.5)。特にCRPの10は異常に高い数値とのことで原因はわからないが何かに感染したようです。病院勤務だから病原菌には不自由してないから「院内感染」してもおかしくありません。抗生物質を2週間ほど服用して先週金曜日に再度血液検査。今日はその結果を聞きに診療所に行きました。
 途中、ポートライナーの「貿易センター駅」を降りたら街路樹のタイサンボクに小さなつぼみが顔を出してました。タイサンボクはモクレン科の常緑高木で葉の長さが12~25センチと大きく、また直径12~15センチの大きな花を咲かせます。花は白く芳香があります。市役所4号館前の通りや国際会館近くの街路樹としても植栽されています。





タイサンボクのつぼみ

 とろで検査の結果ですが、白血球=7,500、感染症の指標CRP=0.3と正常値になっていました。とりあえず感染症は克服できたようです。


Posted by Kenji Kato at 12:09 AM KDT
Updated: 13 May 2004 12:58 AM KDT
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8 May 2004
摩耶山のツツジ
 明日から天気が崩れるとのことで、今日のうちに山へと出かけました。自転車で自宅から新神戸駅前まで、これも結構運動になります。いつもの定番コースで新神戸から市が原経由で天狗道、摩耶山まで。今日は登山道の周りの動植物をデジカメに収めながらのんびりと歩きました。そのため新神戸から摩耶山山頂まで2時間40分かかりました。いつもより50分ほど長め。
 登山道のあちこちに「モチツツジ」咲いていました。「モチツツジ」はツツジ科の常緑低木で六甲山系に多くみられる品種です。花柄やがくに粘るせん毛があって、さわるとベタベタくっつきます。はなびらの一片に紅色の斑点があります。

ヤマツツジ


モチツツジ

 山頂近くには「ヤマツツジ」も咲いていました。「ヤマツツジ」も同じツツジ科ですが半落葉低木で夏から秋に出た葉は冬を越します。花は鮮やかなオレンジ色です。登山道には「コバノミツバツツジ」も多く見られますが花はまだでした。






Posted by Kenji Kato at 10:02 PM KDT
Updated: 9 May 2004 2:09 AM KDT
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7 May 2004
シャリンバイ


シャリンバイ(車輪梅)
 連休明けで久しぶりの出勤日は五月晴れ。職場へ向かう植え込みの中で「シャリンバイ」が綺麗な花を咲かせていました。「シャリンバイ」はバラ科の常緑低木。枝が車輪状に出て葉は枝先に集まってつき、梅に似た白い花が咲くことから「車輪梅」という名前がついたそうです。花は5月に咲きます。花の蜜が甘いのかハチが盛んに蜜を吸っていました。樹皮は大島紬の褐色の染料として利用されるとのことです。



Posted by Kenji Kato at 12:15 AM KDT
Updated: 7 May 2004 1:33 PM KDT
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5 May 2004
白いギター
 私の居住するマンションで「リサイクル・バザー」があって、覗いてみましたら「白いギター」が500円で売りに出てました。別に弾けるわけではないですが一度遊んでみようかと買ってしまいました。今から10年以上も前のことです。楽器店に行ってガットを購入し張替えたら結構いい音がします。ところが私のこの戯れが大きな影響を与えることになろうとは知るはずもありませんでした。
 当時、高校生だった長男がこのギターに興味を示し、受験勉強の合間に練習し出しました。関西大学に進学すると早速「軽音楽部」に入部しビートルズのコピーバンドを始めました。家に帰っても熱心に練習してましたが、結局「軽音楽部」の部長にまでなるという状況です。ビートルズのCDアルバムが書棚を埋めて行きました。
 また、長男は高校の頃から灘区のレストランにオープン時からバイトに行っており、受験中は中断したものの進学と同時に声がかかりバイトを再開してました。
 「軽音楽部」の活動を継続したい理由だったと推量されましたが、卒業直前に「休学」を私に申し出てきましたが、余りに急で返答に困りましたが、私は休学ではなく「留年」を勧めました。5年目に入っても部活にギターを抱えて行ってましたから、私は留年してまでよっぽど好きなのかと思ってました。
 ところが、夏になった頃本人がすでに卒業していることを告白します。授業料がもったいないからとのことです。卒業するなら就職活動をして然るべきところに就職しないといけないのに、部活最優先の進路選択にショックを受けました。

「白いギター」

 そして結局、高校の頃からバイトしていたレストランに就職しました。そこで素敵な彼女と巡り合いゴールイン。しかし不景気の影響で閉店に。その後、仕事に苦労してましたが、最近、レストラン当時の上司に声をかけられて芦屋のレストランで働くようになり元気で頑張っているようです。
 いろいろ苦労している長男やお嫁さんを見るにつけ、あの「白いギター」がなければ違った生き方ができただろうと思いますし、それだけに厳しくは言えない私の立ち場でもあります。最近、二男・三男の話題が多いのですが長男のことがいつも気がかりです。


Posted by Kenji Kato at 8:00 PM KDT
Updated: 5 May 2004 9:10 PM KDT
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兄弟

三男・二男(六甲山・白石谷で)

活。更に今月中旬には千葉県の下総航空基地に移動し、ここでも約2年間の寮生活だそうです。訓練も厳しいようで江田島の幹部候補生学校でのそれは海軍兵学校の伝統を受け継いだもので、厳しい防衛大学の訓練が楽に思えるほどだったといいます。
 高校生の時、何か考えることがあったのでしょう。進路を防衛大学に決めて猛烈な受験勉強を開始しました。部屋の壁やドア、家具、冷蔵庫、それにドアのノブにまで覚える事柄をメモしたカートを貼るという徹底ぶりでした。小中学校ではそれほど勉強していなかったので挽回するにはよほどのエネルギーが必要だったのでしょう。現役合格はできなかったものの、予備校は特待生で授業料免除で、偏差値80を超える科目も出てきたようです。



気をつけて!

 ゴールデン・ウイークも今日で終わり。帰省していた二男は、鳥取の友人に会うため3日前に家を出て、下関から帰っていた三男も今朝長いドライブでの帰路につきました。道中の無事を祈るのみです。
 長男は結婚するまで長く家にいましたが、二男は震災の年に大学受験で島根大学に進み松江市に下宿、そのまま大学院へ。修士課程の2年生になって京都大学にかわるまでの5年間、島根に住んでいました。今も京都に住んでいますが距離的には自宅にいるようなものです。
 三男は、防衛大学に進学し横須賀の大学構内の寮での集団生活。卒業後も江田島の幹部候補生学校で1年間、半年間の遠洋航海訓練の後、下関の小月航空基地といずれも寮生


三男・長男・二男と私(1981年)

 テストで満足な成績を出したとき三男は島根の二男にFAXして報告していました。三男が幼い頃から二男はよく一緒に遊んだり面倒をみていましたが、今も二人はとても仲がよくたまに実家に帰省して出会った折には夜更けまで話をしています。本人の努力の甲斐があって無事防衛大に合格できました。三人目で一番幼かった三男ですが防衛大に進んでから逞しく成長できたと思います。本人も厳しい集団生活が苦にならないようで、性分に合っているようです。
 「国家防衛」という重い職責を担っているだけに力を付けて欲しいと思う反面、いざというときのことを考えます。下関へ帰る三男の車を見送りながら一人の父親の気持ちになっていました。


Posted by Kenji Kato at 1:06 PM KDT
Updated: 5 May 2004 1:26 PM KDT
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ポートピア'81

1981年のポートアイランド
(中央市民病院のパンフレットから)
 職場の机の中に開設当時の市民病院のパンフレットがあって、その表紙の写真に懐かしい風景を思い出しました。「山、海へ行く」、「都市経営」。神戸市が「マルク債」を導入するなど積極的な資金調達により民間開発業者を凌ぐ大規模な宅地開発を推進し、そこから得られた財源を市民福祉の向上に活用していくというシステムが他の自治体から注目され「株式会社・神戸市」が都市経営のモデル的内実で語られていた、その絶頂期がポートアイランドという「海上文化都市」の誕生であり「ポートピア'81博」ではなかったかと思います。
 当時、私は福祉行政を担当する部署に属し、福祉事業の企画・調査が私の仕事で、「ポートピア博」の中でボランティア運動の展開、国との「国際障害者年」関連事業の開催、「神戸館」での福祉展示なども担当させてもらいました。
 1985年に開催された「ユニバーシアード神戸大会」では組織委員会に派遣され報道関係の仕事を担当しましたが、オフィスはポートアイランドの市民広場にある「国際交流会館」でした。こうしたポートアイランドとの関わりの繰り返しが私をここに住むように仕向けたのかもしれません。
 この写真でもよくわかりますが、出来立ての街は街路樹もまだ植樹された直後で今の光景とは隔絶の感があります。市民病院の向かいが私の住むマンション、その上が博覧会の会場です。

Posted by Kenji Kato at 3:13 AM KDT
Updated: 5 May 2004 10:51 AM KDT
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